『バーチャルアイドル、ミズナラ(3)』
最初のうちはミズナラも『知恵の実』による繋がりで特別な扱いを受けることを悪くない気分だと思っていました。
コミュニティの管理をムロトに手伝ってもらいながら自分はアイドルとして振る舞うことで、それが理想的な場所だと自他に思わせることにも繋がりました。
ですが正式サービスの開始が近づくうち、それも豆腐から与えられた『契約の箱』という特別な機能ありきでの賞賛で、正式サービスが開始された後の自分に残るものなど何一つとして無いと焦り始めます。
豆腐が来なくなってからは友人限定のインスタンスで交流会を行う頻度も下がり、ミズナラは『知恵の実』を持つユーザーの集まる招待限定の中に閉じ籠るようになりました。
それでも豆腐を受け容れてくれるユーザー達、という形でどうにか『知恵の実』による繋がりをニラヤマ達に紹介できないかと思っていました矢先、豆腐がワールド製作を通して『頭の中の世界』を見せ合えることがEDENの全てのように言うのを聞いてしまいました。
そして、ついにミズナラは豆腐という特別な権限と使命を与えられたユーザーのことや、ニラヤマが“カナン”の破壊を目論んでいることまでムロトに話してしまったのです。
「ニラヤマさんは“カナン”の破壊っていう考えを捨てるどころか、その豆腐っていう人とのワールド製作が僕と会うのより楽しいみたいで」
愚痴を経由して本題に戻って来たミズナラの相談事に、ムロトはあっけらかんと答えます。
「ああ、それは簡単じゃない?どう考えたってVR-EDEN内のシステムを使って“カナン”を破壊することはできないし、それ以外の能力を持つかもしれない方はEDENのことを何も分からない。だからニラヤマくんと豆腐って人を引き離してしまえば良いんだよ」
だから二人と別々のところで会うことが難しいのだというのに。
二人は創作によって自分たちの望む世界を作ろうとしていて、それ以外の場所に行く理由も時間もないのだから。
内心でそんな風に考えているミズナラに、ムロトは「ニラヤマくんみたいな人は特定の人間じゃなくて、自分が行ったことのない場所にしか興味がないからさ。新しく出会った豆腐って人から引き離したいなら『知恵の実』の繋がりに、その豆腐くんって人が参加できないようなコンテンツを用意すれば良いんだよ」と言います。
「そのコンテンツって“メス堕ち”のことじゃないですよね?」とミズナラは聞きました。
美少女アバターに身体を同期させて可愛い動きをしたりボイチェンによる可愛い声で振る舞い、周囲からも美少女として扱われるうちに精神まで染められる現象を“メス堕ち”と言います。
そしてメス堕ちというのは一人ではできません。何故かというと自分のことをメス、つまり美少女として扱ってくれる男役が居て、それに美少女として反応することで初めてメスになれるからです。
そして男性をメスとして扱う人のことを一般的にホモと呼び、ムロトが有名人なのは“メス堕ち”したい人にとって理想のホモであるからでした。
「うーん、ちょっと違うかな?むしろ“ソドム”に居る人だとできないことでさ」
とムロトは煮え切らない返答をして、じれったさを感じていたミズナラは全く予想しない言葉を聞きます。
「……ミズナラくん、俺とお砂糖してみない?」
「へ?」
お砂糖とは『砂糖を吐く』という比喩を語源としてVRSNS内におけるカップルや、ユーザー同士でそういう関係になる行為を表した言葉です。
そして誰もが美少女になれるVRSNSでそれがメインコンテンツだという風潮は、ずっと昔から一大勢力として存在していました。
「ニラヤマくんを好きなのも知ってるけど、お砂糖なんて本当の恋愛じゃないんだからさ」とムロトが言うように、実生活に関わりのない相手と現実のしがらみ抜きで繋がれる仮初めな気軽さも、新しい文化として後押しされる一因であったのでしょう。
ミズナラは、ニラヤマがどういう反応をするか、手に取るように予想できました。
彼はその行為に参加するかはともかくとして、どんな事が行われている場所でも『自分がまだ体験していないもの』に触れるために訪れて、そこに価値を見い出せずとも他のコンテンツが集まる『知恵の実』の繋がりに積極的に訪れるのです。
ミズナラに対して失恋のような想いを抱くでも、気心知れたフレンドが手の届かぬ領域に行ってしまったと寂しくなるでもなく、そのような『未知』への貪欲さを発揮して、どんな禁忌でも踏み越えていく自由さを持つニラヤマの横顔を、ミズナラはずっと見てきたのですから。
そして、これからも横顔を眺めていられる『放課後』が続けば良いと、ミズナラは願おうと思いました。




