5. この世界は正常じゃない
思いのほか、醜悪でも、奇異でもなかった。エシルイネの素顔は両目がなくとも、綺麗に整っているという印象を受ける。当の彼女は特に恥じ入っている様子もなく、例の禍々しいような、皮肉に満ちたような笑みを浮かべ、複数の存在が感じられる方向に顔を向けた。
「来たわね」
武雄はエシルイネを無視し、利史郎と知里に向けて言った。
「警部の報告を頼りに付近まで来たのは良かったが、島を発見することは出来なかった。しかしそこで、彼女の――」
何と言って良いのかわからない、というように言葉を濁す。利史郎は察して応じた。
「声を聞いた」
「あぁ。お前は言っていたな。彼女は〈見る〉だけではなく、〈伝える〉事も出来るかもしれないと。恐らくその通りなのだろう。それに誘導され、島の影を見つけることが出来た」
知里は話の間じゅう、片眉を上げ腕を組み、エシルイネの顔を品定めしていた。やがてしゃがみ込んで鉄格子の向こうで座り込んでいる彼女を覗き込むと、怪訝そうに言う。
「はてさて。何を考えてるもんだか。裏切り? どうだかね」ただ笑みを向けるだけのエシルイネに尋ねた。「なら、彼は何処にいるのか、見られるでしょう? 教えて」
「無理よ。今は見えない所にいる。もう少し近づかないと」
「じゃあ、アイツはこれからどうするつもり?」
「知らないわ。何も聞いてないもの。知っていれば何でも話すけれど――本当に知らないの」
ふん、と知里は鼻をならしつつ立ち上がり、利史郎に言った。
「こいつは信用ならない。また意味わかんないこと考えて、適当な事を言ってるだけ」
「あら、私は吊される覚悟でここに来たのよ。それくらいはわかるでしょう」
「わからない。アイツに洗脳されてたら、何だってするでしょ」
「知里さん、ここは僕に」言って彼女の隣に並び、顔を向けてくるエシルイネに向き合った。「あなたは――僕の提案に興味がある、と思って良いのでしょうか」
提案、と首をかしげる知里。エシルイネは変わらぬ笑みのまま応じた。
「そうね――どちらかというと、貴方に興味がある、と言った方がいいかしら」
「僕に?」
「私はね」少し疲れた様子で、彼女は壁に背を保たせた。「私の未来にも、彼の未来にも、言ってしまえば世界の未来にだって興味はない。どうだっていいのよ、そんなこと。何故だかわかる?」
「――貴方には全て、見えてしまうから」
「その通り。たぶん世界中で一番複雑怪奇な場だろう五帝国会議だって、実は個人の単純な思いで動いている。そこに驚きも、楽しさもない。私はいつも思うの。〈またこれか〉、って。わかる?」頷く利史郎に、彼女は続ける。「でもDloop。彼らは少し――面白い。彼らは酷く単純な目的のために動いているけれど、それを実現する手段がとても複雑。それを読み解いていくのは、それなりに楽しい」
「レヘイサムは」
「ヒトの中でDloopに最も近い思考が出来るのは誰かと問われたら、彼でしょうね。けれども彼には、Dloopのような知識も寿命もない。だから冒険をし、博打を打って、目的を目指すしかない。ま、それが彼の魅力を生んでいるとも言えるけれど」
ふむ、と唸る利史郎に、彼女は身を乗り出す。
「そして貴方。貴方はレヘイサムと良く似ているけれど、一つだけ違っている。それは――貴方は、彼以上に無謀な事をしようとしている」
「無謀? 僕が?」
本心から問い返すと、エシルイネは真剣な面持ちで頷いた。
「えぇ。貴方だって、心の奥底ではわかっているはずよ。〈この世界は正常じゃない〉って。今の五帝国に支配された体制は全て、Dloopが仕組んだものよ。人類じゃない。異質な思想、異質な目的のために穿たれた軛。貴方だって、彼らが現れなかった世界を考えてみたはずよ。それはどうなっていたのかしら? やっぱり幾つかの帝国が世界を支配していた? それとも共和国のように貴族はみんな吊されて、馬鹿な平民たちが毎日喧嘩して、大騒ぎして――それでも何とか平和であろうと四苦八苦している世界が訪れていたかしら?」
「――わかりません」
「そうよね。私にもわからない。けれど、一つだけ確かなのは――五帝国体制に抗うのが、ヒトにとって正常な道筋だということよ」
確かに、それは正しい。五帝国体制はDloopによって強制された物だ。それはヒトの進歩を――有益か有害かを問わず――阻害している。
