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遂に念願叶った男、利用される女

「おはよう、凛君」

 麻奈未はある一点を除いて幸せだった。凛太郎も満足感に溢れている。

「おはようございます、麻奈未さん」

 不満があるのは、相変わらずの凛太郎の丁寧語だ。これさえなくなれば、完璧な夫婦関係だと思った。でも、恋人だった時、自分との関係性を築いてしまった凛太郎には、そう簡単に修正できる事ではない。麻奈未は半ば諦めていた。

(遂に、遂に昨夜、うまくいった! 初めて、俺は麻奈未さんと一つになれたんだ!)

 凛太郎は麻奈未との濃厚なキスの流れで、そのまま二人で入浴し、風呂場で一戦に及んだ。そして、無我夢中で挑んだ結果、とうとう宿願を果たしたのだ。麻奈未も凛太郎と繋がれて、喜んで涙を流していたようだ。

(一時は人工授精まで考えたけど、何とかなってよかった)

 凛太郎は隣のベッドに寝ている麻奈未を見て、起き上がった。

「麻奈未さん」

 そして、勢いのまま、麻奈未のベッドに潜り込もうとしたのだが、

「ちょっと! もう支度をしないとダメ! 遅刻しちゃうわ」

 麻奈未はスルッと凛太郎のバックハグをすり抜けると、ベッドから出てしまった。

「ああ……」

 凛太郎の悲しそうな声を聞き、麻奈未は後ろ髪を引かれる思いだったが、

「また今夜ね」

 顔を赤らめて告げると、寝室を出た。

「はい」

 凛太郎はしょんぼりしながらも、麻奈未の言葉を受け入れ、ベッドから出た。

(忘れないうちにもう一度と思ったけど、風呂から出て、すぐに寝てしまったのは俺だからなあ。麻奈未さんは待っていたかも知れないのに)

 凛太郎は自分のスタミナのなさを嘆いた。だが、真相は違っていた。

(昨日は凛君が寝てくれてよかった。凛君、凄いんだもの)

 麻奈未は、初めて成功した興奮で凛太郎が激しかったのを思い起こし、溜息を吐いていた。

(まだヒリヒリするわ)

 麻奈未は洗面所へ行くと、洗顔して化粧をし、朝食の準備を始めた。炊事と洗濯、掃除は当番制にしており、その日は麻奈未が炊事当番、凛太郎が掃除当番と洗濯当番である。凛太郎は一人暮らしが長かったので、家事全般ができる。むしろ、実家暮らししかして来なかった麻奈未の方が、家事は苦手である。

(遅くなる事が多いから、凛君に当番を変わってもらう事も頻繁にあるし。日常生活は凛君に負担をかけているから、できるだけ彼の意向に沿った形にしたいけど、あんなに激しいと、身体がたないわ)

 恐らく、女性経験がない凛太郎は必死なのだろうが、それは間違っていると指摘できない。だが、どこかで言わないと、必ず齟齬が生じるのはわかっていた。

(しかも、痛くて涙が出てしまったのを、凛君は私が感激しているって思い違いしているようだったし。まずいわ)

 どうしたらいいのか、妹の聖生みおに相談しようと思った。


 中禅寺茉祐子は、親友である伊呂波坂聖生とその夫、伊呂波坂大介を尾行していた連中を、顔見知りの交番の警察官に職務質問をかけてもらって阻止した。聖生達を尾行していた四季島の手下達は、まさか職質をした警察官の背後に査察の情報部門ナサケの調査官がいるとは夢にも思わなかっただろう。

(取り敢えず、まだ聖生ちゃん達には事情を説明できないから、何とか妨害できてよかった) 

 茉祐子は、聖生の周辺にも四季島の魔の手が伸びているのを知り、対策に困っていたのだ。そこへ麻奈未のストーカーをしている手下が現れてくれたので、渡りに船とばかりに動いたのだった。

(聖生ちゃんの周囲を彷徨うろついている奴と先輩の周囲を彷徨いている奴らが繋がれば、四季島を追い詰める布石が打てる。後は仙台国税局からの裏付けが届けば、完璧)

