『神の毛刈り器』後編
「多分だけどお告げの場所はワールド一覧から、そのワールドで一番人数の多そうな全体公開の“インスタンス”を選んだんじゃないですか?そこで会話の輪を作っているのは派手な武器や翼だとかサイバーパンクな衣装、版権の怪しいアニメキャラや肌色面積が多い美少女のアバターがほとんどで、私やあんたみたいな姿をしたユーザーは居なかった」
『インスタンス』とはEDENに存在するワールドを幾つも複製して、中に居るユーザーの間でだけ状態が同期されるようにしたものです。
この複製されたワールドは混雑回避や通信量削減のために一時的に生成されるもので、内部の状態やユーザー情報が別のインスタンスと共有されることはありません。
いわばバスケットをしたい全員が一つのコートで順番待ちをせずとも良いように、同じ形状をした別のバスケットコートを無限に用意することで、一緒に遊びたい人同士で集まりやすくするようなものです。
豆腐は困惑しながらも、ニラヤマの言葉を肯定しました。
「……ああ、その通りだ」
豆腐は今までのお告げの失敗で、アバターが箱型に固定されているということが、現実での容姿よりも大きな問題となることを思い知らされていました。
誰でも好きな姿になることができるということは、その姿になることで自分の好きなものや何がしたいかを表明しているということでもあります。
けれど豆腐のようなアバターの人間が集まって、仲良く過ごしている場所はちゃんと存在している。そして、それこそが問題なのだとニラヤマは言いました。
「今私たちが居る場所は招待限定って言って、インスタンス主の招待がなければ入れない。そしてインスタンス主の友達だけが参加できる友人限定って場所に、私たちのやりたいEDENをプレイしてる人たちも集まっている。知っている人しか入ってこれないなら、迷惑なユーザーは来ないですからね。だけど後からEDENを始めた私たちはその場所に行くことができないし、友人限定から出てこない彼らとフレンドになる機会も訪れない」
VR-EDENには“インスタンス”という名のバスケットコートしか存在しない。
それは同じ場所に集まって別々のことをしているのが当たり前の、現実の世界とは決定的に違う部分だとニラヤマは言いました。
自分の居るバスケットコートが本当に自分のやりたいゲームをやっているとは限らないのに、隣のバスケットコートの様子を眺めることすらできない。
複製されたバスケットコートは同じ構造をしていて、けれど決して越えることのできない『インスタンスの壁』に隔てられている。
既存ユーザーのVR-EDENはこんなに楽しい場所だという言葉を聞いて、新しいユーザーが訪れる。
だけど、その“楽しいこと”は彼らの行くことができない、古参ユーザーばかりの友人限定インスタンスに独占されているのだと。
「あんたが内輪の友人限定に閉じ籠った人々に“お告げ”を伝えられなくても、それで正式サービスに置いてかれるのは彼ら自身でしょう?
そうやって閉鎖的なコミュニティに安住してお告げを聞かなかった人たちが『自業自得』で滅びたことにするために、あんたはその目立ちやすいアバターと災厄を預言する力を与えられて送り込まれたんじゃないですか?」
ニラヤマはまるで、律法体がここに来るまでに犯した過ちを見てきたように語ります。
神への信仰なんてものが薄れた現代の人間たちも、自分の祈りを聞き届けて『奇跡』が起こることを願っている。
それがで現実では『偶然の産物』である災害、もしくはVREDENの運営による正式サービスの開始という『仕方のないもの』の姿を取っているのは、嫌いなものが滅びた時に罪悪感なく「ざまあみろ」と思うことができるからではないのかと。
「それは神ではなく災厄を信じているのだ。自分たちに利益を与えて気に入らないものを滅ぼしてくれる、都合のいい奇跡を信じているに過ぎないではないか。どれだけ技術が発展して神秘が無くなろうとも、信じられてきたのは目に見える“しるし”ではなかったはずだ」
「実際、どうやったって既存ユーザーに新規ユーザーを受け容れる動機が与えられないなら、いっそ全ての繋がりを一掃してしまった方が良いじゃないですか。逆にあんたは何か、そうなると困る理由でもあるんですか?」
そう言われて、豆腐は言葉に詰まります。
確かに運営からは「外から訪れた者として見て回ったEDENが悪だと判断したなら、この場所にある全てを一掃させるよう運営に告げても良い」と豆腐は事前に言われていましたが、それをできない個人的な理由があったのです。
豆腐はかつて疎遠になってしまった現実世界の友人に、いつかVR-EDEN内のとあるコミュニティで再会しようと約束されたことがありました。
コミュニティの名は『カナン』と言って、豆腐はそこのイベントで撮られたらしい写真を幾度か目にしたことがありますが、他のSNSなどで検索しても該当する名前のコミュニティは一つも存在しておらず、豆腐はその『カナン』について探るべくEDENを訪れようとしていたのです。
それは豆腐の信仰や使命とは全く関係のない動機なので、運営にも明かすことはできませんでしたが、もし今までのコミュニティが一掃されてしまえば友人と再会することも難しくなってしまうのです。
それだけでなく、この運営から与えられた使命を全うすることは、豆腐にとって自分の信仰を証明するまたとない機会でもあったのです。
ニラヤマに背を向けて、豆腐は「それでも我は、再び全体公開インスタンスで“お告げ”を行う。貴様に教えられたこと、参考にさせてもらうぞ」と言います。
その時ポコンと音が鳴って豆腐のディスプレイに、ニラヤマのアイコンが表示されます。それはニラヤマからフレンド登録の申請があったという、豆腐にとって予想外のことを示していました。
「あんたのお告げとやら、見に行くくらいはしてあげますよ。どうせ行くところもなくて暇してたんですから」
ニラヤマの送ったフレンド申請を承認した直後、豆腐の姿はアバター読み込み中であることを示す青白い結晶に変化して、その輝きにアパートの内装とニラヤマの顔がぼんやりと照らし出されます。
ニラヤマが吸い込まれるように結晶の表面を触れると、その手には何故か“UDON毛刈り”の毛刈り器が握られていました。
ニラヤマが「ねえ豆腐、これってどうやって消すんですか?」と言いながらテーブルに棒を触れさせた時、突如としてテーブルがUDON毛刈りの羊と同じような虹色に輝き始めます。
「これ、虹色の羊毛のマテリアルだ」と驚くニラヤマに豆腐は説明しました。
「我がユーザーとの契約を求める理由は、不平不満について調査するためだけではない。この世界に『住んで』いると言えるようなヘビーユーザーの、この世界での事象や摂理に抱いた強い感情に共鳴することで、我一人では不可能な形での“しるし”が行使されるのだ」
「ふーん?不平不満や不具合について運営が直接介入するだけじゃなくて、権限を貸したユーザーの間でも解決してもらおうってことですね」
マテリアルとはゲーム制作ソフトで設定された、3Dモデル表面の質感だとか模様についての設定したデータのことで、本来ゲーム制作ソフトの中でしか設定を変更できません。
それを四角形のオブジェクトに限定して刈り取ったり、後から刈り取った“羊毛”を他の3Dデータに付与できるのが、豆腐と契約したことでニラヤマに与えられた能力――いわば“契約の箱”でした。
「我はまだ“お告げ”の内容を言い終わっていない。それを聞いた上で我のお告げに協力するが良い」と豆腐は話して、その内容を聞いてニラヤマは言いました。
「ああ、そういうことなら私も“お告げ”に協力しますよ」