[他の目線]
[庭師]
日も出ぬ早朝、手に持つ木剣を一振り二振りと軽く振るう。
儂の一日の始まりであり、日課でもある。
昔は整地された石畳の上であったが、今は広い大庭の朝露でぬかるんだ土の上。
歳を取ったが、まだ、足を取られる程耄碌はしていない。
夏になるというのに、朝はまだ肌寒くある。
今日も、鍛錬を終え、料理長のヴァンバを手伝おうと邸へ足を運んだ。
途中で納屋へ木剣を直し、背を伸ばす。
耄碌などせんが、少し衰えたと感じる。
邸の東側に位置する調理場へ移動する最中、不思議な影が動いている。
気配も無く、自然なままで、少し見とれてしまう。
美しいと思えるほどに流麗な動きに、目を見張る。
軽やかな運足を、鋭く滑らかな腕の振りを、一縷の隙の無い動きを、儂は知っている。
目を奪われたのも束の間、警戒を厳にし、その影へ話しかけてみる。
もし、それが侵入者であれば、儂では到底勝ちえないが……。
「もし、このような朝から如何したかね?」
儂の話しかけから影の動きは止まる。
朝日がじわじわと出てきているが、邸に阻まれ影の正体は掴めない。
だが、近づく度に童のような体躯だと気付く。
儂は耄碌し始めたのだろうか……。
少しだけ、心に痛みが走った。
「さて、黙っていては分からぬ。お前さんは何者だね?」
止まった影は何かを考える様な仕草を取る。
どうにも、侵入者と思えるような感覚は無い。
過去の経験から、そう推察できる。
これほどに違和感を隠すことが出来る人間など、いない。
「……貴方は庭師のジェイナス、で良いのかしら?」
「合っとるよ。して、お前さんは?」
「失礼、私はガブリエラよ。早く起きてしまったので、身体を動かしていたの。一日の始まりは熱い紅茶でも悪くないのだけれど、運動も良いものね。」
ガブリエラ……この伯爵家の次女だったと記憶している。
誰しもが忘れとる……哀れな娘だと馬鹿者共は言っていたか。
しかし、子供とは思えんほどに、佇まいは堂に入っておるな。
いや、それよりも、この娘に聞きたいことが有る。
「そうであろう、朝から動くのは身体に良いのでな。それより、一つ……聞きたいことが有る。」
「そうね。質問は一つにしてね?あの娘が起きる前に戻りたいのよ。」
「うむ。その動き……どこで知ったのだね?」
「動き……とは何かしら?」
「惚けんでもよい。その動きは……その剣技は、どの流派なのか知っているのかね?」
まず、あれはどの流派でも無い。
知っているのは、少数。
それも、王家に連なる者と守護する者。
この国の、限られた者たちで相伝される、いわば護身の剣技だ。
一介の貴族が……知るはずない。
この伯爵家が……知っているはずなど、断じて有り得ん。
儂は先代の王を守護し、教えたからこそ知っている。
だが、この小娘は一体どこで見聞きした……いや、教えられたのだ?
