『終わらない放課後、クラスの人気者と一匹狼』後編
追いかけてくるユーザーを撒いてミラー前に戻ってきた豆腐は、ミズナラの様子を怪しく思いました。
ひっそりとしているのです。
片想いの相手のあんな姿を見れば落ち込むのも当たり前ですが、けれども何時もにこやかに誰かと話していたミズナラが、多くのユーザーに囲まれながらもひっそりと黙り込んでいるのです。
豆腐はだんだん不安になってきて、少し離れたところに立っていたニラヤマに「ミズナラはどうしたのだ」と質問します。
ニラヤマは少しだけ肩をすくめてから、むしろミズナラから離れていく方に歩いていこうとします。
「おい、聞いているのかニラヤマよ」と豆腐が囁くのを無視して、ニラヤマはインスタンス内では口数が多い方のミズナラのフレンドに近寄ると「今日なんかあったの?最近ここに来た私のフレンドにさ、なんか今日は珍しく静かだよねって不思議がってたんだけど」とたずねました。
ミズナラのフレンドは少しも気にとがめる風なく、普段通りの声で答えます。
「あー、今ってムロトさん居るでしょ。僕は見えないし聞こえないけど。ブロックしてる人が入ってきても分かるように、このインスタンスに参加した人のユーザー名を表示するソフト裏に走らせてるからさ」
それと大体時を同じくして、近付いてきたムロトも「ああニラヤマくん、今ミズナラくんの取り巻きがそこら辺に居るんじゃない?メニュー欄開いて他ユーザーを選択する時のポインターってさ、ブロックしている相手の当たり判定も見えるから」と話しかけてきます。
ムロトの声はミズナラのフレンドに聞こえていませんし、ミズナラのフレンドの声はムロトに聞こえていませんが、ミズナラの声はムロトとミズナラのフレンド両方に聞こえるので、ミズナラに沈黙が多い理由はなんとなく分かりました。
「なぜブロックしている者同士が同じインスタンスに居るのだ」
「他にフレンドが居るインスタンスがないからだよ。お互いの仲が悪くても、お互いと仲がいい共通のフレンドは一つのインスタンスにしか居られないからね」
「珍しくないことなのか?」
「大きなコミュニティになればなるほどね」と言いながら、ニラヤマは様々なユーザーに囲まれているミズナラの方に歩いていきます。
置き去りにされた豆腐は、あくまでムロトを嫌っているのがミズナラの友人であるなら、ミズナラ自身がムロトやその友人と会うことには何の問題もないのではないかと疑問に思っていました。
その時、近付いてくるニラヤマに気付いたミズナラのフレンドが、がっつくように話しかけてきます。
「まあ嫌ならブロックしろって言ったのは向こうの方だしさ。ところでニラヤマくん、さっき出したのってUDON毛刈りの羊だよね?ワールドが壊れた手掛かりとか分かるかもしれないから、ここに居るみんなでアクセサリー持ってUDON毛刈りに行ってみない?」
同時にムロトも「ミズナラくんのこと誘うのはやめといた方が良いと思うなぁ。ミズナラくん本人はすごく良い人だけどさ、周りの人に独り占めしようとしてるって思われたら、俺みたいに出入りしづらくなるよ?」と言って、
ソドムのユーザーとミズナラのフレンドたちが相互ブロックになって、ムロトとミズナラもフレンド同士の諍いを避けて会わないようになったという事情を説明しました。
「まあ違うコミュニティの人が見てるところで、ソドムの距離感でイチャイチャしてた俺たちにも原因はあったんだけどさ。一方的に言いたいことだけ言ってブロックされたら、こっちもブロックしないとしょうがないじゃん?」
「驚いた。荒らしでもない同じコミュニティの人間をブロックするとは、嫌いな相手を何がなんでもコミュニティから排斥するつもりか」
声を潜めて尋ねた豆腐に、ニラヤマは首を振って答えます。
「ううん、嫌いな相手を追い出そうとして執着もしたくないけど、話し合ったりもしたくないから気軽にブロックしたんだと思うよ。
その後でブロックしている相手に自分のフレンドが話している内容だけ聞こえたり、他の人たちに見えてる相手の挙動が分からないから居心地が悪くなってきたんだよ。だから今みたいに共通のフレンドに近寄って名指しで話しかけたり、新しい話題を出して共通のフレンドって駒を取り合って、ブロックしてる相手が会話に混ざりにくくなって出ていくようにする“陣取りゲーム”をしてるんでしょ」
聞いて、豆腐は激怒しました。
「呆れたコミュニティだ、このままにはしておけぬ」
なんとしてもミズナラを、この見苦しい争いに置き去りにはできぬと思いました。
豆腐はEDENに踏み入れてからも日が浅く、この世界で何かを作ることなど考えもしませんでした。
変身能力を持つとはいえ自分では何一つとして満足行くものを創ることもできず、相手がどう思うかを想像することなく派手なアバターに変身しては驚かれるか迷惑がられてきました。
けれども元同期でありEDENに訪れた切っ掛けであるミズナラの気持ちには、このEDENに居る誰よりも敏感であると自負していたのです。
豆腐はUDON毛刈りの羊に変身したままミズナラ達の居る家屋に入っていこうとして、たちまちニラヤマの手に捕獲されました。
「あんたが行って何をするつもり?」
ニラヤマの問いに「ミズナラを積み重なった人間関係の澱から自由にしてやるのだ」と豆腐は悪びれずに答えました。
「あんたが?」とニラヤマは鼻を鳴らします。
