ダメ男といい女
「凛君、やめてよ、そんな事言うの」
麻奈未は自分がそれ程でもないと思っているので、凛太郎の言葉に動揺していた。
「麻奈未さんは誰が見ても超絶美人です! 俺なんかと結婚してくれた事が不思議なくらいです!」
凛太郎は自虐的な表現で麻奈未誉めたたえた。
「凛君はイケメンだよ。私には勿体ないくらいの」
麻奈未は真顔で凛太郎を見た。
「それこそやめてください。俺、生まれてこの方、イケメンなんて言われた事がないです」
凛太郎は麻奈未に誉められたのがこそばゆいのか、モジモジした。
「やめないよ。凛君はイケメンだもの。私の目がおかしいっていうの?」
麻奈未はムッとした。凛太郎はハッとして、
「いや、そんな事ないです。麻奈未さんがそう言うなら、俺はイケメンなのかも知れないです」
麻奈未が不機嫌になるのは何としても防ぎたいのか、態度を急変させた。
「じゃあさ、二人で考えようよ。このままじゃ、子供作れないから、工夫してみよう」
麻奈未は凛太郎に寄り添って、彼の右手を両手で握りしめた。
「麻奈未さん……」
凛太郎は麻奈未の潤んだ瞳を見て、スイッチが入った。
「麻奈未さん!」
いきなり麻奈未をベッドに押し倒した。
「ちょっと、凛君、ダメだって、考えないと!」
麻奈未は凛太郎を押し退けて起き上がった。
「すみません……」
凛太郎は自分が勝手に盛り上がったのを思い知り、しょんぼりした。
「ねえ、凛太郎さんと何を話したの?」
ダブルベッドで一緒に寝ている聖生が大介に尋ねた。大介は欠伸をして、
「だから、仕事の話で……」
何とか凛太郎との約束を守ろうとしたのだが、
「嘘ばっかり、どうせ、凛太郎さんに妊活がうまくいっていないって言われたんでしょ?」
聖生は大介の上にのしかかった。
「え?」
見事に言い当てられて、大介は目を見開いた。
「実はね、私も姉に相談されていたの。凛太郎さんがずっとしくじっているって……」
聖生はクスッと笑った。そして、びっくりしている大介の顔を間近で見て、
「もう、大介がイケメンだから、聖生、妊娠中なのにエッチしたくなっちゃう」
キスをして来た。
「聖生、明日も早いんだから、もう寝ようよ」
大介は聖生にキスをし返した。
「わかったわよお、もう、残念」
聖生はチロッと舌を出すと、大介から離れた。
「お休み、聖生」
「お休み、大介」
聖生は枕元の明かりを消し、眠りに就いた。
「凛君、元気出して」
麻奈未と話し合った末、いろいろ工夫をしたのだが、結局凛太郎はまたしくじってしまった。
「……」
凛太郎は自分のベッドに入り、布団をかぶっていた。
「わかった。もう、寝ようか」
麻奈未は溜息を吐くと、ベッドに入って、
「お休み」
それだけ告げると、明かりを消した。
(はああ! 俺は何て情けない男なんだ!? 麻奈未さんにあそこまで気を遣わせて、あんな格好までさせたのに、結局しくじった……)
二人で話し合った結果、麻奈未の顔が見える状態は避けようとなり、顔を見ない体勢でチャレンジしてみた。しかし、そんな付け焼き刃の対策では凛太郎の誤射は止まらなかったのだ。麻奈未はその体勢にかなり抵抗があったのだが、凛太郎のためだと決断してくれた。しかし、凛太郎はしくじった。麻奈未につらい思いをさせただけだった。
(やっぱり、病院に行くしかないのか? 何かの病気なのかも知れない)
凛太郎は目を閉じた。
(最悪、人工授精しかないかも……)
凛太郎は深く溜息を吐いた。麻奈未との子はどうしても欲しかったので、凛太郎はそこまで考えた。
(俺、女性経験が全くなかったから、そのせいだと思っていた。でも、優菜さんとの時は、そんな事はなかった。あれが女性経験に含まれるのかは微妙だけど、確かに誤射はしなかった。それどころではないくらい混乱していたからなのかな?)
優菜との事はトラウマ級の出来事だったが、それ以上のトラウマになりそうな麻奈未との事に比べれば、優菜との事はすでに遠い記憶になりかけていた。
(ああ、忘れかけていたのに、思い出しちゃった!)
麻奈未は麻奈未で、ストーカーの事を考えていた。
(凛君の事で頭がいっぱいだった時は大丈夫だったけど、目を閉じると、鮮明に思い出してしまう)
麻奈未は震え出した。
(結局、何が目的なのか、正体は誰なのか、全然わかっていないし、何の解決にもなっていない。どうしたらいいの?)
