『呉越同舟』
誰かが全体公開の『弾かれインスタンス』で「豆腐キメろ!」と上裸になる。
対抗して“カナン”の血気早い何人かはクリスマスツリーになったり空を泳ぐ鯨になったり、市販の鏡を起動するためスイッチと同じモデルを使用した偽物に変身して「豆腐キメろ!」ワールドを侵食する。
偽のミラースイッチを本物と勘違いした“ソドム”の露出過多のアバター達が「豆腐キメろ!」殺到して、逆に偽のミラースイッチの主が悲鳴を上げて元のアバターに戻る。
よく見ると、その人間も“ソドム”の一行ほどでなくとも可愛い顔をして、肌の露出が少なくない部屋着の美少女アバターだった。その飾らない可愛さのアバターが怯える様を見て“ソドム”の一部のユーザーが、普通にごくり「豆腐キメろ!」と生唾を飲みました。
あっちで別れ話、こっちでは誰かが結ばれ、音声と身振りで性的に交わり、酒を飲み、やんのかコラとメンチを切り合う。
少し背の低いアバターの未成年ユーザーが、高性能なマイクとボイスチェンジャーを持ったユーザー二人に前後から挟まれ、催眠音声とASMRを混ぜたような囁きで公衆の面前で絶頂する。
その斜め後ろで在野のパーティクルライバーが豆腐の音楽リズムに視覚的な演出を合わせる『音ハメ』やパーティクルの使い方について議論し、ゲーム制作ソフト内の仕込みだけでリアルタイムに演出を変えることは可能か、という話を聞いて“カナン”の映像技術者たちが議論に参加してきます。
そんな弾かれインスタンスの混沌に惹かれて移動していく者たちと、入れ替わるように訪れる者がありました。
「彼は……」
と豆腐が言おうとすると「知ってますよ、カナンの主でしょう」とニラヤマが答えます。
灰色の髪にハイライトのない黒塗りの瞳、白黒のスポーツウェアと彩度のないアバターは、豆腐の前に来ると「あ、本題に入って良いですか。そちらも『災厄』を止めるために動いているんなら、協力しませんかって話なんですけど」といきなり言いました。
「……災厄ってなんです?」
とニラヤマが至極真っ当な質問をして、その答えと豆腐が帯びたもう一つの使命について聞かされます。
「そんな重要なこと、なんで先に……って、あーまあ、そうなりますよね」
豆腐も若干気まずくなって黙りますが、そもそもの原因はニラヤマが初対面で『災厄』の主としか思えない行動をしたことでした。
「私だと思っていたから黙っていたけど、今の状況からしてミズナラ以外に有り得ないってことですね。依然として最も支持を受けている契約の箱は『知恵の実』で、正式サービスで願いを叶えられるのはミズナラですから。だけど……それは例えば、ミズナラがEDENの滅びやそれに繋がることを願うってことですか?」
「そうとも限りません。本人としては善いと思った機能が将来的に不利益を生じたり、ましてミズナラさんの『知恵の実』は、大勢のユーザーと視聴覚を通して願いを同期している可能性もありますから……そういえばニラヤマさん『律法体』と契約してたんですね」
豆腐からすればニラヤマと“カナン”の主が、当たり前のように言葉を交わしている方が不思議な光景でしたが。
「ミズナラ自身というより、それを支持している『知恵の実』の持ち主たちとの最大公約数的な願いが、その災厄の可能性がある」とニラヤマが言った時、豆腐はニラヤマが乱入してくるまで感じていた閉塞感を思い出します。
「彼らの願う『終わらない放課後』に紛れ込んだ、負の側面か……」
それは確かに『災厄』の原因として有り得る話でしたが、今の楽しい時間がずっと続いて欲しいという真っ当な願いに起因しているのです。「違うよ、ただの痴話喧嘩でしょ?それがEDENを巻き込んだ派閥争いになって、極端すぎる願いごとをしてしまいそうってだけでさ」と聞き覚えのある別の声がします。
豆腐が「ムロト、貴様……」と言いかけるのに被せるようにして「ムロトさんとは協定を結んで、さっきも噛ませ役を演じてもらってたんです。話すと長くなるんで割愛しますがね」とニラヤマが他の二人に向けて紹介します。
それでも何か言わないと気が済まなさそうな豆腐に、ニラヤマは「恨みがあるんですよね、許せませんか?」と“カナン”の主を一瞥してから笑いかけます。流石に黙らざるをえない豆腐を他所に、ニラヤマは「痴話喧嘩だったらどう対処します?」とムロトに質問します。
ムロトは慣れたことのように「なるべく互いの悪口とか、嫌がらせが起こらないように仲裁するかな。場合によっては衝突を避けて、コミュニティを株分けするけど仲直りは難しくなるね」と言いました。
「じゃあ、前者をやれば良いってことですね。さっきの時点で『弾かれインスタンス』の方でやったみたいに、ミズナラの権限を『知恵の実』の本体ごと刈り取ることはできたんですけど。今は何かしらの説得を行うにせよ、ミズナラが居る場所に辿り着かねばならない」
そう言われて初めて、豆腐は本会場からミズナラの姿が消えていることに気付きます。
「何故言わなかった!?」
「こっちの話がまだ済んでいないからですよ、豆腐。さっきまで喧嘩してたのに考えを改めないまま行って、事態が改善すると思いますか?」と言われれば、豆腐も黙るしかありません。
