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想定外の展開

 翌日の朝、麻奈未は査察部部長の尼寺、統括官の織部と共に、局長室に呼び出された。

「一体、何事でしょうか?」

 局長室へ向かう廊下で、織部が尼寺に訊いた。尼寺は前を向いたままで、

「さてね。四季島の手下である局長が何を言って来るのかは見当もつかないが、伊呂波坂にも来るように言って来たのだから、伊呂波坂に関する何かだろう」

 麻奈未は尼寺の言葉にビクッとした。四季島の手下である黒田湊人に会っていた事は、織部を通じて尼寺にも報告済みである。

(あれかな……)

 麻奈未は頭痛がして来た。あれこれ考えているうちに局長室の前に来ていた。尼寺は織部と麻奈未に目配せしてドアをノックした。

「入りたまえ」

 中から兼守かねもり乙彦おとひこの声が応じた。

「失礼します」

 尼寺がドアを開いた。部屋の奥の大きな机の向こうに口を一文字にした兼守の仏頂面が見えた。麻奈未は兼守とは就任の時以来、顔を合わせた事がないが、彼の顔はいつも不機嫌そうに見えていた。

「かけたまえ。話は長くなる」 

 兼守は勢いよく回転椅子から立ち上がると、ドアと机の間にある四つのソファの一つの一人がけに歩み寄って腰をお下ろした。

「はい」

 尼寺が二人掛けのソファに一人で座り、織部と麻奈未がその向かいの二人掛けのソファに並んで座った。

「時間がないので、単刀直入にいこう」

 兼守は手にしていたB4のコピー用紙をガラスのテーブルに叩きつけた。麻奈未はそれを見て顔色を失った。それには、

『東京国税局のマルサの女、元アイドルと堂々不倫デート』

 スキャンダルを煽るようなタイトルが書かれており、顔をぼかされてはいるが、見る人が見れば、麻奈未と黒田湊人とあからさまにわかる写真が載っていた。

「今朝、ある出版社からこんなものが私宛にメールで送られて来た。これは事実なのかね?」

 兼守はソファにふんぞり返った。麻奈未は兼守の声が聞こえないのか、写真を凝視したままだ。尼寺はすぐに顔を上げて兼守を見ると、

「二人が会っていたのは事実ですが、不倫ではありません」

 その言葉に反応して、織部も兼守を見た。しかし兼守は、

「不倫ではないと断じる根拠は?」

 尼寺を見てから、麻奈未を見た。

「二人は食事をしただけです。それで不倫だとすれば、日本中で不倫が横行している事になりはしませんか?」

 尼寺は強い口調で反論した。兼守は一瞬だけ身動みじろいだが、

「では、これは!?」

 別の写真が載せられた記事らしきものを印刷したB4のコピー用紙をその上に叩きつけた。

「ああ!」

 麻奈未は悲鳴をあげた。その写真に写っているのは、凛太郎と岸森真実が腕を組んでいるものだった。当然の事ながら、二人も顔はぼかされているので、知らない人には誰なのかわからない。その写真には、

『マルサの女の夫、同僚と不倫か?』

 刺激的なタイトルが付けられていた。それには尼寺と織部も目を見開いた。凛太郎の事は査察部でもノーマークだったので、予想外だったのだ。

「どうやら、この写真の男性は、伊呂波坂君のご主人のようだな。夫婦揃ってのダブル不倫だと書かれているぞ」

 兼守は忿懣やる方ないという演技をしているとしか思えない程の大根役者だったが、尼寺も織部もそれを指摘できる余裕がなかった。

(まさか、そちらまで手を回しているとは……)

 織部は救いを求めるように尼寺を見たが、尼寺は溜息を吐いて応じた。打つ手なしという事のようだ。

「そんなはずがありません。夫はそんな不貞を働く人間では……」

 麻奈未は涙目になりながら、兼守に弁解した。

「それは君の贔屓ひいき目だろう? 根拠にはならんよ」

 兼守は鼻で笑った。そして、

「出版社は、これを遅くとも再来週の週刊誌で公表すると通告して来ている。そんな事になれば、事務次官にもご迷惑をおかけしかねないぞ」

 麻奈未を睨みつけた。麻奈未は息を呑み、絶句してしまった。

(なるほど、そういう事か)

 尼寺は兼守の本音を聞いた気がした。

(この男は、一之瀬事務次官を更迭させるために送り込まれたのだ。伊呂波坂はその人身御供ひとみごくうに過ぎないという事か)

 兼守は尼寺が自分を睨んでいるのを知りながら、何の叱責もせずに、

「もちろん、私も只ではすまない。部長である君も、直属の上司である君も、だ」

 尼寺から織部に視線を移した。

(あんたは局長を解任された後、もっと上に行く事になっているんだろう? まさかとは思うが、長官になるつもりか?)

