『退屈からの逃避行!あなたと私の失楽園[ロストエデン]』前編
「二人がアクセサリー越しに私のことを見てたらしい時にさ、私もイヤリングから二人の話し声が聞こえてたんだ。豆腐も聞いてるんでしょ?」
とニラヤマは会話の中継地点であるアクセサリーに話しかけます。
「勘違いしないようにね、ミズナラは誰にでも“ああ”だから」と言われて、豆腐は仕方なく二人の会話に加わります。
「なんだ、ミズナラとの会話が気に食わなかったのか」
「アクセサリーに化けるように言ったのは邪魔にならないようにするためで、私はあんたを皆に知ってもらうことの手助けなんてするつもりはないよ。ただミズナラは他人の良いところを気付いてあげるのが上手いからさ、
アバターの改変とかを褒めてもらった人は今のあんたみたいにミズナラの周りに居たがるんだ。息をするように他人を思いやれるミズナラにはさ、誰かにそっけなくするのは息を止めるのと同じくらい難しいんだろうね」
それを聞いて、豆腐は歯がゆく思いました。
普段から誰にでも優しいミズナラは想い人であるニラヤマだけを特別扱いできず、今回のような事態に巻き込まれたくないニラヤマは本来ミズナラの居場所である“クラスの中心”から一番遠い場所に居るのです。
こうして二人きりで話しているのも、豆腐というEDENに有り得ない存在を通しての奇跡のようなものでした。
「私が行きたいコミュニティのことも知っていたのに、ムロトさんのこと理由にして教えてくれなかったのも聞いてたよ。ミズナラはさぁ、誰にでも優しくするのに私にだけはワガママなんだね」
今だけは見覚えのない豆腐に気を取られているユーザー達も、ミズナラがどこに逃げようといつかは会いに来るでしょう。
だから今この瞬間が二人きりで会話できる最後の機会かもしれないのに、ミズナラは自分の想いを口にできません。
「そっ……!」
「嬉しかったよ、私はそういうミズナラと友達になったんだから。こんなところで大勢に囲まれて、誰にも嫌われたくないからって自分を押し殺してる今のミズナラじゃなくてさ」
動揺して言葉を詰まらせるミズナラに、ニラヤマが言いました。
「私には『友達』だなんて呼べるのはミズナラくらいしか居なくて、祭司だとかで一緒にEDENを巡りたい相手なんて他に思いつかなかった。でもミズナラはみんなの人気者だからさ、こうでもしなきゃミズナラがどう思ってるのか知ることもできなかったんだ」
「……ニラヤマ、貴様どこまで分かっていて見せたのだ!?」
まるで今の状況になることが分かっていたようなニラヤマの口ぶりに、豆腐はミズナラとムロトが居る“この場所”を参加先に選んだ意図を気付いてしまいます。
もしムロトとミズナラのフレンドの関係を認識している人間が居たなら、後はそれが起こりうるメンバー構成のインスタンスに居るだけで、コミュニティの問題を見せつけることができるのです。
豆腐に、そしてミズナラにこの状況を見させた張本人であるニラヤマは「さーなんのことだか。あとさぁ撮っていいとは言ったけど、誰かに見せて良いとは言わなかったからね。あんたが勝手にやったことだから、私を責められても困っちゃうなぁ」と笑いながら答えます。
「私は誰のことも責めないし、嫌なことがあっても誰にも愚痴を言わないよ。何かを我慢するから愚痴なんて言いたくなるんだし、遠慮するから誰かを責めないとやってられなくなるんだ。社会がそういうことで成り立ってるんだとしても、それをするのは私じゃない」
その声が終わると同時にミズナラの胸元にあるアクセサリーが大きくなって、水面に立って“UDON毛刈り”の毛刈り棒を構えているニラヤマの姿が映し出されます。
「ニラヤマの願いを反映した“契約の箱”を、今この場で使うつもりか!?」と、豆腐は思わず叫びました。
豆腐と契約したユーザーの想いを汲んで、姿を変えるだけでなく様々な機能を持つことができる直方体。こうして離れた場所の音声と映像を繋ぐことができるのも、ミズナラの願いを読み取って豆腐が姿を変えたものです。
そしてワールドを跨いで持ち込まれたニラヤマの箱が、どんな効果を及ぼすものかはミズナラも最初に見ていました。
「お気持ち表明ってのはなあ!こうやるもんだよ!!!」
と叫ぶと、ニラヤマは毛刈り棒をワールドの水面に振り下ろしました。
叩きつけられた毛刈り棒がブブブとコントローラーを振動させながら、さっきまで太陽を反射して煌めいていた半透明な海が、不透明なピンク色の箱に変化します。
陰影もへったくれも存在しない影絵のように平坦なピンク色は、オブジェクトに使用するマテリアルやシェーダーが何らかの理由で動作しない状況で、エラーがあると示すための鮮やかなピンク色[RGB255/0/255]でした。
この現象が発生するのはシェーダーを記述したファイルが破損したか参照先が見つからない場合、VR-EDEN側のアップデートによって製作ソフトの古い機能がサポートされなくなって、スクリプトが正常に動作しなくなった場合などです。
なのでゲーム制作ソフトを使ったことのあるEDENの住人にとって、その“伝統的なピンク色”は虹色などと比べれば遥かに本能的恐怖を呼び起こすものでした。
「羊の毛刈り用だったのに豆腐やワールドの机まで削れるんだからさ、もしかしたら箱型のものならなんでも“刈れる”んじゃないかって思ったんだ。ワールド作ってたら分かるけどEDENでは海だって大地だって、平面か直方体で作られてることが多いからさ」