「そうね……秘密というのは駄目かしら?」
「なぜ秘密にするのかね?」
「豪く食い下がるわね?貴方は、コレを隠したいのかしら?」
目の前にいる小娘は、こちらを観察するような笑みで微笑む。
もう少し童らしく、朗らかに笑う事は出来ないのかと、言ってやりたい。
「そうさな……隠したいものだ。」
「……そうでは無いわね。これは、知ってはいけない事なのかしら。誰が教えたのか?を聞きたいのね。」
確信を持ったように、小娘は笑みを深める。
薄気味悪い……。
王宮で勤めていた時の……女官共に似ている。
こちらを品定めするような視線が、儂は嫌いだ。
「あら、酷く疲れた顔をしているわね。何か、不快にさせてしまったかしら。誰にも教えてもらってないから、安心なさい。それに、私はこれでも口は固い方よ。貴方が秘密としたいならば、誰にも話さないとあなたに誓うわ。」
深めた笑みを緩め、少し童らしく振舞おうとする。
非常に……童らしくない。
「いや。そうさな……誰にも話さんで欲しくもあり、見せないで欲しくもある。」
「見せないは難しいかもしれないわね。貴方に見られちゃったし。」
「儂には構わん。出来れば、良いがの。」
「そうね。あくまで護身用だから。それに、あの娘に知られちゃうと私、幻滅されちゃうわ。」
「……先程から、誰かを気にしているようだの。」
「ええ。私の、自慢の侍女よ。あの娘には、私は誇りであってもらいたいの。そして、私もあの娘に誇られるのが好きだから。お転婆はしてはいけないわね。」
「童らしく考えだの。」
「そうかしら?私はまだまだ子供よ。」
花が咲くように笑う童には、意表を突かれた。
「確かに、そうだの。」
邸内が少し慌ただしくなっていくのが、今になって分かる。
この童に大分、気を割かれていたようだ。
童も気付いたのだろう、邸へ視線を移していた。
「そろそろ戻るわね。貴方、鋭くて怖いから楽しかったわ。」
「楽しいか……、儂は侍女共に恐れられるからの。その言葉は面白く感じるの。」
「あら、あの子たちは勿体ないわね。女は度胸だ、なんて言っていたのに……。」
「ふん。口だけなら何なりと言えよう。」
「そうね、その通りだわ。」
童は踵を返し、邸へと戻っていく。
「また来るかね?」
儂はこの時、何故こう言ってしまったのか疑問にすら思わなんだ。
童はまたここに来ると、確信していたからだろうか。
「そうね……また、お邪魔するわ。」
「そうか。」
「ええ。」
軽く言葉を交わし、童は戻っていく。
ガブリエラ、忘れられた存在……か。
儂には関係ない事と思うておったが、いやはや何とも言えぬのう。
料理長は何か知っておろうか……。
少し足早になっているのに気付かず、調理場へと歩を進める。
[行儀見習いの侍女]
今日はあれこれと、仕事を押しつけられた。
いえ……本当は、今までしなければいけない仕事の量だった。
ある日を境にするまで、私は仕事を他の侍女やメイドに押しつけていた。
私は子爵貴族の娘なのだから……って。
毎日を悠々と過ごしていた。
徒党を組んで、平民出の侍女やメイドを苛めたりもした。
だって、私は貴族で……本分は行儀見習いなのだから。
貴族の在り方を学ぶ場なのだから……仕事なんてしていられないわ。
でも、私にとっての転機が訪れた。
今まで、同じ貴族出の侍女と一緒に笑っていた相手。
忘れられた存在に、叩きのめされた。
あいつは、あの子供は……悪女よ。
流石に、忘れられた存在でも、伯爵家の息女。
面と向かったら、敬うべき主人として接しなければいけない。
ある日、私は貴族の子爵家の娘としてあの子供に接した。
それがいけなかった……。
無視された挙句、「羽音かしら?ねぇ、貴女。掃除は行き届いている?」と他の……しかも、メイドに声を掛けていた。
メイドは顔を下げ、謝っている。
あの子供は、「怒ってないわよ。」と宥めている。
私は呆然とした。
それと同時に、自分の無知を晒したのだと……気付けなかった。
何をあの時に考えていたのか、覚えていない。
カッとなって、あの子供に突っかかったのは覚えている。
「貴女、貴族の息女として挨拶も出来ないの!?」
股も無視され、詰め寄ろうとして、専属の侍女があの子供に盾になるように入ってきた。