 茉祐子はすでに四季島の故郷であり、彼の崇拝する剣崎龍次郎の故郷でもある仙台に調査を及ばせているのだ。

「茉祐子さん、つらいんですか?」

 ナサケのフロアで、夫であり、部下でもある中禅寺充が声をかけた。

「つらいって、何が?」

 茉祐子はムッとした顔で充を見上げた。充は顔を引きつらせて、

「ああ、その、今回の件、聖生さんが絡んで来るみたいだから……」

 後退あとずさりした。茉祐子は自分の席の椅子に座って、

「まあね。親友に伝えるには、ちょっと嫌な事だから。でも、公私混同はしないよ。伝えるべき事はきちんと伝えるから」

 トレードマークの黒縁眼鏡をクイッと右手の人差し指で上げた。

「俺が伝えましょうか?」

 充が提案すると、

「あんた、聖生ちゃんに妙な事考えてるんじゃないでしょうね?」

 茉祐子の目が鋭くなった。

「ま、まさか! 先輩の妹さんにそんな事、考えていませんよ。それに茉祐子さんの親友だし」

 充は飛び退いて弁解した。

「冗談よ」

 茉祐子はしてやったりの顔で応じた。

「悪い冗談ですよ……」

 充は嫌な汗を掻いた。

「それより、例の人物、誰だかわかった?」

 茉祐子は真顔になった。充も真顔になり、

「それが、防犯カメラの位置を知り尽くしているようで、顔が写っているものがないんです。他の手を考えています」

「科捜研の知人に相談してみて。歩容認証でわかるかも知れないから」

 茉祐子は手元の資料を見ながら告げた。

「わかりました」

 充は一礼すると、フロアを出て行った。茉祐子は以前麻奈未に見せた写真を見て、

(早く何とかしないと、深みにはまって抜け出せなくなるわ。急がないと)

 その写真の人物は、聖生の同僚の神宮真帆であった。

(嫌だなあ。この人、聖生ちゃんが『親友』って言ってるんだよね。ちょっとだけジェラシー感じちゃう)

 自分も聖生の親友だと自負しているが、真帆と比べると、一緒にいる時間が圧倒的に少ない。茉祐子はそれがもどかしかった。

(麻奈未先輩に相談してみるか)

 茉祐子は席を立つと、実施部門ミノリのフロアへ向かった。


「それはよかったね。おめでとう」

 聖生は麻奈未と昼食を摂っていた。麻奈未が国税局近くのファミレスに呼んだのだ。聖生は麻奈未に凛太郎とようやくうまくいった事を聞くと、そう言った。

「おめでたくないよ。もう、トラウマになりそうなんだから」

 麻奈未は妹のリアクションに頬を膨らませた。

「どういう事?」

 聖生は首を傾げた。麻奈未は深く溜息を吐いて、

「凛君、激し過ぎるの。そのせいで、まだ痛いのよ」

 聖生は噴き出しそうになるのをこらえて、

「それは大変だったね。凛太郎さん、張り切り過ぎたのね」

「笑い事じゃないの! こっちは裂けるかと思ったんだから!」

 麻奈未は話しているうちにその時の痛みを思い出したのか、涙ぐんだ。

「凛太郎さんにはっきり言えばいいだけでしょ? どうして遠慮するの?」

 聖生は姉の言動に疑問を抱き、腕組みをした。

「男は、アダルトビデオを見てそれを真似たりするから、基本的に激しい奴が多いんだけど、大介の話だと、凛太郎さん、お母様が厳しくて、そういう類いのもの、観た事がないそうだから、お姉が言えば、治るんじゃないの?」

 聖生は麻奈未を見据えて告げた。

「それができればしているよ。そんな事言ったら、また凛君、ダメになっちゃうかも知れないの。今朝も抱きついてきたので、やんわり拒否したら、悲しそうな目をしていたの」

 麻奈未は項垂れてしまった。聖生は肩をすくめて、

「お姉は凛太郎さんに甘過ぎると思うよ。だから、凛太郎さんはどんどん耐性がつかなくなって、ちょっとした事で逃避行動に出てしまうのよ、きっと」

「そうなのかなあ」

 麻奈未は顔を上げて聖生を見た。

「ちゃんと話すのが一番だよ。前にも言ったけど、お姉達はお互いに言葉が足りないんだよ」

 聖生は真顔になった。

「わかった。凛君に話してみる」

 麻奈未はしょんぼりして応じた。

(凛太郎さんもだけど、お姉も耐性がなさ過ぎるよ)