インスタンスではニラヤマが見慣れぬ棒を持って、その場に居ない誰かと話しているのを誰も気に留めないほどの大混乱が起こっていました。
仮想現実では短剣を懐に忍ばせて相手の根城に乗り込んでいくことも、親友と殴り合うように不満やわだかまりを解消することもできません。
だから不快の源である相手をブロックすることで“不快を避ける”か、逆にブロックされないように節度をわきまえることが社会的な振る舞いなのです。
反対に言えば“ブロックされるほどではない”迷惑な行動というものを、許すしかないと分かっていて選択できてしまうのがEDENという場所で、それ故にフレンドに我慢を押し付ける“陣取りゲーム”のような現象が起きてしまうのです。
そこにニラヤマはEDENのデータを破壊できる“契約の箱”の毛刈り棒、つまり“相手を刺すことができる短刀”を持って現れたのでした。
「最初に許容値ギリギリの迷惑を許してもらってたのは、あんた達の方だ。あんたが許容値をちょっと超えるくらいの迷惑をかけられたからって、今まで迷惑を許してもらってた誰かに泣きついて助けてもらえると思うのか!?」
ニラヤマはわざと、インスタンス内の誰かに聞こえるような大声で叫びます。
このままでは混乱の中でインスタンス内のユーザーがログアウトしていく前に、誰がこの事態を引き起こしたかの疑いが、その意図まで含めて気取られてしまうかもしれません。
そしてニラヤマの言い分にも確かに一定の理はありましたが、最初に“直接的な暴力”を使ってしまった時点で相手との平和的な話し合いの選択肢は失われてしまうものです。
その様子を見ていた豆腐は「ニラヤマは今のインスタスを破壊するつもりだ。貴様がもしニラヤマと二度と会えなくなるのが嫌だと今でも思うなら、貴様にしかできぬ方法で奴を助けるのだ」とミズナラに言いました。
今ここで何もしなければミズナラはニラヤマと会う機会を永遠に失うだけでなく、ニラヤマから今のコミュニティという行き先を失わせることになるのです。
ニラヤマはそういう状況を作ることで、自分から何も奪いたくないと消極的なミズナラを無理やりにでも連れ出そうとして、また豆腐のこともミズナラを『祭司』として同行させることができるかどうか試しているのでした。
だから、豆腐は「ふん!不満を言うに言えず、敵ではない者たちにまで不快を押し付けるとは呆れたものだな。ニラヤマ貴様もだぞ」とぼやきます。
「で……でも、ニラヤマさんを助けるって言っても、一体どうやって!?」
それに豆腐が答えるよりも早く、ニラヤマが言いました。
「知恵の実は預けてあるだろ、そいつを使いなよ」
ミズナラはその声が聞こえてくる、両手の上に乗せていたものを見ます。
大きくなったアクセサリーは手のひらに乗るようなサイズをしていて、それはボクセル化された林檎のように赤く輝いていました。
「もしも貴様が『祭司』として我とニラヤマの使命を手伝うならば、貴様の願いを叶えるために我が“しるし”を行使してやろう……ニラヤマよ、ミズナラと契約して願いを聞くことは構わんのだな?」
豆腐の念押しに「私を助けろとか願っておけば、後は豆腐が“しるし”とやらで願いを叶えてくれるんでしょ」とニラヤマは答えます。
「ミズナラよ、貴様がニラヤマを助ける方法は簡単だ。貴様は今まで悲しい気持ちで居たのだろう、何か苦しくなることがあったのだろう。何故そういう気持ちになったのかを言葉にして、どうなって欲しいと望むのかを我とここに居る者たちに分かるように話すのだ」
「で……でも、そんなこと言ったとしても繊細過ぎるって思われたり、個人の問題だろって嫌がられるんじゃないですか?」
この期に及んで不安そうなミズナラに、豆腐は「こうして明らかな滅びが起こっている状況でもか?」と答えます。
「そんなことを言うような者たちは、自分が短刀に刺されることはないと思っているから言うことができるのだ。彼らは“短刀で人を刺すのは良くない”と、刺されてから表明することになるだろうな」
激怒したメロスのように短剣を懐に忍ばせて、根城に殴り込みをかける人間なんて元から多くはないのです。
だから今の人々はどうにもならないことを言葉にしようとして、うまく理由を伝えられずに不快や悲しさだけを撒き散らすことになったりする。
ですが、それよりも昔からずっと人は思い通りにならないことばかりの世界で、それを短剣にもお気持ち表明にもせずに一つの方法に託してきたのです。
「人は自らの力でどうすることもできない悲しみや苦しみ、世の不平等といったものに直面した時に初めて『祈り』を捧げるものだ。しかし無宗教が聞いて呆れる。苦しみや不快なんてものは誰だって胸の奥底に仕舞って生きていて、自分も我慢しているのだからと祈っている誰かのことを貶すのが、貴様らが信じている“世間”という神だ。
その神から喚き散らされた言葉を信じて、耐え忍ぶことを美徳として求められてきたのだろう。だがミズナラよ、今この瞬間だけは世間ではなく我の神に祈れ!我がその使者として願いを叶えてやろう!」
「……僕、わたしは――」
ミズナラは手のひらに乗せた赤い林檎のようなアクセサリーに、唇を寄せるようにして“願い”を囁きます。
その言葉に応じるように、巨大化して宙に浮かんでいた豆腐の本体が、ミズナラの髪やニラヤマの瞳と同じ色に光り始めます。