「エミリア。貴方が危うくならない内に、お嬢様に謝罪なさい。」
そのたった一言で、腹立った。
「平民出のあんたが、貴族たる私に歯向かうな!」
そして、手が出てしまった。
けれど、私の手は簡単に止められてしまった。
「今の一度は、同僚として許します。次は有りません。そして、二度は言いません。」
手を振りほどけず、睨みつけたら、睨み返された。
それが、初めての出来事だっから……怖くなってしまった。
だって、お父様にもお母様にも、怒られたことなんて無かったから……。
「私から説明するわ。さっきの言葉は聞き捨てならないのよ。」
何をされるか分からない……。
助けを求めてしまい、周囲を見渡してしまう。
でも、誰も、何も言わなかった。
いつもお喋りをする同僚でさえ、青褪めていた。
「お嬢様。同僚たる私から……いえ。差し出がましい行い、申し訳ありません。」
「ご苦労様。ねぇ、貴女はこの娘をどう思う?」
その子供は、ガブリエラは、薄ら笑う。
まるで、私を見下すような笑みで……。
でも、なぜか……怒りよりも恐怖が勝っていた。
「あら?先程のように言い返しても良いのよ?私は反骨心も良いと思っているの。時と場合を考慮しなければならないけれどね。」
薄ら笑う笑みから、酷く歪むような笑みをしている。
到底、子供とは思えない。
「何か喋りなさいな。先程の威勢はどうしたの?【面白く】無いわよ?」
怖いと、誰かに助けて欲しかった。
「……まず、貴女には貴族の常識が無いわね。理解できる?」
ガブリエラが一言呟く度に、恐怖心が心を塗りつぶしていく。
「前提として、契約をした瞬間に貴女はただの侍女。身分など関係無いの。サインしたのはご家族?貴女本人でなくとも、契約文は読むでしょう?読まなかったの?貴族云々の前に、人としての常識が無いわよ?理解できる?」
馬鹿にしているのかそうでないのか……。
ガブリエラの表情に、笑みは無い。
だからこそ……分からない。
「仮に、貴族の御息女として来られたとしても、親しくない間柄なら礼節は弁えないといけないの。重要よ?学んだでしょう。下位の貴族は、高位の貴族へ話しかけてはならない、と。私のような子供でも知っている事よ。貴女は知らないの?何を学んで、ここへ行儀を見習いに来たの?そして、何を学びに来たの?行儀を習うならば、身に着けなければ意味は無いわよ?だって、貴女の為にならなもの。理解できる?」
すらすらと、聞き取りやすい声色、でもその声に抑揚は無い。
ガブリエラの笑みは完全に消え、ただ淡々と語りかけてくるだけだった。
「……貴女、駄目な子ね。一度、メイドからやり直すと良いわ。この程度の事も理解できず、貴族を名乗るだなんて……死んだ方が良い方よ?」
「死、ぬ?」
「あら、その部分にだけ反応できるの?ねぇ、不敬罪ってご存じかしら?」
「え?」
「知らないの?知ってるの?」
「し……」
「ふふ、知っているわよね。だって、貴女は貴族の出身なのだから。」
私の反応を見て、再び笑みを深めたガブリエラは……。
「それが、貴女にも適用されることは、承知しているわね?不敬罪の行く先も、勿論知っているわよね?だって、今の貴女は、只の侍女なのだから。」
ゾッとするほどに……艶やかな笑みを浮かべていた。
「哀れな娘、忘れ去られた存在、醜い子。他にも一杯、私の陰口はあるそうね。そして、故意に広めたのが貴女だって、私が報告したらどうなるのかしら?ああ、ちゃんとフェンサー伯爵夫人に直接報告するから、安心なさい。仮にも、夫人は私の生みの親なのだから。それに関して、侍女長も減俸の処分が入ったと思うの。何十年も伯爵家に仕える方が処分を受けた。貴女は、どうなるのかしらね?その辺り、理解できる?」
「ど、どう……なるの?」
「勿論。貴女のお家には沙汰が下るでしょう。そうなれば、子爵家は貴女をどう扱うのかしら?優しく庇い、引き取ってくれる?それとも、切り捨てられちゃう?どっちなのかしら?」
「お、お父様も、お母様も。私を愛してくれているわ。切り捨てるだなんて……しないわよ!」
「本当に?」
ガブリエラのたったの一言で……一瞬だけ、私は言葉に詰まった。
「も、勿論。そうに、決まっているわ。」
「じゃあ……答え合わせをしてみる?もし、貴女が正解なら、醜聞付きでお家へ帰れるでしょうね。私が勝てば、ふふ。どうしましょう。貴女の処遇を考えるのが、楽しみね。」
