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面接に来た面々と転びかけた女

「大下、たもつさんですね? それでは、面接を始めます」

 翌日の午前九時、妻の綾子との取引で、高岡税理士事務所の新規職員の採用面接を引き受けた木場隆之助は、高岡税理士事務所の所長室で、応募して来た若い男性とソファで向かい合って座っていた。所長の綾子は所長の席でその様子を見ている。大下維と呼ばれた男は、マッチョ系で、角刈り。黒のスーツを着ている。ネクタイは赤。顔立ちは整っているけど、私の好みとは違う。綾子は履歴書のコピーを机の上に置いて見ながら、実物の大下を見定めていた。

「よろしくお願いします!」

 大下は一旦立ち上がると深々と頭を下げて、ソファに戻った。その動作に隆之助は苦笑いをして、

「まずは志望動機を伺いたいのですが?」

 隆之助は大下に返答を促すようにその顔を見た。大下は一瞬戸惑ったような表情を見せてから、

「あ、その、以前、貴事務所のホームページを観まして、高岡先生の美しさに魅了され、応募しました」

 チラッと綾子を見てから言った。

「はあ?」

 隆之助と綾子はまさに異口同音に反応した。

(何を言ってるの、この子?)

 綾子は顔が熱くなるのを感じた。

(大丈夫か、こいつ?)

 面接で言う事ではないと思い、隆之助は小さく溜息を吐いた。

「どういうつもりでそんな事を言ったのですか?」

 隆之助は自分の妻をバカにされた気がしてしまい、声に怒気が含まれるのを抑え切れなかった。

「え? あの、何かまずい事を申しましたでしょうか?」

 大下は全く悪びれた様子もなく、キョトンとした顔で隆之助を見ている。

「高岡税理士は私の妻です。既婚者に対して、そのような発言は如何なものかと思いますよ」

 隆之助はいつになくヒートアップしていた。

(やだ、隆之助ったら、ジェラシー?)

 傍観していた綾子は喜んでいた。

「え? 高岡先生は独身ではないのですか?」

 大下は目を見開いて驚いた。

「ええ!?」

 隆之助と綾子はまた異口同音に叫んでいた。大下はようやく自分がとんでもない事を言ったのに気づいたのか、あからさまに動揺し出し、

「あの、その、申し訳ありません! ええと、高岡先生は独身だとばかり思っていまして……」

 また立ち上がって頭を下げた。

「もし仮に妻が独身だとしても、面接の志望動機でそんな事を言うのは、不適切だと思いますよ」

 隆之助は大下に悪意がないのがわかり、幾分落ち着きを取り戻した。

「すみません、その通りでした!」

 大下はもう一度頭を下げた。そしてまたチラッと綾子を見てから、

「自分は、まだ五歳の時に母を病で亡くしまして、祖父母に育てられました」

 ゆっくりとソファに座り直した。隆之助は思わず綾子と顔を見合わせた。

(不採用と告げて追い返せなくなったな。もう少し、話を聞いてみるか)

 隆之助は大下を帰らせるのを一旦諦めた。

「私が代わります」

 綾子は真剣な表情で立ち上がると、隆之助をソファから追い立てて、大下と向かい合って座った。

「どうぞ、続けて」

 綾子は微笑んで、大下の身の上話を聞いた。大下は母の記憶がほとんどなく、寂しい思いを募らせて、育ったらしい。大学に入学して、就職活動を始めた頃、たまたま見かけた高岡綾子税理士事務所のホームページを観て、母とよく似た綾子の写真を見つけたという。

(母の記憶はほとんどないんじゃなかったのか?)

 綾子の後ろに立ち、話を聞いていた隆之助は腕組みした。

「まあ。お母様が私に似ていたの?」

 綾子はすっかり大下の身の上話にのめり込み、涙ぐんでいる。

(綾子はこの手の話に弱い。採用してしまうな)

 隆之助は推測した。やがて面接は終了し、大下は採用決定になった。

「ありがとうございます!」

 大下はまた大きく頭を下げた。

「いつから来られますか?」

 綾子は微笑んだ。大下はその笑みに顔を赤らめて、

「明日からでも来られます!」

 姿勢を正して、綾子を見た。

「わかりました。では明日、午前九時までに来てください。よろしくお願いしますね」

 綾子は立ち上がって、右手を差し出した。

「はい、ありがとうございます!」

 大下はその手を両手で握り、涙で目を潤ませた。

(いつまで握ってるんだ、こいつ!)

