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凛太郎、血迷う

 ある土曜日、伊呂波坂家と高岡・木場家の家族食事会は、麻奈未と聖生も不都合がないようにと精進料理も提供している和食の店で行われた。

「ようやく、揃って顔を合わせられましたね」

 木場隆之助が、伊呂波坂美奈子に声をかけた。

「そうねえ、隆之助さん。楽しい会になりそうね」

 美奈子は上機嫌で応じた。その隣にいる太蔵は妻の暴走が始まらないか不安で仕方がない。一方、最愛の夫が美奈子と楽しそうに話しているのを嫉妬全開で睨んでいる綾子は、

(このバカ者が! 妻の目の前で、よその奥様にヘラヘラして! しかも、『隆之助さん』て名前呼びされて、ますます嬉しそうにして!)

 かなりヒートアップしていたが、さすがにこの場で夫を詰める訳にもいかず、作り笑顔でこらえていた。

「高岡先生、何だかおいかりのようね」

 少し離れた席で隣り合っている聖生が麻奈未に囁いた。

「え? そう?」

 麻奈未は麻奈未で、凛太郎がソワソワしているのに気を取られていて、綾子の異変に気づいていなかった。

「あ、ホントだ」

 麻奈未は義母を観察して、その原因が実母にある事を読み取った。

「もう、お母さんたら、お義父様にあんなにニコニコして話しかけたりしたら、お義母様が不機嫌になるって考えないのかしら?」

 麻奈未は立ち上がって母をたしなめようとしたが、

「やめときなよ、お姉。お母さんに言っても、とぼけられるだけだよ。それより、お父さんに注意してもらう方がいいよ」

 聖生に止められた。麻奈未は父の太蔵を見たが、太蔵は誰とも視線を合わせないように俯き、料理を突いている。

(ダメだ。こっちを見ていないから、合図もできない)

 麻奈未は父の動員を諦めて、夫の凛太郎を見た。凛太郎も太蔵同様、料理を食べるふりをして、母の感情の揺れを視界に入れないようにしているのがわかった。

(全く、揃いも揃って、ウチの男共は!)

 麻奈未は凛太郎の脇を肘で小突いた。

「え?」

 凛太郎はビクッとして麻奈未を見た。

「凛君、お義母様がお怒りのご様子だから、なだめて来て」

 麻奈未は有無を言わせない口調で命じた。凛太郎は顔をひくつかせて、

「わかりました……」

 箸を置くと席を立ち、綾子のところへ近づいた。そして、

「母さん、麻奈未さんが母さんが怒っているから宥めて来てって言ったので、来たよ。大丈夫?」

 とんでもない事を言い出した。

「はっ?」

 麻奈未と聖生は仰天して顔を見合わせた。美奈子も凛太郎の不用意な発言に気づき、彼を見た。隆之助もそこで初めて妻の様子に気づいたようだ。

「何を言ってるの、凛。私は別に怒ってなんかいないわよ」

 綾子はチラッと麻奈未を見てから、隆之助を睨みつけた。隆之助は妻が自分を射殺さんばかりに睨んでいるので、顔を引きつらせた。

(何だ? 何故、綾子は怒っているんだ?)

 隆之助は美奈子に何のやましい気持ちもないので、綾子が何を怒っているのかわからない。

「ああ、そうなんだ。じゃあ、麻奈未さんの思い違いだね」

 凛太郎は微笑んで応じると、席に戻った。

(さすが凛太郎さん。やっぱりサイコパスだわ)

 聖生は苦笑いをした。

「そういう事です、麻奈未さん」

 凛太郎は麻奈未にも微笑んだ。

「あ、そう……」

 麻奈未は顔を引きつらせた。

「お義母様、何か失礼がありましたか?」 

 美奈子も自分のせいだとは思っていないので、そんな質問を繰り出した。

「いえ、別に。何でもありませんわ、お義母様」

 綾子は隆之助を睨みつけたままで応じた。

(おいおい、私のせいなのか?)

 隆之助はそこでようやく、妻が何に怒っているのか察した。

(相変わらずのヤキモチ妬きだな)

 隆之助は呆れていた。

「あ」

 聖生は何気なく隣にいる夫の大介を見た。大介はあまりの『修羅場』に固まっているようだった。

(大介には刺激が強過ぎたか……)

