第3話 美術館にて
近年リニューアルされた美術館は、メインの出入り口を地下に掘り込んであり、そこからカフェとミュージアムショップへ行けるようになっている。しかも展覧会を見なくても中央ホールは無料で見学が出来るのだ。
「わあ、ここからだと大鳥居がすごく近い」
案内されたカフェの席は、平安神宮の大鳥居が眺められる明るいテーブルだった。
「本当に冬里ってば、言うに事欠いて後にしろなんて。ま、いいけどね。さーて何を頼もうかなあ……、あ、クラフトビールがある、これにしようっと」
「え? 大丈夫なんですか?」
依子のオーダーに驚く椿。
「んーなにが」
「アルコールなんて、展覧会の前なのに」
するとなんと夏樹までが「俺も!」と言い出す始末。
「まあ、夏樹はいいけど」
椿は夏樹のアルコール耐性をよく知っているので反対はしない。すると横から由利香が可笑しそうに言い出した。
「そうか、椿は知らないのね」
「なにが」
「依子さんもね、夏樹に負けず劣らずよ」
「え? そうなの?」
しばしぽかんとしていた椿だったが、それを聞いて安心したように笑顔になった。
「だったら許します。大いに楽しんでください」
「あらあ、ありがとう」
椿と由利香は無難にカフェラテを(もちろん由利香はスイーツもオーダーしている)、依子と夏樹はクラフトビールの飲み比べなど頼んでご満悦だった。
さて、同じ頃、ふた組のカップル? は展覧会場へと入っていた。
入場してすぐに、冬里が気に入った例の天使たちがいた。この展覧会ではアモルとかエンジェルとかで表現されている。
「へえ、いきなりの登場だね、太っ腹~」
「んん? 何がだ?」
「これってさあ、ポスターにもなってる絵だから、出し惜しみして最後の方に展示してあるのかと思った」
「ハハハ、面白いヤツだなお前」
「まあ、そのあたりは色々思惑があるんだろうけどね」
先に入ったのはシュウと奈帆、少し遅れて冬里とディビーだった。
作品ごとに説明書きがあったりなかったり、けれどその説明がなかなか面白いので奈帆は思わず読みふけってしまう。そんな奈帆を急かすでもなく引き留めるでもなく気配を消して付き添うシュウ。
奈帆の性格から、シュウが待っているようなそぶりを見せれば、ゆっくり作品を見ることもしないだろうから。
けれどある所まで来たとき、ずっと展示を見ながら歩いていた奈帆が、ふと聞いて来た。
「鞍馬さんにとって、愛とはどういうものですか」
「愛、ですか」
「あ、すみません。でも、ここまで見てきて、なんかこう、愛にも色々あるんだなって。良い意味だけでは無くて」
「そうですね。ここで言われているように執着もまた愛の形、と言えば聞こえは良いですが、そう言う解釈もできますね」
と、シュウは目の前の絵を眺めながら、考えている。
「私の考える究極の愛とは、すべての生きる者が幸せで平和であること、と言うものなのですが、けれどこの解釈だと、もう神か仏のようになってしまいますね」
ほんの少し苦笑を混ぜて言うシュウに、奈帆が真顔で答える。
「鞍馬さんなら当然かなと思いますけど」
すると今度は可笑しそうに笑うシュウ。
「それは、あまりにも買いかぶりすぎですよ……。あ、それから、すべての生きる者の中にはあなたも入っています」
「え?! えっと」
いきなりの言動に、思わず目を見張る奈帆。けれどその意味は。
「あなた自身のことですよ。すべてですから自分もその中に入るのは当然のことです。洋の東西を問わず、しばしば自己犠牲は尊いものとして捉えられがちですし、人はたいてい自分のことは忘れがちです。けれどすべてと言うなら、自分自身も幸せで平和でなければ、嘘になりますね」
「あ、はい……」
「ご自分を大切になさらない人が、人の事をどうこう言う資格はないと、私は思いますよ」
「でしたら鞍馬さんも、ご自分が大切なんですか?」
思わず聞いてしまった奈帆に、シュウは当たり前のように答える。
「もちろんです。ですが私が私を大切なように、他の方もまたご自分が大切なのですよ。だから人を見下すような考え方はしてはいけません」
「あ、はい。わかります」
優しく微笑む姿やこれまでのシュウの言動から、シュウはまず他人のことを1番に考えているとしか思えないし、いざというときは自分を盾にしてでも他人を守りそうだけれど。