出勤時はいい。明るいし、大勢の人がいるところを通れば問題はない。だが、帰宅時はそうはいかない。場合によっては深夜になる事もある。凛太郎をいつでも呼び出せる訳ではない。
(明日、統括官に相談してみよう)
頼りになる織部に救いを求める事にして、麻奈未は眠りに就けた。
「そうか。そんな事があったのか」
翌日、麻奈未は実施部門のフロアで織部に昨夜の事を話した。
「関係あるかわからないのだが、局長が交代するとの情報が入っている」
織部は麻奈未にソファを勧めながら告げた。
「え? 局長が?」
局長は先年の一件で交代したばかりだ。
「長官の話だと、政治家が絡んでいるそうだ」
織部は声を低くした。麻奈未は思わず生唾を呑んでしまった。
「誰なんですか?」
麻奈未は身を乗り出した。もしかしてと思ったからだ。
「流石に勘が鋭いな、伊呂波坂。すでに何の権力もないが、絡んでいるのは剣崎龍次郎の関係者だ」
織部の答えに麻奈未は背筋を凍らせた。
「まだ、何か企んでいる者が?」
麻奈未は眉をひそめた。
「あくまで憶測の域を出ないんだがね。只、留意してくれ。剣崎一派の仕業だとすると、厄介だ。証拠は残さないだろうし、まだまださまざまな面で圧をかける者がいる。それに屈する者はさして多くないが、中にはいるんだよ。それに乗ってのし上がろうと考える者が」
織部は不愉快そうだった。麻奈未も同様だ。
「まさか、危害を加えるとは思えないが、護衛を付けるように手配しようか?」
織部が提案すると、
「いえ、そこまで差し迫ったものは感じていませんので」
麻奈未は苦笑いをした。
「しかし、警戒はした方がいい。少しでもおかしいと思ったら、すぐに私に連絡してくれ。警察にも顔は効くから」
織部は真顔で告げた。麻奈未は織部がかなり本気なので、逆に怖くなり、
「はい、ありがとうございます」
一礼すると立ち上がり、自席に戻った。
「あ」
凛太郎は事務所を出て、ビルの共用の廊下を歩いている時に、父からの着信を受けた。
「どうしたの、父さん?」
凛太郎は母の綾子が出て来ていないか振り返ってから、通話を開始した。
「麻奈未さんと何かあったのか?」
隆之助の第一声がそれだったので、凛太郎はギクッとした。
「どうしてそう思うのさ?」
凛太郎は階段を駆け下りながら尋ねた。
「母さんが騒いでいるんだよ。そっちは釘を刺したから、もう大丈夫だが、本当に何もないんだな?」
父の言葉に凛太郎は、
(いくら父さんでも、あんな事は言えない)
妊活がうまくいっていないとは決して口にはできないと思った。
「何もないよ。母さんにも言ったけど、ラブラブだよ」
それは嘘ではないので、凛太郎は胸を張った。
「そうか。それならいいんだが。只、お前がそう思っていても、麻奈未さんがどう思っているのかは別だからな。細心の注意を払えよ。これは父親ではなく、人生の先輩としての忠告だからな」
「わかったよ。心配してくれてありがとう、父さん」
凛太郎は通話を終えると、スマホをスーツの内ポケットに入れた。
(あの母さんの夫である父さんからの言葉だと、説得力あるな)
面倒臭い事にかけては人後に落ちない綾子だが、麻奈未はそんな部類ではないと凛太郎は思った。
(だけど、麻奈未さんが本当はどう思っているのか、わからないよなあ。どうすればいいんだろうか?)