「昔さ、ミズナラに――元カノと別れたって話をされた時、その人のこと女だから好きになったのかって聞いたんだ。違うって言ってた、その人だから好きだったんだって。その人と過ごした時間が、その人の表情や振る舞いが、生き方を見ているのが好きだった。私はそういう感情が生まれてからずっと分からなかったから、少し羨ましいと思った」
ニラヤマはそう言い終わると、豆腐の方を見ました。
そこで豆腐はようやく、ニラヤマが自分の正体を知っているのだ、知っているけど知らない振りをして『使命』に付き合ってくれているのだと気付きます。
「ねえ豆腐、もう一回聞くけどさ。どうしてミズナラをワールド製作に誘ったんですか?」
好きだったから――今でも好きだからだ。だけど創作をして繋がる以外の方法で、失望されず嫌われずに一緒に居られる自信が持てなかった。
だから歩み寄って欲しいと思って――向こうも同じように思っていて、お互いに自分の心地よい居場所から出ようとしなかったのだ。
「ま、言わなくていいですよ、考えてくれればね。誰だって大なり小なり出不精ですから」
カナンの主は自分と関係のない話を黙って待ち、何かを察したようなムロトもやはり黙っていました。
「私は――私の積み上げてきた価値は、私はどこにでも行けると私自身に証明し続けること。縛られるほどの関係は作らず、行けない場所は滅ぼしてしまえばいいと思ってた。その一人きりの価値観から出ようとしなかったのは私も同じ、だから……私から先に歩み寄ろうと思います。どこへ行けなくなっても構わない。私は、あんた達とまだ友達で居たい」
あくまでニラヤマにとっての最優先事項が『自由』であることに、揺らぎはありませんでした。
そして自由とは複数の選択肢を『知る』ことができて、その中から為したい一つを思考して選び取る権利を持つことだと。
けれど何かを為したいという感情は、それを為す相手や場所がなければ生まれない。だから制約や責任から逃れようとして孤独になったり、邪魔するものを消していっても必ずしも自由にはなれない。
「一人きりの宇宙でどこまで翔んで行こうと、自由を感じることはできないんです」
当たり前のようで、けれど『不自由』な自分しか見えていない時には、気付くことのできない事実。
それを『使命』を果たそうとする豆腐が決して不自由に見えないことから、教えてもらったのだとニラヤマは言いました。
「ニラヤマ、お前……」
「さて、それでミズナラくんの場所にはどうやって行くんだい?」
と、しんみりした雰囲気を断ち切るようにムロトが言います。
「ソーシャル欄はオレンジステータスでもないのに非公開インスタンス、つまり僕のフレンドでないユーザーの友人限定か、さもなくば一人で招待限定に引きこもってると思うんだけど」
「こっちでも同じ表示ですし、後者じゃないでしょうか」とニラヤマが答えます。
そこに“カナン”の主が「ところで豆腐さんの“お告げ”は大丈夫ですか」と口を挟んで、そこで豆腐はようやく『豆腐キメろ』の掛け声は止むことなく、むしろ本会場の景色が『知恵の実』で中継されるようになったことで、ますますEDEN全体で豆腐のお告げに対する期待が高まっている、という事実を知らされます。お告げを完遂しなければいけない、しかしミズナラとの仲直りも必要で、
そんな豆腐の逡巡を見越したように「全部、大丈夫ですよ」とニラヤマが言いました。
「貴様、何を根拠に」と言おうとした豆腐は、ニラヤマの手に再び『毛刈り棒』が握られていることに気付きます。
「『災厄』を止めることに協力する前に、こっちからもお願いしたいことがあります。具体的には“カナン”に、こいつを参加させてほしい。正式サービス開始後に豆腐のアカウントがどうなるか分かりませんけど、新規ユーザーとしてやり直すにせよ合言葉を決めておくなり、なんなりと方法はあるでしょう」
と、ニラヤマは豆腐を“カナン”の主に差し出します。
「ニラヤマよ、何を勝手なことを」と豆腐が言うより早く「ああ、そういうことなら……」と“カナン”の主は衝撃的な事実を告げました。
「正式サービスに際して“カナン”は開国、つまり会員制を撤廃して望んだユーザー全員が訪れられるようにする予定です。あくまで、こっちの都合ですけどね。それは『知恵の実』による繋がりを始めとして、創作を行う大きなコミュニティが増えてきた中で、秘密主義のままで居れば時代に取り残されていくという判断です。それに……」と少し考え、
そこに集まるメンバーの大勢に変化がないと、いくら新しいコンテンツを用意しても『いつものメンバーと雑談をして過ごす場所』としか認識しない、扱わないようになる者が増えていく。
外から新しい話題が舞い込んでこなければ、内部での人間関係にしか興味を抱くことなく話題としても挙がらない、そうして活気が失われつつあるのだと“カナン”の主は自らのコミュニティの内情について告げました。
「今まで試験を設ける会員制によって得たものはあったし、それによって構築できた“カナン”は良い場所だと思っていた。けれどEDENに人が多く集まり状況が変わっていく中で、この方法を変える時期が来ているのかもしれない」
その言葉を、ニラヤマとムロトはそれぞれ複雑な想いを持って聞いています。




