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ユニティ□キューブ!  作者: (仮名)
『結:ユニティ□キューブ』
34/42

『二人の原罪(2)』

恐らくニラヤマにとって全てが始まった、ミズナラと願いを交わした日から変わることなく、それはアパートの一室でした。

どういう経緯でミズナラを自分のワールドに招いたかの記憶も定かではなく、けれどそこで交わした言葉をニラヤマもしっかりと覚えていました。


「私はずっと汚いもの、不道徳で堕落したものに憧れて、そんな気持ちをこのワールドに詰め込んだんです。ここで明日の生活の定かではない誰かと一緒に、暗い部屋でずっと話してみたかった」


なんでVRの世界でまで不道徳や堕落を求めるのか?そんなもの、現実でいくらでも……とまでミズナラが考えていると、ニラヤマはまるで深い罪を告白するかのように「私は現実の世界で『優等生』なんです」と言いました。


「成績不良者と『クラスメイト』という枠を越えてつるんだりしない代わりに、学校の成績という一つの価値の指標で優れた存在として扱われるような人間だった、ってことです。そして高校を卒業した今でも、それと同じようなことをやっているような人間なんですよ」


替えの少ない大きな歯車として社会から尊厳を奪われず、同じような優等生としか接する必要がない専門的な職業に就いて、それ以外の環境で生きる人間は『自分たちに助けを求めてくる顧客』として以外で訪れることはない。その環境で形作られていく価値観が一種の『宗教』であることを、優等生である自分しか愛してくれない同じ職業の家族を通して知っている。

ようやく一人暮らしの権利を手に入れて、優等生としての自分を知らない繁華街の飲み屋に繰り出すことを覚えた頃に、現実を一変させる『災厄』が訪れた。このご時世に『優等生』が飲み歩きをすることはできなくて、そうではない側面の自分として誰とも繋がることができず生きていくのかと、絶望した時にEDENの存在を知ったとニラヤマは言います。


今度の災厄が人々から奪った一番大きなものは、明日を生きる糧でも近しい人の命でもなく、当たり前に行くことができるような『場所』でした。

それも決して物理的な意味ではなく、まだ施設として存在していても行くことのメリットとリスクが釣り合わなくなれば、そこは『行くことができない』場所になる。

その中で皆と集まるリスクを天秤にかける必要のないVRSNSという存在は、ただ『ギーグの集まる百人の村』でしかなかった立ち位置から大きな転換点を迎え、ニラヤマはまさにその変化の境目に巻き込まれた一人でした。


それまでのEDENに訪れる現実の立場ある人間は往々にして、限られた時間で濃密な体験を求めて話題になっている新たな文化をつまみ食いしに来ている印象を持たれていました。


「『一つの人間』しか居ない場所が、そうでない部外者に踏み荒らされる。それは自分の居る場所が女子校から、キャバクラやガールズバーになったみたいで聖域を汚された気になるのは分かります。だから私みたいな『優等生』を“カナン”は受け容れなかったんですね」


ミズナラがEDENを始めた頃に“カナン”は他のコミュニティと同じく、友人交流でフレンド伝いに行くことのできる普通のコミュニティでした。

けれど話題性や目新しさに惹かれて純粋に出し物を楽しむつもりでない人間に踏み荒らされることを懸念して、半年に一度のSNSアカウントとVRコンテンツを提出する『試験』でのみ、決まった人数枠のユーザーを取り入れる会員制に移行していました。


そしてニラヤマの『アパートの一室』はワールド製作部門の『試験』に提出して、不合格を与えられたものでした。

電子工学を扱わない学科としてゲーム制作ソフトやコーディングを深く学ぶ猶予がない中で、特に目新しい技術も使われていないそのワールドが選ばれなかったことは当然といえば当然でした。


作成したばかりのSNSアカウントと、どちらが不採用の理由だったかは分かりません。

ただ自らの魂と同義に近い景色に、特定の尺度において価値がないというレッテルを貼られたことに違いはない。『試験』とはそういうことだと、そこから逃れたくてEDENに来たニラヤマはよく知っていました。

