『二人目の協力者?何もしてない人ミズナラのVR片想い』前編
「そういえばさ豆腐、あんたはなんで今になってEDENに派遣されたわけ?この場所がサービス開始したのなんて数年前の話でしょ」
豆腐は仮想世界で箱型をしたものに限定して何にでも変身できる力を与えられ、今はニラヤマの耳からチェーン付きのイヤリングとして吊り下がっているのです。
ふむ、と豆腐は一息置いた後で、豆腐は自らが聞いた言葉をニラヤマに伝えました。
「人々の声が聴こえたのだ。VR-EDENはアニメ顔をした美少女アバターの男が、ホモセクシャルでもない同性を性行為の真似事に誘ってくるような気味悪い情欲に毒されていると。
しかし人々を裁くためには、それが本当であるかを確かめねばならぬ。故に我はEDENを名乗る仮想現実サービスに、その全てを見届けるべく神の目として遣わされたのだ」
一体どんな創作やまとめサイトの記事を読んだら、そんな前印象を抱くのかとニラヤマはツッコミたくなりました。
ですが冷静になると「美少女のアバターを纏った男が地声で会話しているのが当たり前の状況は、客観的に見たら気持ち悪いんじゃないか?」とうっかり自分を省みそうになったので、慌てて別の質問することで最初の疑問を打ち消しました。
「どうして豆腐みたいなやつが派遣される必要があったの?確かめたいなら自分で直接出向けばいいじゃないですか、その“主”とやらがさ」
「主はいつ何時も、地上の全ての人々の行いを天から見守っておられる。しかし彼らのVRゴーグルの中まで覗こうとすれば、全ての者たちを見守ることができなくなってしまうからであろう」
ニラヤマは「へえ……」と分かったような分かってないような生返事をして、参加先のインスタンスに居るフレンドを選択し始めます。
豆腐はニラヤマに詮索されなかったことに安堵のため息をつきながら、自分がEDENという地に踏み入れるまでの紆余曲折を思い出していました。
豆腐がVREDENに興味を持った切っ掛けは“お告げ”を受けるよりも前、こちらの素性は明かさないままSNSでフォローしていた神学部の同期生の鍵アカウントでした。
それは仕事の愚痴のみならず、インターネットで流れてきた時事の全てに怒り、引用リツイートで噛みついて物申し続けるアカウントです。
そして午前3時頃に垂れ流した呂律の回らない泥酔ツイートや将来への不安、やるせない欲求不満や自己嫌悪の長文を翌朝に消すのを、アプリの*通知欄から豆腐に確認されていたことも彼は気付いてもいないでしょう。
ある時から同期の投稿に、美少女の3Dモデルが何処とも知れぬゲームステージを背景にして、自撮りをしているような写真ばかりが増えてきました。
たまにNPCらしき別の美少女やロボットが一緒に写りこんでいる時は、それらのキャラクターたちもカメラに向けてピースサインやポーズを決めています。毎回違うゲームのような背景であるのに、季節や背景に合わせて衣装を変えていても一様に同じ美少女の3Dモデルでした。
それが仮想現実における“彼自身”であることは、ネガティブな呟きが減ってきたころに分かった事実でした。
彼をそこまで変化させたゲームの正体を知りたくなった豆腐は、彼の裏アカウントを観測していることなどおくびにも出さず、表のLINEで最近どうしているかと尋ねました。
その時に、彼女――彼からVR-EDENという名前を初めて聞いたのです。
しかし今まさにニラヤマが移動先に選んで “何もしてない人”として紹介されるユーザーが、その元同期のEDENでの姿であるなどとは、この時の豆腐はまだ予想すらしていませんでした。
――■ 第二章 『どこでも行けるバベルな世界』 ■――
ワールドのロード画面が明けた時、ニラヤマは旅館のような座卓と四つの座椅子が並んでいる、昭和風の木造住宅に立っていました。
縁側に大きく開いた障子の向こうは見渡す限りに波立つ水面が広がっていて、どうやら家は遠浅の海のただなかにポツンと建てられているようでした。
鴨居にかけられた風鈴のチリン、チリンという音に顔を上げると朱塗りの鳥居が遠くの海に浮かんでいます。その脇には半分ほど水面に沈んだ廃ビル群が立ち並んでいて、縁側を降りれば水に漬かりながら鳥居まで歩いていくこともできます。
「あ、あー。それで、お告げとやらをするために必要な祭司ってのは、あんたを紹介したり発表の場を用意してくれる交友関係が広い人ってことね」