「つまり、レヘイサムは盤石な体制に対して無謀な反逆を試みている存在――そういう見方は誤っているの。実際は――彼こそが人類の行く末を体現している、順当な――盤石な未来に賭けているだけの、つまらない存在」そういう見方も出来る。「そして貴方は? 彼の目的を邪魔しようとする貴方は? 人々の安寧を守る正義の存在のように見えて、その実は――人類全てを敵に回している、稀代の反逆者。レヘイサムではなく貴方こそが、時代の流れに逆らい、無謀で無意味な戦いをしているドン・キホーテ」
「――だから、僕の方が面白いと?」
彼女は心からの笑みを浮かべ、頷いた。
「そう。これで納得してもらえたかしら」
まだ懸念が残っていた。それを改めるべく、利史郎は問いを発する。
「では、以前の問いをもう一度させて戴きます。レヘイサムは怪人ですか」
彼女は小首をかしげ、答えた。
「貴方はもう、その答えを知っているものだとばかり思っていたのだけれど」答えない利史郎に、彼女は背筋を伸ばした。「まぁいいわ。その答えは、否であり、然りでもある」
「それでは、彼が怪人たちを支配できている理由は?」
「それは――私と他の怪人では、理由が違う。言ったように私は彼の生き方に興味があっただけ。でも他の連中は――何か別の理由があるみたい。私にはわからなかったけれど」
利史郎は全ての会話を改めた。そしてそこに何の矛盾もなく、これまでに知った彼女の性格とも相反しないと断じ、立ち上がりながら武雄と牧野に言った。
「彼女は信用出来ます。警部、尋問をお願いします。恐らく嘘は吐きません。あまり有用な情報は得られないでしょうが――」
「ちょっと!」
営倉を出て甲板に向かう利史郎を、知里は追ってきた。そして側舷から霧が晴れつつある空を眺める利史郎の肩を掴み、苛立った様子で言う。
「説明して。アイツにした提案って?」
ふむ、と利史郎は唸り、手早く応じた。
「以前尋ねたんです。〈あなたはヒトになりたいか〉と。〈そう望むのであれば出来るかもしれない〉。その誘いに乗ったのかと思ったが違った。彼女の行動原則は好奇心なんです。それも特に、人物に対する。そして彼女はレヘイサムより、僕の方が面白いと思った。そういうことです」
「好奇心なんて、満足されれば失われる。あんたはエシルイネを、どれだけ惹きつけていられるつもり?」
「さぁ。それは何とも」更に苦情をはさみかけた知里を遮り、「でもそんなことはどうでもいいはずだ。貴方の本当の疑問は、僕が貴方の素性を明かすつもりがあるかどうか、だ。それを探る盾にするため、エシルイネさんを利用しようとしている」
確信があった。そしてそれを裏付けるよう知里は口を噤み、眉間に皺を寄せ、じっと利史郎の顔を見つめる。それは相当長く及び、利史郎は代わって答えた。
「ご心配なさらずに。明かすつもりはありません。ですが一つだけ知りたい。貴方とレヘイサムは――Dloopとどういう関係にあるのですか」
やはり、知里は沈黙を守った。そこで更に、利史郎は続ける。
「レヘイサムは僕の言葉を遮り、あなたたちが兄妹だと明かした。しかし僕が彼に指摘したかった事実はそれじゃない」
「――そんな事、言ってたわね」
「あなたたちが兄妹かどうか。そんなことよりも重要な事が、あの推理の先にはあります。Dloopがレヘイサムに目を付けている。それは当然のことですが、何故あなたまで目を付けられていたのか。兄妹だから? いえ。彼らはその程度の事実は重要視しません。なぜならレヘイサムも言ったように、あなたたちが肉親だろうが何だろうが、事態に何の影響もないからです。しかしDloopは貴方を知っており、レヘイサムの行方を尋ねた。何故か。つまりあなたたち兄妹は以前から、Dloopと何らかの関係があったとしか思えません。しかしそれを探る手がかりは僅かだ」
知里はおもむろに煙草を取り出し、強い風に負けないよう火を付ける。そして燐寸を側舷から投げ捨てると、灰色の煙を吐きながら言った。
「それで?」
「――貴方の知能の源流は彼にある。それは確からしい。では、彼の知能の源流は? どうやって彼は未だ本当の名前も探り出せていない無名の蝦夷から、帝国を揺るがす知識人となったのか。そこで僕は、一つの例を思い出した。荒唐無稽ではあるが、確かに僕らが体験した事象です。それは――」
「コロポックルって知ってる?」頭を振った利史郎に、彼女は続けた。「蝦夷の山奥のお話だからね。でも確かに存在する。怪人の一種――とはいっても、妖怪ではなく、物の怪の系統だけれど――私と兄さんは、元々はコロポックル――だったんだと思う」
その告白について、利史郎より彼女自身の方が、余程戸惑っている様子だった。
「そう、エシルイネが言ったように、この世界は正常じゃない」




