『方舟思想パンデミック』
「――あれ?」
と豆腐の後を追ってテスト公開中のワールドに到着したニラヤマは、周りにミズナラも豆腐も居ないことに気付きます。
とはいえ決して人数が少ないわけではなく、どのコミュニティや国から来たかも分からない十数人のユーザー達が、小さな輪を作って好き勝手に話したりワールドを歩き回ったりしています。
豆腐がどこに行ったか調べようとソーシャル欄を開いたニラヤマは、ここ以外にもう一つ定員に達したインスタンスが開かれていることに気付きました。
「まさか、ここ『弾かれインスタンス』か!?」
ニラヤマは違和感の正体に気付いて、思わずミュートにするのも忘れて叫びます。
『弾かれインスタンス』とは、参加を選んだインスタンスが既に定員に達していた場合、同じワールドの全体公開に移動させられる機能の俗称です。
ワールドを散策することが目的である場合は『弾かれインスタンス』でも問題ありませんが、そこで行われるイベントや集まるユーザーが目的である場合は本会場でないと意味がありません。
「豆腐!!!」と咄嗟に連絡を取ることができたのはミズナラの『知恵の実』を経由したからで「ぬァアアア!ニラヤマよ、貴様はまだ来ないのか!」と、案の定というか『弾かれインスタンス』について知らない豆腐からの悲鳴交じりの怒号が帰ってきます。
「ニラヤマよ、これも貴様が仕組んだことなのか!?」
「なんだって?そっちはどうなってんの?」
ニラヤマは『弾かれインスタンス』についてかいつまんで説明した後、公開したばかりのワールドにそれほどの人数が集まることが想定外であると言います。
「このインスタンスは友人交流だと言うのに、ほぼ全てのユーザーが箱型のアバターを使っておるぞ。これではワールド紹介の配信ではなく、ミズナラのために行われる何かのイベントのようだ」と豆腐の不安げな声から、ニラヤマも何かただ事ではない事態が起こっているらしいと理解します。
そして豆腐にとっては以前に訪れた時よりも多様な改変を施され、色や形状で個性を出した箱型の改変アバターの中では、また誰かに話しかけられるかもしれないという不安もありました。
不用意に『神の使者』を名乗ってしまえば胡乱なユーザーとして自分をコミュニティに招いたミズナラ達にまで迷惑がかかるかもしれず、けれど手足のある色とりどりの箱たちに囲まれていては『豆腐』という姿すらも個性にはできないのです。
「我がいつも通りに暴れたら、迷惑がったユーザーが去って人数に空きができるだろう。貴様が何も企んでないと言うのなら、早くこちらのインスタンスに合流するのだ」
「馬鹿じゃないですか?あんたこれ以上ブロックされたら、アカウント凍結されるんですよ。インスタンス主ミズナラが居るはずだから何とか合流して、後のことは……」
とまで言ったところで、ニラヤマは一つの疑問を抱きます。
そもそもインスタンスの定員はワールドごとに設定されるのですが、そこまでの人数が集まるはずもないと“お告げ”のワールドは初期設定の最大人数のままでした。
PCスペックの低いユーザーならアバターの数だけで処理落ちしてフリーズしかねない、そんな人数が理由もなく集まるはずもありません。
ここまでの異常事態が起こっているならば、インスタンス主であるミズナラから『知恵の実』を介して連絡の一つがあっても良かったのではないか。
その疑問をニラヤマが口にするよりも先に『知恵の実』を通して聞こえてきたのは、いつの間にか豆腐の背後に立って会話を聞いていたらしい一人のユーザーの声でした。
「……ねえ、敢えてニラヤマくんに向けて言うんだけどさ」と向こうのインスタンスの喧騒越しに聞こえてきた声に、豆腐だけでなくニラヤマもぴたりと動きを止めます。
異なるインスタンスから豆腐を介して自分に呼びかけているとすれば、それは『知恵の実』とそれを契約した豆腐の存在を知っているということでした。
「今この場所には色んなコミュニティの有名人や、ニラヤマくんが好きなワールドの製作者たちをミズナラくんが集めてくれているんだ。ミズナラくんの配信中の“お告げ”なんてしなくても、このワールドの製作者として豆腐くんを紹介してあげるよ。それでVisitorじゃなくなったら“いつも通り”にしても、アカウント凍結されたりしないでしょ?」
その提案は豆腐の存在が明るみに出ることで恐れていた、豆腐をニラヤマに告発させるようなものとは真逆のものでした。
しかし彼は何時だってEDENをよく知る者からの『アドバイス』の体で、他人を自分にとって有利になるよう行動させてきたのです。
ニラヤマも豆腐も、ようやく思い出しました。誰が『ワールドを創る』ことを“お告げ”を広める方法として提案したのかと、その人物が以前からニラヤマに『複数のコミュニティから人が集まる友人交流』のためのワールドを創って欲しいと言っていたことを。
そのユーザーは“ソドム”と呼ばれるコミュニティの有名人でミズナラとは旧知の間柄、誰にとっても悩みを相談しやすい性格から様々なプライベートの事情を知る、名をムロトと言いました。
ムロトは全ての羊が虹色の羊毛になるって不具合が起こった時、ニラヤマに誘われて巨大化した豆腐が預言を行った場所に来ていたのです。
ただの荒らしだと言うにはEDENという地に蔓延した不満を言い当てていて、しかも噂を聞いた程度で壊れたワールドに集まるのは、行きたいところに行けず時間を持て余しているユーザーがほとんどでした。
インスタンスの壁に隔てられ、一度きりの“お告げ”には又聞きで“らしい”の尾ひれが付き続け、実際に見ることができなかったユーザーは再び何処かのインスタンスで“お告げ”が行われるのではないかと、面白半分に期待半分で噂するようになりました。
そんな折にムロトはニラヤマが“毛刈り棒”を振り回し、豆腐と呼ばれる存在が第二のお告げを行った現場にも居合わせたのです。
ムロトは彼らの相談に乗りながら、もう一つの噂を広めました。
「今週末にミズナラというユーザーの名義で開かれる、友人交流インスタンスで運営の使者が訪れる。そこで使者に認められたユーザーにのみ『知恵の実』というアイテムが与えられ、正式サービスが開始された後に今のEDENに存在する悪いもの全てを置き去りにして、楽しいものだけが集う“約束の地”に最初から行けることが約束されるだろう」
現実の世界において使い古された終末思想は、小規模な終わりを繰り返し続ける『インターネット』という永遠とは程遠い世界で再び息を吹き返します。
それは今の世界の終わりと同時にしがらみや積み重ねてきた失敗による負債が一掃されて、新しく創り直された場所では今ある問題の全てが解決されている、言わばEDEN“2”とでも言うべき世界に自分たちは行く権利があるという『ノアの方舟』めいた思想でした。
悪いものは新しい世界へと向かう方舟に乗せられることなく、そして自分がその“悪いもの”であるとは考えもしない。
ワールドの製作者はニラヤマと豆腐でありながら、そのインスタンス内に渦巻く『ノアの方舟』思想とでも言うべき終末信仰の始祖はニラヤマでも豆腐でもありませんでした。