 ところが、

「聖生、お義兄さん、ヤバい人だね。びっくりした」

 大介は凛太郎の「サイコパス」ぶりに驚いていたのだった。

「あはは、そっちね」

 聖生はまた苦笑いをした。

 食事会はその後は何事もなく進み、終了した。

「ねえ、飲みに行かない、隆之助さん?」

 何も気づいていないらしい美奈子が、店を出たところで臆面もなく隆之助を誘って来た。綾子が断わろうとすると、

「申し訳ありません、この後は別件で呼ばれておりまして」

 隆之助が先に断わった。すると美奈子は、

「あらそうですの。では、奥様、如何ですか?」

 悪気なく綾子を誘って来た。隆之助は唖然としたが、

「申し訳ありません、私も夫と同行しますので、これで失礼致します」

 阿吽の呼吸で隆之助に合わせた。

「まあ、残念ですわ。またの機会にお誘いしますね」

 美奈子は会釈すると、太蔵と立ち去った。

「すみません、不躾な母で」

 麻奈未が慌ててフォローを入れたが、

「いえいえ、こちらこそ、折角のお誘いをお断わりしてすみません」

 綾子は愛想よく応じた。麻奈未は綾子が自分に対して怒っていないらしいのを知り、ホッとした。

「ごめんなさいね、バカ息子で。麻奈未さんがお気遣いくださったのに、とんでもない事を言い出して」

 綾子は凛太郎のおとぼけ発言に気づいていたのだった。

「そんな事ありません」

 麻奈未は「バカ息子」には同意していたので、顔がひくついた。そのバカ息子の凛太郎は、大介と話していた。

「いやあ、緊張しましたよ。俺だけ、全くの他所者よそものだったので」

 大介は大汗を掻いていた。痩せても、汗っかきなのはそのままなんだと聖生は思った。

「そんな事ないですよ。大介君は伊呂波坂家の一員ですから」

 凛太郎は大介を慰めた。

「麻奈未さん」

 綾子が小声で呼びかけて来たので、

「はい?」

 麻奈未は綾子を見た。綾子は麻奈未の耳元で、

「凛を見捨てないでくださいね。何度も麻奈未さんを困らせているでしょうけど」

「見捨てるなんて事は絶対にないですから、ご安心ください」

 麻奈未は微笑んで応じた。

「よろしくお願いします」

 隆之助が頭を下げたので、

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 麻奈未は慌てて頭を下げた。綾子と隆之助は凛太郎には声をかけずに立ち去った。

「お姉、大介と凛太郎さんが、二人で飲みたいって言ってるんだけど、どうする?」

 聖生が訊いて来た。麻奈未は目を見開いたが、

「まあ、自分の立場がわかっている人は、そんなに長く飲み歩いたりはしないでしょ? いいんじゃない?」

 半目で凛太郎を見た。

「ありがとうございます、麻奈未さん」

 ところが、凛太郎は麻奈未の嫌味を言葉通りに受け取り、喜んでいる。聖生は、

(ダメだな、凛太郎さんは。お姉がいつ切れるか、心配)

 不安になり、大介を止めようとしたが、

「いいのよ、聖生。息抜きもさせないとね」

 麻奈未が聖生を引き留めた。

「え? 本当にいいの?」

 聖生は姉の顔を見た。

「あまり締め付けると、凛君、おかしくなっちゃうでしょ? たまにはいいのよ」

 麻奈未は微笑んでいた。

「でも、凛太郎さんはサイコパスだから、次からは何の断わりもなく飲みに行っちゃうかもよ」

 聖生が忠告したが、

「凛君はサイコパスじゃないから!」

 麻奈未はムッとして妹を見た。聖生は肩をすくめた。

(結局、お姉は凛太郎さんに甘い。痛い目見ても、知らないからね)

 聖生は大介に、

「遅くなったら、締め出すから」

 釘を刺したが、

「そんな事しないよ、聖生」

 大介が爽やかな笑顔で応じたので、

「ああん、もう、午前様でも許すからあ」

 デレてくねくねした。

(聖生は時々意味がわからない事を言う)

 大介は妻の変わり身の早さに驚いた。

「凛君、大介君を困らせないでね」

 麻奈未は一応凛太郎に忠告した。

「もちろんです、麻奈未さん」

 凛太郎は会心の笑顔で応じた。

(不安だ)

 麻奈未はほとんど理解していない凛太郎の様子に愕然とした。

(聖生の言う通り、凛君てサイコパス予備軍なのかな?)

 麻奈未は許可した事を後悔し始めたが、聖生の手前、そんな事は言えなかった。


 凛太郎と大介は行きつけの居酒屋で乾杯し、陽気に話した。二人共、麻奈未・聖生姉妹には畏怖を感じているので、解放感に溢れていた。

「聖生には悪いけど、一緒にいると、どうしても怖くて遠慮しちゃうんですよね」 

 大介は生ジョッキを飲み干して愚痴を言った。凛太郎もジョッキを飲み干して、

「そうでしたか。俺は麻奈未さんには絶対服従と決めているので、何も負担には感じていません」

 何故かドヤってきた。大介は苦笑いをして、

「ああ、そうなんですか」

 ジョッキをテーブルに戻した。

(凛太郎さん、マザコンの上、Mっ気もあるのか? それとも、聖生が言うように、サイコパス?)

