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スチームパンク2077  作者: 吉田エン
五章 探偵の追跡
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12. 伊集院昭典

 闇の中をどれだけ降りただろうか。煙突の出口が小さな点になりかけた頃、不意に足が硬い床を捕らえた。懐中電灯を取り出し、左右を照らす。単純に岩を刳り抜いただけの簡単な穴が一方に伸び、奥の方では歯車で回転するプロペラが設えられていた。


 生ぬるく薬臭い空気が吹き付けてくる。利史郎は鞄を探ったが、丁度良さそうな道具は何もなかった。仕方なく懐中電灯を歯車の間に挟み、プロペラが止まっている間に急いで抜ける。


 それで電灯は駄目になってしまった。代わりに燐寸を擦って奥に進んだが、記憶していた図面によればそう遠くないところに出口があるはずだった。果たして間もなく明かりが見え、そっと覗き込むと、そこは様々な機械の置かれた研究施設のようだった。


 人影はない。そこで利史郎は思い切って穴を這い出て、床に飛び降りる。全体は教室ほどの広さはあるだろうか。数カ所にランプの明かりが灯されていたが影が多く、全体は見渡せない。だが利史郎の目は一際大きな円筒形の装置に吸い寄せられた。


 何とも形容しがたい装置だった。小型の蒸気機関車ほどの大きさがあるだろうか。円筒形の骨組みによって中央にある球形のタンクのらしきものが固定されている代物で、見るからにオリハルコン製らしい黄金色を発している。


 まったく正体がわからず、様々な紙が散らばった机上を改める。どうやらその動作を示す矢印だらけの図を見つけたが、それもまた奇妙だった。中央に置かれた半球形の物体に対し、蒸気機関を用いた砲のような仕組みでもって同じ半球形の物体を放ち、衝突させるようだ。


 内部を覗き込んだが、そこには治具があるのみで、図にある半球形の物体は存在しない。


 この機械は、一体何なのか。


 そう別の資料に手を伸ばそうとした時、不意に両開きの扉に鍵が差し込まれる音がした。すぐに身を隠すと、現れたのは先ほど地下に消えた伊集院、そして彼に付き従うのは、白無垢の和服の女――エシルイネだった。


「さぁ、ここが私の研究室だ」


 伊集院は両手に提げた鉄鞄を慎重に机上に置きつつ、その甲高い声で言う。先ほどは遠くてわからなかったが、その側面には見覚えのある印が浮かんでいた。


 S.P.Q.R、ローマ共和国連邦。レヘイサムの組織の裏にはローマがいる。武雄のその推理は正しかったのだ。


 中に促されたエシルイネは、おもむろに手のひらを周囲に向ける。その中央でぎょろつく目玉は、一つ一つの装置を興味深そうに眺めていった。


 彼女に利史郎が見えていないはずがない。だからすぐにでも対応できるよう拳銃を懐から取り出して用意していたが、彼女はあえて利史郎のいる方向には目を向けず、興味深そうに言った。


「へぇ、凄いわね。D領でも、ここまで複雑な機械は見たことがない」


「ふん、複雑なのが良いと思うのは素人だけだ。無数の歯車、無数のピストン、大量の石炭に大量の蒸気。Dloopほどの存在となれば、そんなものがなくとも同じ仕組みを実現出来るに違いない」そして伊集院は片眼鏡の位置を直し、胡散臭そうにエシルイネを見つめた。「しかし機械に興味がある怪人というのは珍しい。連中は大抵、この手の物は歯牙にもかけんもんだが」


「あら、どうして?」


「機械の力よりも、自分の力の方が凄いという自負があるのだろう。狼も、蝙蝠も、ここには近づこうともせん。君は――〈千里眼〉だったな。君はそうは思わんのか」


「確かに私は遠くを見られるけれど、電信のように帝国の端から端まで言葉を伝えるなんてことは出来ないもの」感心したように呻く伊集院に、彼女は利史郎が目を付けた装置を見上げながら続けた。「それで、これが例の物?」


「あぁ。オリハルコンを十本も使った。それだけないと、必要な遮蔽力と射出のための高圧を作り出せなかった。まぁ、まだまだ改良の余地はあるが――ひとまず、これがあれば、あとは問題ない。共和国の連中が言いつけ通りに作っていれば、だが」


 彼は並んだ鞄の蝶番を順に外し、開く。途端に利史郎は身を震わせた。左手首の腕輪はそれまで、エシルイネの存在に引き寄せられるような微動を続けていた。しかしそれが、今までにない震え方をしたのだ。まるで高速な地面にとられるハンドルのように身じろぎし、利史郎は焦って右手で腕輪を捕らえつつ、鞄の中身に目をこらす。


 銀色の球体だった。赤子の頭ほどの大きさのあるそれは半分に割られており、二つの鞄に分けて入れられている。


 エシルイネも何かを感じているらしい。口を歪ませ、身をかがめ、白い絹が巻かれた眼孔に手を当てる。一方の伊集院はそれに気づかぬ様子で、目の前の半球を興味深そうに改めていた。


「ふむ。ヨーロッパの原始人共にしては、よく出来ている」そして傍らから何かの装置を手に取り、ハンドルでゼンマイを回してから球体に近づける。「ふむ、ふむ。悪くない。多少ムラはあるが――支障はないか」