彼らの聖地が踏み荒らされる代わりに、ニラヤマの心が踏み荒らされた。そして自分に価値がないと断じた“カナン”は固く門を閉ざし、実情を部外者や採用されなかった者に教えることはない。

そこが大したことない場所だと酸っぱい葡萄をすることもできないまま、けれど『優等生』としての限られた猶予期間に自由を求めて訪れたニラヤマにとって、次の試験までの半年というの時間は致命的な機会の喪失でした。


「どうして現実の世界で生きていけるのに、今まで積み上げてきたものが価値を持たない、自分が否定されるかもしれない場所に、わざわざ行こうと執着するんですか?」


自分とは異なるニラヤマの志向に興味があったのは確かですが、その問い掛けはミズナラなりの説得というか、そんな場所に執着するより自分のパートナーにならないかという口説きでもありました。


けれどニラヤマはその言葉に、別の受け取り方をしました。


「……同じことを“カナン”も思ったのかもしれませんね。曰く、『現実で何かを持っている人が仮想現実(こっち)に来るな、別に仮想現実(こっち)じゃなくても良かったくせに』と」


「そ、」んな意図ではないとミズナラが否定するより先に

「私ね、中学生までネトゲ廃人で偏差値20くらいしか無かったんです。だけど色んなことがあって物凄く勉強を頑張って、高校の三年間で偏差値70まで上げたんです。すごいでしょ?」

とニラヤマは話し始めます。


最後の言葉は台詞の内容とは裏腹に、どこまで行っても皮肉げで自虐的な声音でした。


おいそれと褒めの言葉も社交辞令で使えずにいると「三年間毎日2時間しか寝なくて幻覚幻聴とか続いてて同じクラスの人間一人も名前覚えてなくて、勉強の他に部活や趣味どころか学校行事に参加したこともない。そして大学に入ってから自分の脳には障害があって、普通の社会生活をしながら周りと同じだけの勉強はできないと診断されたんです」と続けます。


「私が『優等生』という立場を使える場所に居たままなら、休職中で『落伍者』の引け目がある貴方と対等に話して互いの共通点を知ることは無かった。最初から私がその素性を明かしていたなら、あなたは私にそこまでの話をしてくれましたか?そして一方で、私は国家資格や就職に差し支える障害について、大学の中(げんじつ)で隠したまま生きていかねばならない。

元カノさんは以前、そして貴方は今、適応障害と呼ばれる状態にあると考えられます。自分の性質がその場の価値観に受け容れられないこと、或いは自らの価値観に合わない振る舞いを強制されることの苦しみから、不登校や休職(生活からの逃避)といった不利益な状態が生じている」


私はもう二度と、そうなることはないとニラヤマは語った。


「私とおんなじ性質の人間は、きっと地の果てまで探しても居ない。男という性質で、障害という性質で、もちろん優等生という性質でも、その区分けに集まった人たちと私は絶対に同じではない。

彼らが当たり前だと思っていることが私にはそうではなくて、反対に私が思っていることに共感なんてしてもらえない、それを諦めてこれからの一生を生きていく」


試験を成功させても、同じ試験を成功させたような立場の人間としか会えないし、そもそも創作を介して繋がる空間であっても、その良さを共感し合える者同士でしか一緒に居られないのなら、それは一つの『宗教』でしかない。信仰するに値する完成度や信念の強さ、確かに素晴らしいことだが自分はそこから逃れるために来たのだ。


あるものの中から選り好みしなくてはいけない、誰もがお互いに。本当は自分の理想というものが明確にあって、けれどそれに出会えることは絶対にないから。

いくつか妥協した候補の、選り好みした相手に選り好みされるように、やりたくないことをしたり嘘をついたりする。その集まりにおける価値観を、その立場に価値があると信じているふりを、自分自身にさえ思い込ませる。


世の中に『すごい人間』という名前の人間は居ないけど、その人のすごくない部分や行動は意図的に無視され『その人らしくない』と批難や制限を受けたりする、だから『すごい人間』と称揚する者たちに囲まれている場でその人の別の側面には会うことはできない。