究極の自己犠牲を行うのがシュウと言う感じだ。
そんな奈帆の戸惑いを察したのか、シュウは苦笑いしながら言う。
「私は自分が大切でしかも自分が大好きですよ。そして自分が大切だから、自分を守りたいから、同時に強くありたい。それは身体だけではなく心もです」
「あ」
「その点に関する努力は、怠らないようにはしているつもりです」
奈帆は改めて、こんなにはっきり自分が大切だと言い切れるシュウの、底知れない力や強さや秘めた努力を想う。
返答が遅れた奈帆に、シュウの表情が心なしかいたずらっぽくなる。
「けれど、困っている方を見ると、ついうっかり助けてしまうのですよね」
「え?」
さすがにこのセリフにはボカンとする奈帆。
「つい、うっかり?」
「はい。ついうっかり」
微笑むシュウに、奈帆は吹き出しそうになる。冬里や夏樹ならともかく、シュウから、ついうっかり、などというセリフが飛び出すとは思ってもみなかったからだ。
人をそんな風に助けてしまうなんて。
自己犠牲のような悲壮で重々しい感情からではなく、ついうっかり。
奈帆はこらえきれずに笑い出してしまった。とはいえ、かなり抑え気味にだけど。
「うふふふ、嫌だ、鞍馬さん可笑しすぎます」
「そうですか?」
生真面目に答えるシュウに、奈帆はなぜだか嬉しくて楽しくて仕方がなくなるのだった。
少し離れたところで、2人の様子をうかがっている2つの影。
言わずもがな、冬里とディビーだ。
「なんか楽しそうじゃないか、あの2人」
「え? あーうーん、……そうだねえ」
珍しく冬里の歯切れが悪い。
じつはディビーに言いそびれていたのだ。いたずら好きな自分たちが奈帆とシュウをくっつけようとする算段をしているのを知り、シュウがかなりご立腹だと言う事を。
さて、どうしようかなあ、けどここはちゃんと言うしかないね。
と、口を開きかけたとき、ディビーも同時に口を開く。しかも、どことなく元気がない?
「やっぱり、あの2人をくっつけるのはあきらめよう。いいよな?」
「え?」
「お前も人が悪いぞ、冬里」
「ええっと」
なぜいきなりそんな話になるのか、さすがの冬里も訳がわからない。
「さっきな……」
ここまで来るときに地下鉄を利用したのはご承知の通り。
その車内で、ディビーと夏樹が皆から少し離れてしまう場面があった。
「その時に、鞍馬の話が出てさ。夏樹がポロッとこぼしたんだよ。シュウさんには、ずっと忘れられない人がいる……ってさ」
「へえ」
「お前は知らないのか?」
冬里の反応の方に、少し驚くディビー。
忘れられない人って、……うーん、アレンのことかな? それともリュシル? まあどれにしてもそんなに色っぽい話でない事は確かだ。
と、ここまで高速で考えて。
「うーん、心当たりが、ないこともない」
「なんだそれ」
「で? それでなんで2人をくっつけるのをあきらめるの?」
墓穴を掘りそうだとは思ったが、ディビーの心変わりにものすごく興味があった。
「夏樹がその言葉をつぶやいたとき、なんて言うか、とても寂しそうだったんだよ。だから」
「うん」
「奈帆が入る場所なんてアイツの中にあるのかな、て思ってさ」
「へえ、けど奈帆の努力次第かもよ?」
「いらん努力なんて、しなくていい。奈帆には自然に幸せになってもらいたいんだ」
なるほどと大いに頷く冬里。
これってさ、ディビーの奈帆に向けた愛だよね。この展覧会にぴったり? フフ。
それにしても、夏樹ってばタイムリーで良い仕事してくれるじゃない、今回ばかりは褒めてあげよう。
「ああ、麗しきかな、ディビーの愛」
「はあ?」
冬里が本当に楽しそうにそんな事を言うものだから、ディビーはあきれながらも大笑い、は、会場では出来ないので控えめに笑っておく。
「ハハハ」
笑いが収まったところで、ディビーが今さらのように言う。
「けどさ、この展覧会、恋愛興味なしのあたしたちには全然似つかわしくないな」
「そうだねえ、どっちかって言うと、恋する者たちにちょっかいかけるエンジェルの方だよね、僕たちって」
「僕たちじゃなく、僕が、の間違いだろ」
「ええ~、ディビーもちょっかい好きじゃなかったっけ~」
「お前と一緒にするな」
顔を見合わせて笑い合うと、2人は見えてきた出口へと足を向けた。
ところで、後発隊(由利香たちのことです)はどうなってるかって?