 大介は義兄の言動に引き始めていた。

「そろそろ帰りますか」

 大介は聖生からの「帰れライン」が入っていたので、時刻を確認した。午後十時を過ぎていた。

「ああ、そうですね。大介君は聖生さんとラブラブですから、早く帰ってあげてください」

 凛太郎は酔いが回って来ていた。

「いや、凛太郎さんも早く帰った方がいいですよ」

 大介は凛太郎が帰るつもりがないのに気づき、慌てた。

「もちろん、俺も帰りますよ。麻奈未さんが大好きですから」

 凛太郎は酔いも手伝って、大声で言った。周囲の客が驚いて彼を見た。

「そうですか」

 大介はドン引きしながらも、凛太郎が帰るつもりなのを知り、ホッとした。

(凛太郎さんの家はここから歩いて帰れる距離だから、よかった)

 二人は会計をすませて、店を出た。

「タクシー!」

 何故か凛太郎はタクシーを停めた。

「え?」

 大介は面食らったが、

「ほら、大介君、乗って。これ」

 凛太郎に五千円札を渡された。

「いや、要りませんよ。タクシー代は持ってますから」

 大介は凛太郎が心配だったが、タクシーを待たせるのも悪いと考え、乗車した。

「さてと。帰るか」

 その時まで、凛太郎は本当に帰宅するつもりだった。だが、

「凛太郎さん、こんばんは」

 知った声に呼びかけられた。

「え?」

 凛太郎は声の主を確認しようと振り返った。

「ひっ!」

 そこには優菜が立っていた。

「酷い、何ですか、その叫び声は?」

 優菜は口を尖らせて腕組みをした。

「あ、ごめん、急だったから、びっくりして……」

 凛太郎は罰が悪くなって言い訳をした。すると優菜は、

「この前もそう言ったじゃないですか? そんなに私の事、嫌いですか?」

 涙ぐんだ。

「わわっと、そんな事ないよ、優菜さん。ホントに驚いただけなんだって……」

 凛太郎は優菜に近づいて、左肩に右手をかけた。

「悪いと思うのだったら、一杯奢ってください」

 優菜は肩に置かれた凛太郎の手を自分の右手で掴んだ。

「あ、うん……」

 優菜に手を掴まれて凛太郎はハッとしたが、自分が悪いのだと思い、承諾した。

(木場のおじ様が話しているのを聞いて、お店の前で待っていて正解だった。これはチャンス!)

 優菜は偶然ではなく、待ち伏せしていたのだ。

「じゃ、行きましょ」

 優菜は自然に凛太郎と腕を組み、歩き出した。

「あ、うん……」

 凛太郎はその腕を振り払える程優菜に対して強気に出られないので、そのままにした。


「早かったね、大介」

 まだデレが続いている聖生が出迎えた。大介は玄関を上がりながら、

「うん。凛太郎さん、ごねずに帰ってくれてよかったよ。タクシーまで呼んでくれてさ……」

 そこまで言った時、聖生の顔がひくつくのを感じ、ある重大な過ちに気づいた。

「凛太郎さんは家まで送り届けてねって、ラインで頼んだよね?」

 聖生は真顔になっていた。

「ご、ごめん! タクシーに乗せられて、どうにもならなくて……」

 大介は言い訳をしたが、

「何言ってるの! お姉に頼まれたでしょ! 凛太郎さんを一人にすると、絶対にそのまま帰って来ないんだから、引きずってでも連れて帰ってって!」

 デレが解除された聖生は凄まじかった。

「申し訳ありません!」

 大介は震えながら土下座をした。

「お姉に連絡しなくちゃ」

 すでに十一時になろうとしていたが、聖生は躊躇なく麻奈未に電話を入れた。

「何かあったの、聖生?」

 麻奈未はワンコールで出た。聖生は事情を説明した。

「やっぱりね。人の好い大介君では、凛君を御し切れないと思った。あまり大介君を責めないでね、聖生」

 麻奈未にそう言われ、聖生はバツが悪くなった。目の前の大介は土下座をしたままだ。

「ああ、うん」

 聖生は声を出さずに大介の肩を叩くと、立ち上がるように手で合図した。大介はホッとして立ち上がった。

「聖生達はもう休んで。凛君とは私が連絡を取って何とかするから」

 麻奈未は凛太郎が帰って来ないので、聖生からの電話の前に凛太郎にラインと電話を入れていたのだ。

「でも……」

 聖生は渋ったが、

「いいから。じゃあね」

 麻奈未は通話を切ってしまった。

(まずいよ、凛太郎さん)

 聖生も凛太郎が麻奈未に連絡していないらしいのを知り、蒼ざめていた。

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