『超自然のできごとを奇跡と呼ぶが、仮想現実に自然なものは置いてない』後編
「即答することはないだろう!ネットリテラシーの授業で“画面の向こうに居るのは同じ人間です”って習わなかったのか!?」
神の使者なんじゃないのかとニラヤマがツッコむ前に、豆腐は『UDON毛刈り』の羊になったまま羊毛の直方体をどんどん巨大化させていきます。それだけでなく何やら1680万色に光り始めて、視界一面に広がる目に優しくない光にワールドが埋め尽くされます。
ニラヤマは豆腐のことを、昔ウィンドウズに居たイルカみたいなやつだなと思いました。消えろという要望は聞いてくれないどころか、怒るばかりで解決法すら提示してくれないようです。その時ブッと音がして、ニラヤマは自分が握っているものに気付きました。
「一つ目の“災厄”の預言だ!我が変じた虹色の羊の毛を刈ると、このワールドに存在する羊の毛は二度と生え変わらなっぐぁああ あ あ!!!」
豆腐は最後まで言い終わらないうちに、雑音で飛び飛びの叫び声を上げながら動きを鈍らせていきます。ニラヤマが豆腐に押し当てたのは、ワールド備え付けの毛刈り器でした。
そして虹色に光っていた羊毛をバリバリと刈り切った瞬間に、何故かブツッ、という接続が切れた時の音が聞こえて、ニラヤマの視点はUDON毛刈りの中からワールド移動中のローディング画面に移動します。
「あ……虹色の羊」そしてニラヤマは豆腐が変化したのが、探し続けていた“虹色の羊”だったと今更ながらに気付いたのでした。
後になってからニラヤマが知ったことですが、この時ワールドから切断されたのは『UDON毛刈り』だけではありませんでした。
時差のある全世界にサービスを提供するために、ほぼ年中24時間で稼働し続けているVR-EDENですが、たまにシステム障害の対応やアップデートなどで一時的にアクセスできなくなることがあるのです。
多くの場合と同じように十数分以内でEDENへの再接続は可能になったのですが、今回は完全に元通りとは行きませんでした。ニラヤマたちの居た”UDON毛刈り”のワールドの羊から、羊毛が生えなくなっていたのです。
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「主なる神はEDENを名乗るこの世界が真に楽園であるかを見定めて、裁定を下すために我を遣わされた!もしも七日の間に我が正しき心を持っている者、滅ぶべきでない場所に出会えなければ、この世界とそこに住まう者たちは一掃されるであろう!あの『毛刈り』のワールドの滅びはEDENに主なる意志が存在するという“しるし”であるのだ」
豆腐はユーザーが集まって話せるように作られた“集会所”ワールドで、高らかにそう宣言することにしました。
一人きりで居たいユーザーに話しかけたのが間違いだったと、最初からこうすれば良かったのだと豆腐は思いました。宣言した通りに奇跡や災厄を起こすことができるのなら、どんなに信心のない人間が見ても信じるしかないはずです。
律法体はとりあえず数十人の定員ぎりぎりまでユーザーが集まっている、全体公開のインスタンスを預言の場所に選びました。
移動した先では互いの声が届かないくらいの距離を取って、数人のユーザーで集まっている会話の輪が点在しています。
豆腐はどこか一つのグループを自分に注目させることができれば、彼らを引き連れてインスタンス中を預言して回るつもりで、様々なアバターで会話している集まりの間を移動して回りました。
「……ここは後回しにしてやろう、いずれ全員が知ることとなるのだからな!」
そして捨て台詞だけ残した豆腐が別のインスタンスに移動したのは、誰と話すこともなく広めのワールドを二周ほど回り終えた後でした。
全体公開のインスタンスと言えど、彼らの大多数は知っているユーザーが一人でも居るところに集まって、そこに居る人たちが知っているであろう話題について話しているのです。
しかし彼らが律法体について知っているのは、どんなアバターを使っているかという外見と、VR-EDENという場所に居るというユーザー全員の共通点だけなのです。
今楽しんでいる話を切り上げてまで「お前は誰だ」と問い掛けてくれるユーザーは居なかったですし、律法体もたった一つのVR-EDENという共通点を否定して脅かすような宣言で割って入っていくことはできませんでした。
「ねー聞いた?さっきワールドから切断された時のアップデートで、一部のワールドが壊れてるんだってさ。UDON毛刈りとか羊が消えたらしいね」
「まあVR-EDENはβテスト中のサービスだし不具合とかバグは割とあるけど、作ったワールドの規格がアップデートで噛み合わなくなるのは勘弁して欲しいな」
次に入ったインスタンスで豆腐はUDON毛刈りの異変について、そんな話をしているグループを見つけました。
なのでインスタンス内のユーザー達の注意を引くために、UDON毛刈りに居た羊のように七色に光り輝きながらインスタンス内を飛び回ります。
そして初めてニラヤマ以外から話しかけられたのは「お前のアバターはうるさくて目に悪い」と英語で言われて、そのまま目の前でブロックされた時でした。
確かにVRSNSでは目立つために気味の悪い造形の3Dモデルや、目を眩ませるほどの光や大音量をまき散らすことも可能ですが、あまりにも主張が強すぎるとその場の景観や雰囲気を壊してしまいます。
行き過ぎた技術というものが存在しないとしても、技術を見せびらかすことには行き過ぎがあるのです。
「……もしかしたら、我は大きな考え違いをしていたのではないか?」
豆腐が自らの過ちに気が付いたのは周囲のユーザーのほとんどからブロックされて、インスタンスからの追放投票が開始された後でした。
豆腐は“お告げ”を受けてEDENに訪れるよりも前から神を信じていましたが、将来性や収入を考えて神に身を捧げる――つまり聖職者になる道を諦めたことが、ずっと自分の中で負い目になっていました。
だから神から“お告げ”を与えられた時、今度こそ自らの信仰を証明する機会であると喜び勇んで『神の使者』を名乗るようになったのです。
それは大多数の人々が神の存在を信じていないと知っていて、あくまで運営に雇われたエージェントとして名乗れば良かったにも関わらず、偽りなく自分が『神の使者』であると名乗れてしまう欲求に抗えなかった豆腐の過ちでした
「もしも運営や開発の他に、宣言した通りに奇跡や災厄を起こすことができると自称する者が居たとして、悪意あるハッキングを行った不正なユーザーだと通報されるだけだろう。あの少女ニラヤマの言った通り、信仰を取り戻すために与えられた奇跡の力であっても、それを求めていない相手に一方的に押し付けたのは、我の傲慢さによる行いだったのだ」
豆腐は一定数以上のユーザーにブロック・通報を受けた新規ユーザーは、荒らし対策として自動的に一週間アカウントが凍結されるという規約を思い出します。
ただでさえブロックされた相手の画面では豆腐の姿も声も存在しないように扱われるので、お告げどころか自分の意志を伝える手段すらも失われてしまうのです。
もしアカウントの凍結までされたとしたら、七日の間にお告げで与えられた使命を果たすことなど不可能でした。
ポン、と音を立てて豆腐のディスプレイにニラヤマのアイコンが表示されたのは、まさにその時です。
それはニラヤマが今居る場所に豆腐を移動させる、招待と呼ばれるアイコンでした。
一も二もなくニラヤマの招待を承認した豆腐は、短いローディング画面を挟んで別のワールドに移動していました。