「これが、爆薬――?」


 吐き気をこらえるようにし、エシルイネは言う。伊集院は振り返りもせず応じた。


「あぁ。この二つの半球を高速で衝突させることで」ボン、と擬音を発しながら両手を開く。「この島程度、簡単に――比喩などではなく事実として――消滅させるほどの爆発が起きる。山羽親子が作った〈アトミックスチーマー〉には、ピッチブレンド鉱石を三十パーセント精製した燃料を用いている。その程度であれば私でも精製可能だが、君の親分が望むほどの爆弾を作るには、それを八十パーセントまで高める必要があった。それがどれほど困難かは、説明してもわからんだろうが――簡単な話、私の〈精製器〉を何百も連結して精製する必要がある。オリハルコンを十本近く使うし、まぁ不可能だと思っていた」


「それで全てを、ローマで?」


「正確にはケーニヒスベルクだが」忌々しく伊集院は舌打ちした。「プロセインのような没落した国に、〈精製器〉を量産できるとは思えんと。私は散々反対したんだがな。知っての通り権兵衛は、ローマと昵懇だからな」


「でも成功した」


「うむ、まぁ――〈帝国〉以外でこの事業を実現できそうな国は、ローマ以外にないのも確かだ。実際、私の指示通りの代物は作れたらしいから、多少は連中の力を認めても良いのかもしれんが――しかし起爆させてみるまでは、わからんよ。失敗したとしても私のせいではない」


 エシルイネは口元を隠しつつ、クスクスと笑う。


「愚痴ばっかり。噂通りね。狼が言っていたわ。貴方のその知能は、全ての世界を否定するところから来ているんだって」


「彼には見かけによらない知能があるらしいな。しかし正しくはないぞ? 私は世界を否定していない。試しているのだ」


「貴方の傲慢さを、どこまで受け入れられるか?」


 伊集院は片眼鏡の奥の瞳を見張り、しげしげとエシルイネを観察した。


「主語を省略したな? 今の言葉、意図しての事ならば、君は狼などより何倍も賢い」そして彼女の顔を覗き込んだ。「あるいは権兵衛よりも。確かに彼は賢いが、性格には致命的な問題がある。気づいているかね?」


「さぁ、何かしら」


「それだよ。君の言葉の大半には意味がない。嘘に目的がないと言った方が正しいか。しかし――権兵衛のそれには、必ず意味がある。ふん、それでは相手に意図を読まれてしまう。革命家にとっては致命的な弱点だね」


「じゃあ貴方には、彼がこの爆弾を使って何をしようとしているか、わかるの?」


 伊集院はしばし黙り、やがて踵を返し、利史郎が改めていた図面に向かった。


「お嬢さん。君の知能に敬意を表して、一つ良い事を教えよう。私が何故、ピッチブレンドの可能性に気づけたか? 余計な事を考えないようにしていたからだ。政治、思想、噂話に人間関係――そういったものが、どれだけ人間の頭脳を消耗させることか」


「あら。でも貴方が心血を注いで作り上げた爆弾が、何に使われるのか。興味はないの?」


「それだよ。言ったろう? 考えないようにしていると。私はこれが設計通りに作られていれば、爆発すると知っている。それ以外は全て、余計な事だ。試してみることすらな」


「なら、どうしてわざわざローマの手を借りてまで――」


「実際に作ったのは、権兵衛の組織が今後の研究に必要だったからだ。〈帝国〉というのは日増しに窮屈になっていく。ちょっと珍妙な鉱石を帝国外から手に入れようとするだけで役人が茶々を入れてくる。輸入証明に安全証明? ふん、安全が誰に証明できるというのか。神か? いや、こんな不完全な世界を作ったくらいだ、神でも不可能だろうな。さて、そこで一つ、私も余計な興味が沸いてくる。君ほどの知能を持つ存在が、権兵衛のような夢想家の手下になっているのは何故だ? 他の怪人たちにしても――彼は何故、そこまで怪人たちを惹きつける」


 エシルイネはあの、悪魔的な笑みを口元に浮かべた。


「――仮説くらい、あるのでしょう?」


「いや、いや」彼は初めて、困惑したように頭を振った。「西洋の神は胡散臭いが、仏には一種の真実がある。〈知らぬが仏〉というやつだ。格言だね」


 そこでふと、施設の奥底からサイレンの音が鳴り響いた。伊集院はそれに舌打ちし、エシルイネを恭しく外に促す。


「この音にはいつもイライラさせられる。権兵衛が帰ったらしい。また例の嫌みを言われる前に、状況を説明しなければ」


 扉に促されたエシルイネは、軽く頭を下げて滑るように進んでいく。そして伊集院も消えて扉が閉じると、利史郎は足音を殺しながら扉に駆け寄り、耳を当てて様子を窺った。


 伊集院の硬い足音が遠ざかっていく。しかし他に複数の足音があり、これでは脱出が難しい。どうしたものかと考えていた所で、唐突に耳元で声がして全身が逆毛だった。


〈少しの間だけ、あたりを人払いしておくわ。何かしたいなら、そのうちに〉


 振り向いても誰もいない。明らかにエシルイネの声だった。どうやら彼女には遠隔視以外に、遠くに声を伝える力もあるらしい。


「わかりました」


 果たして聞き取る力はないのか、答えはなかった。

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