 隆之助は綾子の手をなかなか放さない大下にイラついた。

「あの、大下さん……?」

 困った綾子が苦笑いをした。大下はそこで我に返り、

「あ、すみません! 失礼しました!」

 サッと綾子の右手を放し、また頭を下げた。

「では、また明日参ります! よろしくお願いします」

 大下はドアのところまで行ってから振り返り、もう一度頭を下げると、ドアを開いて事務所を出て行った。

「大丈夫か、あいつ?」

 大下にいいイメージを持っていない隆之助が言うと、

「大丈夫よ。きっといい子よ」

 大下に「美しさに魅了され」と言われ、悪い気はしていない綾子はニヤニヤした。

「まあ、この事務所の方針にまで口出しする気はないがね」

 綾子の反応が面白くない隆之助は腕組みをし直した。綾子はそんな隆之助のリアクションに肩をすくめてクスッと笑い、自分の席に戻ると、

「十一時にもう一人来るわ。取り敢えず、今日はそれでおしまい」

 隆之助を見た。隆之助はソファに腰を下ろして、

「次も男か?」

 綾子は履歴書を見て、

「次は女性よ。二十歳の。貴方の得意分野ね」

「バカな事を言うな! どうして私の得意分野なんだ!?」

 隆之助は綾子を睨んだ。

「じょ、冗談よ……。そんなに怒らないでよ」

 隆之助の剣幕に綾子はたじろいだ。


「はあ」

 面接があるので、直行を言い渡されていた凛太郎は、一軒目の顧客の訪問を終えて出て来たところだった。

(面接は父さんがするから、大丈夫だろうけど、その後で母さんと揉めたりしないだろうか?)

 凛太郎は父と母が喧嘩をしているのではと危惧していた。

「あ」

 そんな時、凛太郎は一番会いたくない人物の一人と顔を合わせてしまった。

「凛太郎さん」

 それは、柿乃木税理士事務所にいた時、何かにつけて凛太郎に擦り寄って来たお局職員的存在であった西野麻美子だった。凛太郎は彼女の年齢を知らないのだが、見た目も何歳かよくわからない童顔で、話す内容から、四十代らしいのはわかっていた。ある時期は、所長の柿乃木啓輔の愛人ではないかと噂されたのだが、それが違っていたのがわかったのは、魔性の女である野間口絵梨子が現れたからだった。絵梨子と啓輔の関係は公然の秘密となっており、職員の誰もが知っていたが、誰一人それを口にするものはなかった。麻美子はそのつぶらな瞳を細めて微笑み、

「お久しぶりね。元気そうで何よりだわ」

 凛太郎の右肩を右手でポンポンと叩いた。

「ああ、西野さんもお元気そうで」

 凛太郎は麻美子がすぐに肩とか背中とかを触ってくるので、いつも警戒していたのを思い出した。麻美子はその髪型から、

「こけしちゃん」

 そんなあだ名を若い女性職員達からつけられ、陰で呼ばれていた。まさに言い得て妙なあだ名で、麻美子は宮城県の鳴子こけしに見えた。黒のスカートスーツがそれを助長している。

「凛太郎さん、確か、お母様の事務所に移ったのよね? 私も大手の税理士事務所に入れて、ホッとしたんだけれど、優菜さんは今、どこにいるのかしら? 高岡先生の事務所は辞めたんでしょ?」

 麻美子は啓輔の一人娘である優菜が凛太郎の父である木場隆之助の事務所にいるのを知らないようだった。

(それにしても、どうして俺や優菜さんの転職先まで知っているんだ? この人、何者?)

 凛太郎は顔が引きつるのを感じた。

「さ、さあ。どこにいるのかは、ちょっと……」

 優菜に断わりなく転職先を話すのはまずいと考え、言葉を濁した。

「あら、そうなの。貴方達、親しそうだったから、交流があるのではないかと思っていたんだけど、知らないのね」

 麻美子の含み笑いに凛太郎は背筋がゾッとした。

(まさか、知っていてカマをかけた?)

 嫌な汗が背中を伝った。

「忙しいのに、呼び止めてしまってごめんなさいね。たまには連絡ちょうだいね」

 凛太郎に強制的に自分の名刺を渡すと、麻美子は不敵な笑みを浮かべ、スタスタと歩き去った。

(な、何なんだ、ホントに)

 凛太郎はドッと疲れてしまった。

「わっ!」

 名刺の裏を見ると、麻美子の携帯番号が書いてあり、その後ろにどぎつい赤でハートが書かれていた。

(あの人、まさかとは思うけど、俺に気があるの?)

 凛太郎は思わず身震いした。柿乃木税理士事務所に入所した当初は、

(面倒見のいいお姉さんだな)

 そんなイメージだったのだが、距離が近いのとセクハラまがいの言動が多いのに辟易するようになった。

(この辺に勤めているのだろうか? 気をつけよう)

 凛太郎は麻美子と遭遇しないように顧客への道順を変えようと思った。


(聖生の様子がおかしい。何か気づいているの?)