優等生、負け犬、医者、患者、障碍者、オタク、男、女、マイノリティ、そんな名前の人間は居ないのに。その立場を守るためには、その立場から逃れることができない、そんな制約をいつの間にか負うようになっていく。


そして、その立場から見られない景色の全てを酸っぱい葡萄と断じて幸せに生きるか、どうにか逃れようと身分を偽り裏で相応しくないことをして危険を冒すかの選択を迫られる。仮想現実という場所はそんな現実を生きる者にとって、


「この場所なら違うかと思ったんだ……私の探していた約束の地(りそうきょう)かもしれないって……」


現実(さき)にもVR(あと)にも、ニラヤマが泣くのを見たのはミズナラが最後でした。


そして、ああ――この人は元カノに似ているのだ。

周囲に受け容れられず、当たり前の楽しい時間を知らず、大きなものを犠牲に何かを成し遂げた。当たり前に持つものを持たず、当たり前に持つべきでないものを持つ。

一見的外れな「女だから好きになったのか」という最初の言葉は、きっと彼の思考の中では筋道立った推論による問いだったのだと、周回遅れでミズナラは理解します。


彼女にあって彼にないものは逸脱を活かし才能として受容される場であり、彼にあって彼女にないのは逸脱を言葉として他者に伝える能力だった。ニラヤマを好きになってしまったのも、そういう人を性別関係なく好きになる性分だったのかもしれないと。


この人は自分が感じたばかりの孤独の中で、息をするように自分を隠して生きてきた。

その姿は現実の人生では決して見えることがなく、このVRという世界でだけ真の姿を見ることができる鏡映しの虚像だった。異質を隠すことなく畏敬や賞賛、アイドル性すら付与される者はどれだけ幸福だろうと羨みながら、異質であることを罪のように口を閉ざし続ける者も居る。


或いは元カノが後者のままであったなら、自分は彼女の傍に居ることが苦にならなかっただろうか。

それは罪深く恐ろしい想像だったが、ニラヤマに話すと「別に倫理的である必要もないんじゃないですか。それが良いことじゃないって自覚してやる分には、拒絶されたりしっぺ返しがあっても許容できるでしょう?」と事も無げに受け容れました。


「私に与えられた期限は二年間」とニラヤマは言いました。


「それが終わったらEDENから去り、国家試験の勉強だけに全ての力を注ぐ。だから、それまでの間はまだ、理想郷に行くことを諦めない。どんな手段を使ってでも“カナン”に入り込み、それ以外のEDENの側面も全て知る。もしかしたら、次の場所でなら私と同じ人間が居るかもしれない、せめて楽に呼吸をすることくらいは許されるかもしれない約束の地を、見つけて辿り着いてやる」


なにか自分のやりたいことやったら皆の得になって、それで得した皆もやりたいことで私の得になってくれて、そういうのだけで世界が回っていかないかなって思う、とニラヤマは言いました。そして前に聞いた“カナン”という場所が、そうかもしれないと思ったのだと。

創作をして見てもらいたい人が居て、面白い創作を楽しみたい人たちが居て、それで回ってる世界。けれど、そこに行こうとしたら『履歴書を出せ』って現実と同じことを言われた。インスタンスの上限を会員数がとっくに越えてて、採用は他のSNSでの活動歴を見て決めるらしい。

インスタンスの人数が限られてるなら、より近い感性の人に見に来てもらったり出し物に参加して欲しいんだろうけど、向こうの理由なんて知ったことではない。


「あいつらは『全員を救うことはできない』と言った。私はその対となる言葉が『お前だけは絶対に殺す』であると教えてやる。一度感じた不自由は、一生ついて回る。この世の何処かに自分が行けない場所があるなんて、絶対に認めるものか」


不自由となる要素を一つ一つ取り除いていったら、自由になることができるのだろうか?

けれど自由を奪われたと感じたならば、その対象と決着をつけねばならないのは確かだ。

葡萄が酸いと確かめ、逃がした魚を測量器にかけ、隣の芝を自らの家に植え直さねばならない。所有するのではなく、その場所、その人間、その価値に対する幻想さえ滅ぼすことができたら良かった。その『自由』というものに対する偏執的なまでの執着こそが、ニラヤマという人間でした。

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