ニラヤマは自分の肉声がボイスに反映されていることを確かめると、そのまま自分のイヤリングに扮している四角いアバターに話しかけます。
ワールド内のユーザー達はほとんど室内に置いてある大きな鏡の前に座っていて、スタート地点に立っているニラヤマ達に気付いていません。
鏡の前に並ぶと自アバターの挙動と相手の姿を一緒に見ることができるので、VRSNSではワールドの景観よりも鏡を眺めている時間が長いユーザーも珍しくないのです。
そして律法体がイヤリングを揺らして器用に頷いたのと同じタイミングで、鏡の前に居たユーザーの一人がニラヤマに気付いて鏡の前から歩いてきました。
「誰もがなりたい姿になることができて、好きなものを創って交流できるのが仮想現実だ。そして何を創るのも自由であるということは、何も創らないという自由も存在している。貴様が“何もしていない人”と称した者こそ、まさに我の探している人材なのムグッ」
「あっ、ニラヤマさん」
ニラヤマが豆腐を握りつぶすようにして黙らせた直後、競泳水着のようにぴったりとした白い衣装に豊満なボディを押し込んだ、赤い髪の美少女アバターが駆け寄ってきます。
鼻がくっつくほどの距離に近付いて「こんばんはー」と言いながら顔に手を伸ばしてくる美少女を、ニラヤマはなおざりに撫で返しながら「ミズナラ、VRヴァルハラはもういいの?」と言いました。
ちなみにVRヴァルハラとは有名なファンタジーMMOのVR版で、夜中までVREDEN内で知り合った人とパーティを組んで一緒にゲームをした後、夜更けまで同じ人とVREDENで雑談しているようなコミュニティも珍しくありません。
「真夜中までゲームはしないよ、みんなが集まってる時間はお話ししてたいから。そういえばニラヤマさんが行ってたUDON毛刈りのワールド、どうだった?」
「あー……ギミックもだけど普通に景色が良かったね。草を食べてる羊の鳴き声聞きながら、高原の芝生を眺めてるだけで何時間でも過ごせそうだった」
もっともニラヤマは、毛刈りをしていたら妙な豆腐に絡まれて、あまりゆっくりすることはできなかったのですが。
そうして会話している間もミズナラは自分の乳をニラヤマの顔面に押し付けて、「わー」とか「よしよし」とか言いながらニラヤマの頭上で手を動かしています。
顔が良いアバターを相手に近づけて、現実の身体に追従する両手で相手のアバターと触れ合う『撫でる』という行為は、両手以外の触覚がないVRSNSだからこそ気軽なスキンシップとして行う人も居ます。
そしてニラヤマが視界を顔と乳で埋め尽くされているうちに、ミズナラが「あれ、耳にピアス開けたんだ?」と律法体に手を伸ばします。
ニラヤマが「イヤリングだよ」と言うより早く、律法体が叫びました。
「ぬァっっっ!!!!!」
「うひょあぁ!」
聞き覚えのない声に驚いたミズナラがひっくり返るのと、ニラヤマは豆腐を握りつぶすのが同時でした。
「ねえニラヤマ、今の何っすか!?」
「オーディオのスイッチだね、BGMのon/offを切り替えたりする時によくあるでしょ」
起き上がったミズナラが目を輝かせながら質問してきたので、ニラヤマはなるべく表情を変えないようにしながら嘘八百で答えます。
ワールド間はSDKという共通言語で繋がっているだけの、全くシステムの違うゲームのようなものなので、別ワールドからオブジェクトを持ってくるなんてことはできません。
全くゲーム制作ソフトを触ったことがないユーザーでもなければ騙されない嘘八百です。
そして相変わらず豆腐の視界は、ミズナラの乳で覆いつくされています。
「ん貴様ァ!貴様はゴボボボボッ」
ニラヤマは皆の集まっている家屋から離れた浅瀬に移動すると、耳たぶから豆腐を外して水底に沈めました。
叫んでいる途中で水中に沈められた豆腐は、声の代わりに白い直方体のパーティクルをぶくぶくと吐き出しました。
しかし豆腐が叫んだのは決して、ミズナラの迫りくる乳とアニメ顔の恐怖に負けたからではありません。
例えボイスチェンジャーを通した女性のような声で、裏アカウントに自撮りが上がらなくなってから長い期間が空いていようが、彼女――彼を見間違えるはずがないのです。
そのアバターの自撮りを見て豆腐はVREDENに興味を持ち、その自撮りを投稿している裏アカウントの呟きを見てVREDENを始める決心をしたのですから。




