『神の毛刈り器』前編
「本当にあんたがやったの?接続が切れる前になんか言いかけてたでしょ。なんか外のSNSで注意喚起みたいなことしてる人が居て、箱型の迷惑アバター使ったやつがUDON毛刈りのワールドを壊したって言ってるから注意してみたいなのが流れてきたからさ」
豆腐が招待されたのは照明を落とした1DKのアパートで、六畳半ほどの狭い室内に待っていたニラヤマが先に口を開きました。
「……だとしたらどうする。我を通報してブロックするか?」
ニラヤマは不貞腐れた豆腐にひとしきり笑った後、予想していたのとは違うことを言いました。
「その様子だと他の場所での“お告げ”とやらは失敗したみたいですね。別にいいんですよ、人気ワールドの一つがどうなったってさ。私にとって重要なのはUDON毛刈りに不具合が起こる前に、あんたがそれを予言したってことなんです」
このワールドの製作者欄にはインスタンスの主と同じ、ニラヤマのIDが書いてありました。
配置されたテーブルの上に転がったビールの空き缶だとか、食べかけのピザといった小物からは見ているだけで生活臭が漂ってきそうです。金属製の灰皿には吸い殻以外のものまで捨てられていて、つけっぱなしのテレビが室内の壁を画面の色に照らしています。
さしずめ現実であれば部屋の主は怠惰でお金のない人間というところですが、こうしてVR-EDENのワールドとして存在しているということは、散らかった小物の3Dモデルもわざわざ自分でモデリングするか購入して、それらしく見えるよう律儀に景観を組み上げたということです。
「……薄暗くて散らかっておるな」
感想に困った豆腐が呟くと、ニラヤマは「そうでしょ?」と何故か嬉しそうに頷きました。
そうしてワールドの中に居ると、ニラヤマのアバターも現実のどこかで暮らしている実在の人間で、会ったことがないだけで本当にこういう部屋に住んでいるのではないか、という考えさえ浮かんできます。
「彼氏の部屋かもしれないけどね、へっへ」とニラヤマが笑うと、わざわざEDENの中でまで見るまでもない、特徴がなくて地味だと思っていた普通の少女のアバターも、何かしらの理想を込めて作られたのかもしれないと豆腐は思います。
そして豆腐はこんなワールドを作るニラヤマならば、カバーストーリーではない『災厄によってEDENが滅ぶ』という本当の預言を明かしても、それを止めるべく協力してくれるかもしれないと考えました。
「時代が進むにつれて我の采配を受け容れられぬ人間が増えてきたので、我はこれまで災害や奇跡といった『偶然の産物』という形でしか世界に干渉することができなかった。だがVR-EDENで人々の祈りを『ユーザーからの要望』という形で聞き届け、我は『運営』という立場から『不具合の修正や仕様変更』として隠すことなく介入を行うことができるのだ」
神の存在を信じていない大多数のユーザーに対しても、有能な『運営』としてならば彼らの生きる世界に干渉しても混乱を引き起こさない、という理屈はお告げを受けた人間である豆腐にとっても納得が行くものでした。そして、お告げの主はこう続けたのです。
「しかし『運営』の立場からでも解決することのできない、過剰なものを一掃するために『正式サービスの開始』という名目が必要になった。
そして過剰だが悪徳ではないものが完全には失われぬよう、ユーザーに備えさせるため『律法体』という特別なアカウントを用意した」
既得権益と内輪の繋がりでEDENが新たなユーザーの立ち入れない場所になることを懸念した運営は、まだEDENに訪れたことのないが興味を持っている敬虔な人間に『正式サービスに際して互換性が一部失われる』というカバーストーリーを伝え広めるように、特別な権限を持つ『律法体』という名のアカウントを与えたのだと豆腐は話します。
ニラヤマは自分が『豆腐』と呼んでいたものの正体を聞いて、実際にEDENについて何も知らなさそうな豆腐の口から荒唐無稽でも矛盾がない説明が出てくることに、ぞっとしました。
「――ええっと、それを解決するためにEDENに来ようとしていた、あんたを雇ったってことですか?」
ニラヤマが話を遮って質問すると、豆腐は「使者に選ばれた理由はVRの世界に興味を持ちながらも、まだEDENという地の常識に染まり切っていない敬虔なる信徒であるからだという。その条件では、我の他には見つからなかったのかもしれんな」と答えます。
「私はそう思いませんけどね。その話がもし本当だとするならですけど、運営はあんたが失敗すると分かっていて――つまり、やる気はあるけどEDENについての知識がない人間に“お告げ”を失敗してもらうために、あんたを派遣したんじゃないですか?」
「……どういうことだ?」窓から差し込むディレクショナルライトに照らされて、ニラヤマの横顔が青白く浮かび上がっています。
「さっきUDON毛刈りのワールドに居た時に、考えたことなんですけどね」豆腐が問うのを待っていたように、ニラヤマは話を始めます。豆腐はそれをVR機器のスピーカーから、他に誰も居ないアパートの一室で聞きました。