相談できる相手がいない。凛太郎は今は仕事に集中と思い、歩を速めた。
「今のところ、剣崎一派に怪しい動きはありません。伊呂波坂先輩にも危害を加えられる様子はないです」
情報部門の中禅寺充は妻であり上司でもある中禅寺茉祐子に報告した。
「でも、相手は剣崎に陶酔していた男だからね。伊呂波坂先輩に個人的に恨みを持っていてもおかしくない」
茉祐子は腕組みをした。充は頷いて、
「剣崎の息のかかっていた連中を根こそぎ脱税で告発するための調査で怖い事がわかって、ちょっとビビってます」
茉祐子は半目で充を見上げて、
「特にこの男は熱烈な剣崎信者だったからね。そんな奴が、現役の総理大臣の秘書になったのは、危険な兆候だよ」
「引き続き、四季島の監視を続けます」
充は一礼して、茉祐子の前から去った。茉祐子は溜息を吐いて、手元の資料を見た。四季島の顔写真付きのプロフィールが書かれたものだ。
「先輩、個人的にもいろいろあったみたいなのに……」
麻奈未の境遇に同情した。
(先輩を尾けていたのが四季島の息のかかった奴だとすると、危害は加えないだろうけど、場合によっては何をするかわからないわね)
茉祐子はこの情報を織部には話したが、麻奈未には話すなと言われていて、悩んでいるのだ。
夜になった。
「あれ?」
南渋谷税務署の法人課税部門に所属する神宮真帆は、最寄駅を降りて繁華街に向かう途中で、懐かしい顔を見かけて足を止めた。
「あの、もしかして、勇悟お兄ちゃん?」
誰かを待っているらしい男に声をかけた。男は真帆の声に反応して彼女を見ると、
「もしかして、真帆ちゃん?」
微笑んで応じた。真帆は自分の思い違いではないとわかり、微笑み返して、
「そうだよ、真帆だよ。久しぶりだね、お兄ちゃん」
男に駆け寄った。
「そうだな。真帆ちゃんが東京の大学へ進んで以来だから、もう十年近くになるのか?」
男が言うと、真帆はムッとして、
「そんなに経ってないよ! 私、まだ二十六歳なんだから! 誰と勘違いしてるの?」
「ああ、ごめんごめん。そうだったな。ところで、真帆ちゃん、今はどうしているの? 院生って事はないよね?」
男は真帆の服装を見た。真帆は照れ笑いをして、
「今はもう働いているよ。しがない公務員だけど」
「そうか、こっちで就職したのか」
男は目を細めた。そして、
「真帆ちゃん、これから何か予定あるのか?」
真帆はその言葉に顔を赤らめて、
「な、ないよ。帰るところだったの」
本当は一人で寂しく立ち飲みでもしようかと思っていたのを打ち消した。
「じゃあ、ちょっと飲まないか? その後食事でも」
男の誘いに真帆は狂喜しそうになったが何とか堪え、
「ええ? 下心ありありなの?」
半目で男を見上げた。真帆は、地元にいた時に密かに憧れていた男とバッタリ会ったのは何かの運命だと考え始めていた。
「下心なんてないよ。真帆ちゃんはいつまでも親友の可愛い妹だよ」
男は真帆の警戒心を解こうとしたのか、そんな事を言った。
(つまんない……)
真帆は真帆で、自分を女と見ていない宣言をされたような気がして、ショックだったが、
「だったら、オッケーよ」
自分を誤魔化して取り繕った。二人は腕を組んで、繁華街の中に消えた。
(最近、真帆が私達を避けている気がするのよねえ)
聖生と大介は住んでいるマンションへの道すがら、真帆との距離を感じて寂しく思っていた。
(もしかして、真帆は大介に好意を寄せていたのかな? 全然そんな素振りなかったけど)
聖生が気づいていないだけで、真帆はサインを出していたのだ。恋は盲目と言うが、これは特殊なケースだろう。
「どうしたの、聖生?」
すっかり聖生との会話がタメ口になっている大介だが、まだどこかで聖生を恐れているので、並んで歩かず、後ろからついて行くスタイルだ。聖生がその事を指摘すると、
「聖生を守っているんだよ」
冗談とも本気とも取れない返事をしている。そのため、聖生はもう何も言わなくなった。
「別に何でもないよ。ちょっと考え事」
そう言いながら、大介を見たので、またデレデレが発動し、
「ホントは真帆の事が気になってたの。最近、付き合い悪いでしょ?」
聖生は大介の右腕にぶら下がるように歩いた。
「ああ、神宮さんね。確かにさっさと帰る事が多いかな?」
大介は聖生の妙なリアクションに苦笑いをしながら応じた。
「まさかだけど、私の知らないところで、真帆から告られたりした?」
聖生がヤキモチ全開で大介に尋ねた。大介は笑って、
「神宮さんが? 全然、そんなのないよ。むしろ彼女、俺を嫌ってたんじゃないの? 避けられてたし」
聖生は微笑んで、
(そうか、大介ってそういうの疎いのか)
そう思ってから、
「だったらいいんだけど」
更に体重をかけて大介にぶら下がって来た。
「痛いよ、聖生。やめてよ」
大介がつらそうに告げると、
「ごめーん。許して」
聖生は周囲に誰もいないのを見極めてから、大介の右頬にキスをした。
「わわ、聖生!」
大介は聖生の大胆な行動に驚き、あたふたした。
「いいの、お兄ちゃん?」
その真帆は、男とホテルの一室で愛し合った後だった。
「結婚してたんじゃなかったっけ?」
真帆は男に抱きつきながら尋ねた。男は真帆を抱き寄せて、
「東京に出て来る時に向こうから離婚を切り出して来たんだよ。だから、今は身軽なバツイチさ」
男は真帆にキスをした。
「そうなんだ。なら、いいのか」
真帆はキスをし返した。
「真帆、今更だけど、結婚してくれないか? 返事はすぐでなくていいから」
「嬉しい、お兄ちゃん!」
二人は重なり合い、また愛し合った。