 聖生は麻奈未にわからないように小さく溜息を吐いた。麻奈未はハッとして、

「いけない、中禅寺さんから言われていた事があったんだ!」

 弾かれたように顔を上げた。

「え? 茉祐子から? 何?」

 聖生はキョトンとした顔になった。麻奈未は声を低くして、

「あんたの同期の子の事なんだけど」

「え? 私の同期? 誰?」

 麻奈未は言い淀みそうになったが、茉祐子に懇願されたのを思い出して、

「神宮真帆さんなんだけど」

 絞り出すように言葉にした。聖生は眉をひそめて、

「真帆の事? 一体何? 茉祐子から言われたって、穏やかじゃないね」

 麻奈未は更に声を低くして、

「神宮さん、まずい事になりかけているらしいの」

「まずい事? ますますわからない。単刀直入に言ってよ」

 聖生は回りくどい姉の言い回しに痺れを切らせた。

「四季島の手の者にたぶらかされているようなの」

 麻奈未の言葉に聖生は目を見開いた。

「四季島って、あの四季島?」

 聖生も声を低くした。麻奈未は黙って頷いた。

「そんな事……」

 そこまで言いかけて、聖生はある事に思い至った。

「真帆、仙台出身だ……」

 聖生は顔を引きつらせた。

「そう。四季島の元雇い主である剣崎龍次郎と同郷なの。もしかすると、そのつながりで、神宮さんが利用されてしまうかも知れないって、中禅寺さんが心配していたのよ」

 麻奈未はて従業員が食後のコーヒーを持って来て、立ち去るまで待ってから口を開いた。

「どうして茉祐子は私に直接教えてくれないの?」

 聖生は不満そうだ。麻奈未はすかさず、

「それは、中禅寺さんがあんたと親友だからよ。気を遣って伝える事が上手くいかないくらいなら、誰かに伝えてもらう方が確実だと考えたの。中禅寺さんを責めないでね」

「そうか……」

 聖生は茉祐子の優しさを知り、涙ぐんだ。

「でも、これは極秘調査だから、本人には言わないでね」

 麻奈未は聖生の顔が曇っていくのを見ながら、言い添えた。

「まさかお姉、真帆を使って四季島の手下を押さえるつもりじゃないでしょうね?」

 聖生は麻奈未を睨みつけた。

「違うわよ。神宮さんはナサケが必ず守る。そんな危険な目には合わせない。むしろ、事情を知って神宮さんが動いたりする方が危ないの」

 麻奈未の説めに聖生は落ち着きを取り戻した。

「そうだね。茉祐子達なら、安心して任せられる」

 聖生は微笑んで麻奈未を見た。麻奈未も微笑み返した。

「頼んだよ、聖生」

 麻奈未は真剣な表情で告げた。聖生は黙って頷いた。二人はすぐにファミレスを出て、舗道を逆に歩き出した。

「中禅寺さん、今終わったわ」

 麻奈未は聖生が見えなくなってから、茉祐子に連絡した。

「そうですか。聖生ちゃんはどうでしたか?」

 茉祐子が尋ねた。

「動揺はしていたけど、やってくれると思う」

「でも、聖生ちゃんが神宮さんに気取られないと困るんです。神宮さんには動いて欲しいのですから」

 茉祐子の言葉は意味深長であった。麻奈未は目を伏せて、

「そうね。聖生は神宮さんに気づかれないようにと慎重に動くだろうけど、本当は神宮さんが聖生の言動に不信感を抱いてくれないといけないのだから」

「はい。神宮さんは恐らく、あちら側の人間になってしまっています。これまでの調べで、それは確実だと思われるので」

 茉祐子は淡々と語った。麻奈未は小さく溜息を吐いて、

「そうね。聖生には悪いけど、神宮さんには聖生のちょっとした異変によって、反応してもらわないとね」

「辛い役目を押し付けてしまって、申し訳ないです」

 茉祐子に謝罪されて、麻奈未は苦笑いをした。

「中禅寺さんは何も悪くない。悪いとしたら、昔のよしみで神宮さんを誑かす四季島の悪意よ。許せないわ」

「そうですね」

 茉祐子の声は淡々としているが、実際の心理はどうだろうか?

「神宮さんに会っていたのは、まず間違いなく四季島本人でしょう。そうでなければ、仮にも税務署の人間である神宮さんを味方に引き入れる事はできません」

「ええ」

 麻奈未は敷島への怒りで震え出しそうだった。

「一度だけなら、情にほだされてホテルに行ってしまう事もあるかも知れませんが、二度三度と逢瀬を重ねるのであれば、それは既に同調してしまったのと同じです。それでも、私達は神宮さんを救い出したいんです」

 感情を押し殺していた茉祐子の声が、最後だけたかぶるのを麻奈未は感じた。

「神宮さんはまだ聖生ちゃんには具体的な行動を起こしていません。そうなる前に彼女を救い出して、四季島の尻尾を掴むのが真の狙いです」

「お願いね、中禅寺さん」

 麻奈未は姿勢を正して告げた。

「はい。必ずうまくやり遂げます」

 麻奈未は通話を終えると、スマホをスーツのポケットに入れた。

(四季島。剣崎龍次郎の信者なのは構わないけど、その妄執で政治を動かそうとするのは断じて認めない。女性をないがしろにして、自分の欲望を満たすためだけに利用するなんて、政治に携わる者としてだけではなく、人としてしてはいけない事。必ず罰を受けてもらうわ)

 麻奈未は四季島を税法だけではなく、あらゆる法律で裁いてもらおうと思った。

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