 織部は怒りを堪えながら、兼守の顔を見た。

「自分の立場がわかったのなら、さっさと部署へ戻って、辞表を書きたまえ、伊呂波坂君」

 兼守はせせら笑って麻奈未に告げた。尼寺と織部は何も言えずに麻奈未を見やった。

「はい……」

 麻奈未は右目から一粒涙をこぼすと立ち上がり、一礼して局長室を出て行った。

「失礼します」

 尼寺と織部も一礼すると、局長室を辞した。兼守は脚を組むと、ソファにふんぞり返り、高笑いをした。


「伊呂波坂!」

 麻奈未を追いかけて来た尼寺と織部が声をかけたが、麻奈未は立ち止まらず、実施部門ミノリのフロアへ歩を進めた。

「落ち着け、伊呂波坂」

 織部が前に回り込み、麻奈未を止めた。

「まだ、終わってはいない。情報部門ナサケの報告を待て」

 織部の言葉に麻奈未は目を見開いた。

「どういう事ですか?」

 麻奈未はこぼれ落ちる涙を拭った。織部は麻奈未の左肩に右手を置いて、

「出版社が記事を上げるのが早過ぎる。これは罠だ。あらかじめ作っておいたものに君の写真を当てはめただけだ。何か裏がある」

 尼寺も前に回り込んで、

「あのままの記事を載せれば、黒田湊人も奴の兄の小次郎も無傷ではすまない。あれはハッタリだと思う」

「ええ!?」

 尼寺の推論に麻奈未は驚愕した。

「ついさっき、中禅寺から連絡があった。南渋谷税務署の神宮真帆さんが、重要な証言をしてくれたらしい」

 尼寺は茉祐子からのメールを麻奈未に見せた。

「この情報の裏が取れれば、四季島の企みを阻止できる。そして、それを突破口にして、連中の裏金作りと脱税を暴ける」

 織部が言い添えた。

「裏取りなら、任せてください。これ以上ない程の適任者がいます」

 麻奈未は尼寺と織部を見た。尼寺と織部は、

「ああ……」

 適任者に思い当たり、大きく頷いた。


「ちょっと、麻奈未、私は太蔵さんとりを戻して、ジャーナリストは引退したんだからね」

 麻奈未からの救援要請の連絡を受けた母親の美奈子は、口ではそんな事を言いながらも、顔は嬉しそうだ。

(美奈子さんは、表情と言葉が一致していないな)

 横で彼女を見ている夫の太蔵は半目になっている。

「仕方ないわね。これで最後だからね。次はないわよ」

 美奈子は悪巧みをしたいたずらっ子のような顔で応じると、スマホの通話を切った。

「太蔵さん、少しだけ、ジャーナリストに戻るわね」

 美奈子は微笑んで太蔵を見た。太蔵は肩をすくめて、

「少しだけでなくても構わないよ。娘のピンチなのだから、思う存分、戻っていいさ」

「ありがとう、太蔵さん! 大好き!」

 美奈子は太蔵の頬に熱烈なキスをした。

「おいおい……」

 太蔵は顔を赤らめた。美奈子はスマホを操作して、

「剣崎の遺した負の遺産を残らず退治しちゃうんだから」

 ニヤリとして通話を開始した。

「どうも、伊呂波坂です。昨年、封印してってお願いした件ですけど、あれ、解禁しますから」

 通話の相手は慌てているようだ。

「貴方には迷惑はかけませんから、安心してください。剣崎龍次郎の遺したゾンビ共をまとめて成仏させますので。では、また後程」

 美奈子は通話を切った。

「かわいい麻奈未にちょっかい出した事、これから先何十年も後悔させてあげるからね、おバカさん達」

 美奈子は時代劇の悪代官のような悪い顔になった。

「やり過ぎないようにね、美奈子さん」

 太蔵は無駄と知りながら、念を押した。

「はーい、太蔵さん」

 美奈子は飛び切りの笑顔で応じた。太蔵は深く溜息を吐いた。


「ふう……」

 自分の席に戻った麻奈未は、大きな溜息を吐いた。

「まだ心配か、伊呂波坂?」

 それを見た織部が声をかけた。麻奈未は苦笑いをして、

「心配はなくなりましたが、夫の記事にちょっとショックを受けています……」

「ああ、そっちか。確かにあれは想定外だった。まさか、君のご主人にまで触手を伸ばしていたとは、中禅寺も思っていなかったらしい」

 織部は席から立ち上がって、麻奈未に近づいた。

「一緒に写っていたのは、最近採用された岸森真実という職員です。夫も、優秀な子が入ったと言っていたのですが、まさか、四季島の息がかかった人間だとは思いませんでした」

 麻奈未は織部を見上げた。織部は頷きながら、

「その事なんだが、ご主人にはまだ話さないで欲しい」

「え? どうしてですか?」

 麻奈未は織部の提案に首を傾げた。織部は麻奈未の横の席に座り、

「こちらが気づいたと思われたくない。しばらく泳がせるんだ。只、ご主人には、同僚を巻き込んでしまったとだけ伝えてくれ」

「わかりました」

 麻奈未は頷いた。

(岸森さんがそんな存在だと知れば、お義母様が大騒ぎしそうだから、そうした方がいいわね)

