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絶対に働きたくなかった男

作者: 七島

 俺は予てより、この社会に絶望していた。

 何故絶望したのか? 働かなくてはいけないからだ。


 いつからか人は知恵を得て、原初の共同体たる家族はやがて集団になり、集団はやがて国家となった。その過程で共同体を構成する人数は増大し、現代に至るとその数はこの日本においては一億を優に超えている。

 国家がこれほどの国民を有しておきながら、なぜ俺は働かなければいけないのか。労働など、好きな人間にやらせればよいのではないか。少なくとも、俺は労働が嫌いである。大嫌いである。可能であれば一生を遊んで過ごしたいと思っている。そのような人間に強制的に労働を強いることは、果たしてのこの人権の尊さが声高に叫ばれる時代において、金科玉条として掲げるべき正義に値するのであろうか。俺は大いに疑問を呈したい。

 だがしがし、誠に遺憾ながら日本国憲法なるものには、その27条1項に勤労の義務なるものが記されている。これに反する者は社会一般に於いては漏れなく人間の屑として見られ、常に後ろ指を刺されながら暮らさなくてはいけないのだ。誰だ書いたのは。

 この社会において働かずに暮らすにはどうすればいいのか──答えは簡潔にして明快である。資本主義社会における最終回答。即ち金だ。死ぬまで労働せずとも済むほどの資産があれば、当然ながら無駄な労働などする必要は一切無い。

 現代社会において大金を稼ぐ方法はそれなりにある。大きな幸運か、少しばかりの知性と機転があればだが。

 例えば、漫画家。漫画大国であるこの国では、一作のヒット作を出すだけで巨万の富を得ることも珍しくはない。

 例えば、スポーツ選手。プロ野球選手などであればその年俸は上位ランクであれば数千万円を超える。

 他にも小説家、歌手、アプリ開発、etcetc……やり方は枚挙にいとまがない。

 では、それらの中からいずれかを選べばいいのかと言うと、実はそれは正解とは言えない。

 上手く事が運び大金を得たとしても、それは将来までを含めた完全なる保証とはならないのだ。悪質な詐欺に遭って財産を失うかもしれない。それまでの仕事上の付き合いから依頼を断れず、やりたくもない仕事を延々と続けなければいけなくなるかもしれない。ハイパーインフレーションが発生して日本円が紙屑になる可能性も絶無ではない。

 ただ金を得るだけでは真の自由は決して訪れないのだ。

 必要なものは、この社会そのものを変革する覚悟である。

 そのためにすべき事。

 それは──

 そう、お笑いである。


 そう決めてからの行動は早かった。まずは勤めていた会社に退職の意思を告げ、業務の引き継ぎを済ませてから退職した。

 そして、お笑い芸人への修行が始まった。まずは相方探しから始まり、人気お笑い芸人の分析、ネタの作成と練習、漫才グランプリの対策……やることは多かった。

 コンビ結成から一年。初めて挑戦した漫才グランプリは、予選落ちという結果に終わった。己の不甲斐なさと悔しさに涙を流したが、この時飲んだ苦汁の味は俺達を確実に強くしただろう。

 ニ年目の挑戦。2回戦敗退という結果に終わる。腕を上げたという確かな自信があったが、人気を得るために安易に流行のネタを取り入れたことを浅薄な芸と捉えられたか。猛省。

 一年を修行に費やした後、四年目の挑戦。決勝戦に進出するも、惜しくもそこで敗退。「技術は確かだが、それに溺れすぎていないか」という審査員評が耳にこびりついて離れなかった。

 俺達は馬鹿だった。漫才は上手ければいいという物ではないということを忘れていた。芸人と客、この二つがあって漫才は初めて成立するのだ。俺達は自身を向上することにばかり目を向け、客の方を見ていなかった。

 翌年の挑戦。全てを懸けた俺達はついに──念願の優勝を飾った。

 打ち上げで相方と飲んだビールの美味さは、きっと一生忘れないだろう。

 

 漫才グランプリ優勝後、テレビ番組出演などの大きな仕事が一気に来るようになった。だがここで油断してはいけない。いくら漫才で優勝したと言っても、キャラクターが面白くなければテレビの仕事はすぐに来なくなる。

 俺はどこでも使いやすい一発ネタで自身をアイコン化し、更には無礼ネタだがギリギリ炎上しないレベルのバランス感覚でキャラを演じ、芸能界において確かな存在感を持つことが出来た。

 相方は人気が出なかったので捨てた。

 俺は群がる芸人好きな女達には目もくれず、高級外車を買い漁る事もなく、先輩芸人には媚びへつらい、後輩芸人にはたらふく食わせ、真面目に仕事をこなし続けた。

 そして十年ほど芸能界での活動を続け、お茶の間の人間の大半が俺の顔に好感と安心感を持つようになった頃になって、ついに動き出した。

 国政選挙への出馬である。


 芸人となり芸能界へ食い込んだのは全てこれが目的だったのだ。何の後ろ盾も持っていない俺が選挙に出馬して当選するために選んだ秘策だ。

 芸能界で働き続けて得た資金と人脈、そして国民の知名度は──狙いどおりに、俺を国会議員へと導いた。

 だがここはまだ終わりではない。何度目かのスタート地点だ。

 海千山千魑魅魍魎集うこの永田町にて、新参者が力を得ていくのは決して易しい道ではないだろう。

 だが俺は決して諦めはしない。いつの日か、俺が働かなくても良い社会を実現するために。

 

 ◆◆◆


「ここで臨時ニュースをお伝えします」

「昨日病院に緊急搬送された○○総理が、本日の午後六時過ぎ亡くなりました」

「総理は出馬当初から『働きたくない人間が働かなくていい社会の実現』を公約として掲げ、人工知能や新エネルギーといった分野を強力に後押しし、ついには実現を──」


 ◆◆◆


「ああ……これでようやく、働かなくて済む……」

 末期の言葉を短く残すと、満足気に彼は逝ったという。

 己の理想の社会を作り上げた矢先の事だった。


 享年63歳。誰よりも働きたくなかった男の、誰よりも働いた生涯が閉じた。

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