「さあーて、鋭気も充分養ったので、そろそろ参りましょうか」
依子がグラスに残ったビールを飲み干して言う。
「はい!」
「そうね、もう大丈夫よね」
「ああ、たぶんね」
各々が言いながら、席を立つ。
そして、依子を先頭に、展覧会場へと突入? して行くのだった。
会場に入ってすぐ、音声ガイドを見つけた夏樹。
「依子さん、音声ガイドですって。これ良いかもですよ」
「なによ夏樹、私と話したくないから、そんなの借りるの?」
「へ? いやいや違いますよ。なんかこういうの聞きながらって、楽しそうじゃないっすか」
「そうねえ、私もこう言うの初めてだから、試してみるか」
そんなやり取りを経て、依子と夏樹のカップル? は、音声ガイドにナビゲートしてもらいながら会場を見て回ることにした。
椿と由利香は、時間のかかりそうな2人を置いて先に会場に入ってしまう。
展示してある絵とたまに掲げられている説明を交互に見ながら、由利香は驚くほど物静かだ。会場は4つのパートに分かれていて、ひとつごとに趣旨が違う。
椿はそんな由利香を急かしもせず引き留めもせず影のように付き添っていく。
あれ? 先ほど誰かもこんな感じだったような。
「ふうん」
ある所まで来ると、由利香が冬里のような言い方をするので、椿は思わず声をかけてしまった。
「どうしたの由利香」
「なにが」
「今の、ふうん。冬里みたいだった」
「え? そうかなあ。けど、冬里には関係あることかも」
「なになに?」
説明が聞きたかった椿が言うと、由利香はなるべく人気の少ないところまで椿を引っ張って行き、抑えた声で言う。
「私たちだったら、こういうなんて言うの、愛なのに暴力ふるうとか魔術で虜にするとか、わかるんだけど」
そして今度は耳元でささやくように。
「鞍馬くんたち千年人には、理解できるのかしら」
「ああ、そういうこと」
椿はふむ、と、考えるように首を傾げる。
「それは、俺にもわからないよ。気になるならあとで聞いてみたら?」
と、至極もっともなことを言う。
「えーっと、……うん、それもそうね、じゃあそうするわ」
ガッカリするほど素直に由利香は頷く。椿は苦笑い。
その後は吹っ切れたように、いつもの由利香に戻る。
「わあ、この絵、ごちゃっとしてるのになんだか綺麗ね」
「この時代の女性って、ふっくらしてるのが綺麗だったのよねえ。現代もそうならないかしら」
主催者に申し訳ないほど愛とはかけ離れた感想を述べつつ、展覧会を大いに堪能してまわったのだった。
ところで音声ガイドを借りた依子と夏樹は。
とある展示の前で、2人は仲良く音声ガイドを聞きながら真剣に鑑賞中だ。
けれどやはり、そこに夏樹がいると。
ふと絵画から夏樹に目を移したレディたちが、はっと息を飲んで頬を染める。音声ガイドに聞き入りながら真剣に展示を見る姿は、やはりどの作品より絵になっている。
夏樹の周りには、大勢のいたずら好きなキューピッドが飛び回っていて、彼女たちのハートに矢を放っているようだ。当人ははちっとも気づいていないんだけどね。
キューピッドの矢に当たると、その相手に恋い焦がれるという説明書きがなされているが、それがこの場で実践されるとは、誰が考えたでしょう。
依子は、たいしたもんねえ、と、面白そうに状況を眺めつつガイドにも耳をかたむけなくちゃならないので、なかなかに忙しい。
ただし。
この矢は期間限定、と言うより会場限定。
出口から続く展覧会のお土産ショップが魔法を解く鍵だ。
「ハッ」
と矢が抜けて、その心はグッズに釘付け。女性にとっては手に入らないイケメンより、お持ち帰りできるグッズに勝敗が上がるのは当然のことだろう。
各々がそれぞれに愛を堪能して。
女性陣はミュージアムショップに目がくらみ?
また、ディビーと奈帆は、建物を隅から隅まで見て回りたいと主張して。
美術館を出た頃には、昼をとうに過ぎていた。
本日の昼食は、まだ行ったことがない2人のために「料亭 紫水」を予約してある。
先ほど冬里が、「終わったよ~」の連絡を入れていたようだ。
美術館の横あたりで待つように冬里から言われた由利香が、ふと気づいて言う。
「また、長ーいリムジンが来るんじゃないでしょうね」
だがその心配は不要だった。
美術館の近くに次々現れる高級スポーツカー。
「お?」
「え?」
「なによこれ」
「さあさあどうぞ、お好きなのにお乗りください」
「冬里……、あんたってホントに……、私、アストンマーティン!」
「え、ずるいぞ。だったらあたしはポルシェ!」
「ええっと、私はよくわからないので、残ったので良いです」
結局、奈帆とシュウがフェアレディに。
夏樹と依子は?
アルコール摂取済みのため、アストンマーティンに同乗することになったのだが……。
「へ? 由利香さんが運転するんすか?」
「当たり前よ! アストンマーティンよ! これを逃したら一生運転できないもの」
「あ……、俺、降ります」
「え?」
「歩いて行きます」
「なんでよ」
「だって俺、まだ死にたくない!」
「失礼ね!」
「夏樹、大丈夫、死ぬときは一緒よ」
「なんで2人とも、死ぬ前提?」
などと、大もめがあったのだが。
そのあとは皆、無事に料亭紫水で昼食を頂いたとさ。
めでたしめでたし。
やっと行って参りました「ルーブル美術館展」。
なのでここでようやくお話もアップです。
美術館のあれこれは、気が向いたら「旅する不思議」に書こうかな、とも思っていますので、興味のある方はそちらを、あまり期待しないでお待ちください笑。
さて、お話はまだ続きます。
あ、最後のスポーツカーは私の趣味でございます、あしからず。
全部乗ってみたーい!