 神宮真帆は、聖生が以前と違うのを察していた。

(勇吾さんには、聖生のお姉さんの事を聞き出すように言われているけど、聖生の感じだと、私に不信感を抱いているような気がする)

 真帆は、茉祐子が麻奈未に告げた通り、「勇悟お兄ちゃん」に籠絡されていた。何度も身体の関係を持ったためだからではなく、長年思い続けた人と結ばれた喜びで、勇悟の指示に疑問を抱けなくなっていた。

(聖生のお姉さんの才覚を見抜いた四葉総理が、首相直属の機関に所属させたいと言っている。だから、身辺調査をして欲しいと)

 以前の真帆なら、勇悟の話がおかしい事に気づけたはずだが、すっかり手懐けられたため、そんな発想は浮かんでいない。

(でも、聖生は私に疑念を持っている。まずは聖生を説得しないと)

 聖生の疑念は思い違いだと真帆は本気で考えていた。茉祐子の懸念がけ現実になりかけているのだ。

「どうしたの、真帆? 具合でも悪いの?」

 聖生は聖生で、自分が真帆の変化を知っている事を悟られないために、努めていつも通りに行動しているつもりだが、茉祐子の予想通り、真帆にはそのいつも通りがいつも通りでない事を知られているのを理解していなかった。

「別に何ともないよ。ありがとう」

 真帆も普段通りに聖生と話すのがぎこちなくなり、引きつり笑いをしてしまった。

「そう」

 聖生は会話を続けているとボロが出ると思い、真帆から離れた。

(やっぱり、聖生は何か気づいている)

 真帆は確信し、廊下に出た。


岸森真実きしもりまみさんですね?」

 隆之助は、写真よりも幼く見える面接応募者に尋ねた。別人という程違って見える訳ではないが、加工している可能性があるものを使っているようなので、少し気にかかったのだ。

「すみません、ちょっと盛ってしまいました」

 岸森真実は肩をすくめた。黒髪ボブも、黒目がちな目も、彼女を幼く見せている。制服を着れば、高校生に見えるだろう。着ているスーツは黒ではなくチャコールグレーで、かろうじて就活生に見せている。

(二十歳にしては子供っぽいな。言動共に)

 隆之助は真実のリアクションに嫌悪感を覚えた。

「志望動機を教えていただけますか?」

 隆之助は真実の履歴書を見ながら訊いた。すると真実は身を乗り出して、

「それは、木場先生が、高岡先生の配偶者だからです! 私、専門学校に行っている頃から、木場先生に憧れていました!」

「ええっ!?」

 隆之助と綾子はその日何度目かわからないくらいの異口同音を発した。

(大下に引き続き、この子もズレているな……)

 隆之助は溜息を吐いた。そして、妻がどんな反応をしているのか、目を向けた。妻は怒ってはおらず、むしろ、

「私の予想通りね、隆之助」

 そんな事を言いたそうな顔で隆之助を見ていた。

(綾子め、楽しんでいるな?)

 隆之助は綾子を一睨みしてから真実を見て、

「日商簿記一級を持っているのですね。将来は税理士になるつもりですか?」

 話題を変えた。真実は我に返って椅子に戻り、

「はい。ゆくゆくは、木場先生と税理士法人を立ち上げたいと思っています」

 更に踏み込んだ事を言い出した。綾子もこれには面食らったのか、唖然とした。

「ああ、そうですか」

 逆に隆之助はニヤリとして綾子を見た。綾子はプイッと顔を背けた。

「頼もしいですね。税理士試験はいつから受験するつもりですか?」

 隆之助は質問を続けた。真実は居住まいを正して、

「今年から受験したいと思っています」

「そうですか。頑張ってください」

 隆之助は微笑んで応じた。

「ありがとうございます」

 真実は感動したのか、涙ぐんでいる。隆之助は苦笑いをして、

「では、結果は追って連絡致しますので、今日はお帰りください」

 立ち上がったのだが、

「ちょっと待って」

 綾子が口を挟んで来た。

「え?」

 隆之助は何を言い出すんだと思って綾子を見た。真実も立ち上がって綾子を見ている。

「採用です。いつから来られますか?」

 綾子はツカツカと真実に歩み寄った。

「え?」

 真実は目を見開いて綾子を見た。そして、

「えっと、明日からでも大丈夫です!」

 大下と同じ返事をして来た。

「そうですか。では、明日の午前九時までに来てください。よろしく」

 綾子は微笑んで右手を差し出した。

「あ、はい、よろしくお願いします!」

 真実は右手で綾子の手を握った。

「失礼します!」

 真実はチラッと隆之助を見て微笑み、事務所を出て行った。

「よかったわね、可愛い子が来てくれて」

 綾子は嫌味たっぷりの口調で告げた。

「私の事務所で採用した訳ではないよ。関係ないだろう?」

 隆之助は怒りを抑えて応じた。綾子はフンと鼻を鳴らして、

「貴方と税理士法人を立ち上げたいって言っていたわよ」

「それは頼もしいよ。誰かさんは嫌みたいだからね」

 隆之助は嫌味を返した。

「そうですか!」

 綾子は顔を背けると、ソファにドカッと腰を下ろした。それを見て隆之助は肩をすくめた。

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