「し、醜聞……。」
「あら、それに反応しちゃうの?当たり前じゃない。フェンサー伯爵家は代々王家に忠実に仕え、覚えもめでたく、現当主は王宮にて要職の地位を賜っているわ。中立にて穏健派。他の高位貴族とも様々な繋がりもある。いわば、好待遇を勝ち得る職場でもあるの。理解できる?」
「うぁ……。」
「ふふ。ここは理解できてるみたいで、なによりね。話しを戻して、答え合わせ、しましょうか?」
「い……ま……って。」
ここまで、ガブリエラから説明を受けて理解できた。
今、この瞬間が私の生涯に関わる分岐点だと……。
もし、私が負けたなら……今後が無くなる。
下手をすれば、実家も……お父様の立場も危うくなる可能性がある。
だって、お父様も王宮で仕えている。
フェンサー伯爵の下で……仕事をしている。
ガブリエラは、先程と同じような笑みで私に微笑んでいる。
子供とは思えない、表情で……。
例えるなら、いつなのか忘れたが見たことがある。
失態を犯した兄を叱責する、激怒したお父様のような印象さえ覚える。
「まって……待ってください。ど、どうかお願いです。お許しを。」
兄は領地に関わる資金を、懐へ入れた。
そして、それを賭博行為で散財し、お父様に見つかった。
激しい灸を据えられた上で、領地の厳しい場所へ連行された。
いつの間にか、貴族籍からも兄の名が消えていた……。
私は母からそれを聞き……言われた。
「貴族の矜持を、違えてはいけませんよ。」、と。
「お願いします。私は、どうなっても構いません。お許しを!」
自分でも気づかぬ内に、床に手を突き平伏していた。
目からは涙が止まらず、自分の愚かさを後悔していた。
ガブリエラを、侮っていた。
世間知らずの、何も知らない子供と……。
「何故、貴女が謝るの?答えを合わしましょうと、私は言っているだけよ?」
「お許しを……。」
「答えになっていないの。理解できるかしら?」
「お願い、致します。」
「……はぁ、飽きたわ。貴方たち、仕事に戻りなさい。」
ガブリエラは侍女を伴い、この場からいなくなっていた。
床に伏した私を助ける者は、ここに居なかった。
和気藹々と、話していた行儀見習い仲間は早々にこの場を離れていた。
その後の私は、激情に駆られて、更に愚かな行為をした。
侍女長に泣きつき、ガブリエラに報いようと……浅はかな事を仕出かした。
ガブリエラは、全て先手を打っていた。
結果、私は侍女から下女へ降格し、侍女長は更なる減俸。
侍女長からも睨まれることになってしまった。
幸いなことは、内内で処分をされたこと。
伯爵夫人から最悪の想定を聞かされた時、私はその場で卒倒してしまった。
同じ行儀見習いの侍女は、私に近付く事さえしない。
仕事量は、増えた。
けど、まだ少ない方だと言える。
何故なら、他の下女やメイドが肩代わりしてくれているから……。
それに温かみを感じ、感謝した。
おかげで初めて、心を許せるような友達も出来た。
他にも、ガブリエラの専属侍女からも……良く気を利かせてもらっている。
仕事は様々。
手は荒れるし、髪や服は汚れるし、身体は疲れる。
けれど、充実した日々を送っていた。
そんな折、専属侍女のアルマからこう告げられた。
「ねぇ、エミリア。貴女、お嬢様の専属侍女にならない?」、と。
自分の耳を疑った後、自分の頭を叩いた。
痛みはある、現実だ。
なんで?
ガブリエラは同年代と見比べると小柄です。
運動は嫌いではありませんが、好きでもありません。
庭師のジェイナス(55)
ガチのムチ。見た目は30後半。フサフサ。
元は貴族で高名な騎士。引退して花を育てつつ余生を謳歌中。
子供は現在王家に騎士として仕えている。
領地無しの貴族で、実家は子供に譲っている。
月一で孫に会いに行っている。孫可愛い。けど近づくと泣かれる。
侍女見習いのエミリア・シフター(12)
下位貴族の次女以下は一般的に10~15歳の間で何年かを高位貴族へ行儀見習いする。
結婚相手を探す意味合いも含まれる。フェンサー家は優良な方。
エミリアはシフター子爵家の三女。
11歳の時から務めている。
ガブリエラに噛みついたが許された。
その件はアルマが関わっています。