 麻奈未は綾子の反応が心配になったので、黙っていた方がいいと判断した。

(でも、気になるのは、凛君が岸森さんとの事を何も話してくれなかった事だ。凛君に限って、そんな事はないと思うけど、押しに弱いから、岸森さんに強引に迫られれば……)

 そこまで考えて、麻奈未は妄想を止めた。

(凛君を信じよう。何もなかったから、岸森さんとの事を話してくれなかったんだ)

 麻奈未は良い方に解釈する事にした。


(ゲスな事を考える連中だ)

 財務事務次官の一之瀬は、兼守から回って来た麻奈未達の記事のメールを見て思った。

(兼守はこれを使って私を追い落とす刺客という事か。剣崎龍次郎が失脚したのは、国税のせいでも私のせいでもなく、自分のせいなのだがな。逆恨みもいいところだ)

 一之瀬は印刷した記事をそのままシュレッダーにかけた。その時、スマホが鳴った。

「はい、一之瀬です」

 一之瀬はワンコールで出た。相手が何か話している。

「成程。それは大変ですね。しかし、あの人は何のしがらみもありませんから、止められませんよ。いずれにしても、貴方に迷惑はかけないというのであれば、ご心配には及ばないと思いますよ。ゾンビを始末してくれるのであれば、むしろ貴方にとってもいい事ではないですか?」

 また相手が何かを話している。一之瀬はフッと笑って、

「そうです。あくまでも、一連の出来事はあの男が勝手にしでかした事です。貴方は何も関係ないです。好きにさせておくのが得策ですよ」

 更に相手が喋り出したが、

「九条君が万事うまく取り計らってくれるでしょう。彼に任せておけば、大丈夫です。はい。それでは」

 一之瀬はそれだけ告げると、通話を終えた。そして別の相手に通話を開始した。

「九条君、あの方が気を揉んでおられるので、君の名前を出しておいたよ。兼守の暴挙は放っておいていい。尼寺と織部がうまくあしらうだろう。兼守は君の椅子を狙っているようだから、それだけ気をつけてくれたまえ。まあ、君の事だから、すでに織り込み済みだとは思うがね。頼んだよ」

 九条というのは国税庁長官の名である。一之瀬は通話を終えると、スマホを机の上に置いた。

(彼女が動くのであれば、私は何もしなくていいか)

 一之瀬は美奈子の動きを掴んでいた。彼が美奈子と味方なのか敵なのかは定かではない。

(先輩、うまくコントロールしてくださいよ)

 一之瀬は美奈子の夫の太蔵の後輩である。そして、太蔵の天下り先を斡旋したのは一之瀬である。官僚の世界は複雑なのだ。


(俺は卑怯だ)

 凛太郎は顧客からの帰り道、自責の念にさいなまれていた。昨夜、麻奈未は自分が昔好きだったアイドルに会い、食事をした事を凛太郎に謝罪した。

(アイドルに夢中だったのは大学生の時で、その頃は俺とは何の接点もない。だから、麻奈未さんは謝る必要はないんだ)

 凛太郎は麻奈未にそう言ってなだめた。

(食事をしただけなら、何も問題はない。それに引き換え、俺は岸森さんとの事を麻奈未さんに言わなかった。謝るべきは俺の方なのに)

 どうしても言い出せなかった。優菜との事があるから、麻奈未に疑念を抱かれると考えてしまったのだ。

(今日、麻奈未さんが帰って来たら、すぐに土下座をして謝ろう。悪いのは俺なんだから)

 凛太郎は事務所があるビルの階段を駆け上がった。

「只今帰りました」

 ドアを開いて告げると、

「お帰りなさい、先輩」

 そこには真実しかいなかった。

「あ、あれ、所長は?」

 凛太郎は警戒心マックスで真実との間合いを取りながら、自分の机に近づいた。

「所長は早退しました。体調が悪いみたいです」

 真実は凛太郎を見ずに言った。

「え?」

 という事は、終業時間まで真実と二人きりという事だ。凛太郎の鼓動が速くなった。

「二人きりですね」

 真実は意味深な事を言い、スッと近づいて来た。

「そ、そうだね」

 凛太郎の背中を嫌な汗が伝う。

「いい事しませんか?」

 真実がいきなり背後から凛太郎に抱きついて来た。

「な、何をするんだ!?」

 凛太郎は反射的に立ち上がって、真実を跳ね除けた。

「痛ァい。酷いなあ、先輩は」

 真実は大袈裟に転び、スカートをめくり上げて、下着を見せた。

「ちょ、ちょっと!」

 凛太郎は慌てて目を背けたが、

「先輩のエッチ。所長にセクハラで訴えますよ」

 しかし、真実はスカートを直すどころか、ホックを外して脱ぎ捨てた。

「き、岸森さん、何を……」

 凛太郎が動くより早く、真実が抱きついて来た。

「だから、いい事しましょうよ」

 真実は凛太郎の股間に右手を充てがって来た。

「う……」

 凛太郎は身を捩ったが、真実は放さなかった。

「あれれ、期待してました?」

 真実が舌舐めずりをする。凛太郎は不覚にも反応していた。

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