「よく言うよ、VREDENがどういうものかも知らないくせに。結局ここでも人間関係がメインコンテンツで、誰が誰を好きで誰を嫌いかって話題にしか興味がない。ワールドなんて中年男女の集まるサイゼリヤみたいなもので、どんなアバターを着ても自分がちやほやしてもらうことしか考えてない奴ばかりなんだ」
「お前は知っているというのか?」と豆腐は言い返します。
「まだ見るべきものや訪れるべき場所を残しているうちから、この世界はこういうものだと断言してしまって良いのか?やりたいことをやれない不自由な場所を、それが道理だと諦めてしまうべきだと思うのか?」
豆腐はまだEDENに降り立ってから、現実で見知ったような光景にしか触れられていない気がしていました。
ただ人が多く集まっているだけのインスタンスを渡り歩いても、まだ自分が期待した理想郷に辿り着けていないと心のどこかで思ってしまうのです。
「貴様は誰よりも強くその言葉に反感を抱いているから、我にあの契約を持ち掛けたのではないのか?」
「「ニラヤマくんさ、誰と話してんの?」」と両側から声をかけられて、豆腐とニラヤマの会話は中断されます。
そこはムロトとミズナラのフレンドが陣取りゲームをしている真っ最中のミラー前で、ニラヤマも彼らにとって“駒”の一つなのでした。
「あ……いや別に、独り言」とニラヤマはお茶を濁します。
これが片方のコミュニティとしか関係のない場であるならば、何も答えずに別のインスタンスへ移動して、事態が落ち着くまで寄り付かないこともできたでしょう。
ですが今のインスタンスには、ニラヤマが行ける『ムロトのコミュニティ』も『ミズナラのコミュニティ』も統合されていて、別のところに避難することはできないのです。
ニラヤマは今の自分の姿がムロトに話した、嫌われないために我慢したり遠慮しないといけないことが増えていく姿であることに気付いて、心の中で舌打ちします。
その事態を打ち破ったのは「豆腐さん」と呼びかける、ミズナラの声でした。
「「誰?豆腐さんって」」
「ごめんなさい。ニラヤマさんが口説かれてるかもしれないっていうのは建前で、本当は違うコミュニティを知ったニラヤマさんが戻ってこなくなるのが怖くて、他の場所に行かないように引き留めたかっただけなんです」
オンラインによって物理的な距離に縛られることなく、生身の肉体に追従して動くアバターを移動させて、臨場感を持ったまま人と繋がることができるのがVRSNSというサービスです。
そして違うコミュニティのフレンドが居るインスタンスでも面白そうなことをやっていれば気軽に参加できて、参加した先で会った人とフレンドになることを互いに繰り返していくと、気付けば“向こう”と“こちら”のコミュニティの人々がフレンド同士になっていることがあります。
そういう風にして小さなコミュニティが一つに統合されることを繰り返して、自分たちが今居るコミュニティも大きくなってきたのだとミズナラは語ります。
「だけど同じプレイスタイルや目的で集まっていたコミュニティの、それぞれのユーザーが混ざることで擦れ違いが起こった時に、僕は相互ブロックしてしまった人たちを話し合わせることもできなかった。わざわざ見えなくした不快なものを掘り返して嫌われたくないから、僕はここが人数と年月分のわだかまりを蓄積して淀んでいくままにしたんです」
今となってはニラヤマも分かっていました。
どれだけ場が荒れた時の避難先になるような『外のフレンド』を探そうとしても、そのフレンドが普段居るインスタンスに遊びに来るようになって、そこに入り浸るようになれば『同じコミュニティ』のフレンドになってしまうのです。
そこで誰かに嫌われてしまえば今まで通りにEDENをすることができなくなるから、誰も嫌われるような役回りになってまで問題を解決したくはないのです。
「ごめんね、ニラヤマさん。ここは膿んでいく、淀んでいく、十分に蓄積したけど先がないコミュニティで、僕はそこから出る力を失った古参のユーザーです。何も知らない新規のユーザー達を逃したくなくて、ここ以外に楽園はないのだと嘘を付いていました」
「……そう、じゃあ私は別のところに行くね」とニラヤマは言います。
インスタンスの移動など珍しくもないですが、今この場ではミズナラにとてつもなく残酷な言葉であるように聞こえました。
「またコレ預かっといてくれるかな」と何かをミズナラの手に乗せると、ニラヤマは止める間もなく去ってしまいます。
そしてミズナラに預けられた、何かとは豆腐でした。
「おいニラヤマ、貴様置いていくつもりか」
他のユーザーに見られていることも忘れて、思わず大きな声を出してしまった豆腐が、ユーザー達の見ている中に置いていかれたミズナラ共々まな板の鯉もとい、まな板の上の豆腐として吊るし上げられようとしていた時でした。
「うわっ何これ!?」と誰かが声を上げると、ミズナラは豆腐の身体が24万色のゲーミング光を放って、回転しながら巨大化して中に浮かび上がっていきます。
「ぬァア!!!」と叫びながら遠ざかっていく豆腐にユーザーが気を取られている間、ミズナラの耳に「ほら、今のうちに逃げるんだよ」とニラヤマの声がどこかから聞こえます。
自分の元に集まっていたユーザー達から一時的に逃げおおせたミズナラは、声が自分の胸元から聞こえていたことに気付きます。
「これ……もしかしてニラヤマさんが残していったネックレスから?」




