『終わらない放課後、クラスの人気者と一匹狼』中編
「それで、ニラヤマよ。貴様の自室ワールドを友人交流インスタンスで開いて、そこに別のコミュニティの者たちを招待するだと?」
家屋のミラー前で豆腐はミズナラの胸元から取り外されて、戻ってきたニラヤマに受け取られながら「で、録画機能とやらはどうだった?」と聞かれます。
「我が分体の視界を共有するというよりは、平板な写真を撮影していたようなものだな。あれでは隠しカメラのような臨場感しか得られぬ」
無口になったミズナラを気にしながらも、豆腐はニラヤマにそう答えました。
「まあそれでさ、見てたんなら話は早いかな。これから別のインスタンスに移動するんだけど、ミズナラも一緒に来ない?」
豆腐は、何かを言おうとして躊躇っているミズナラの方を見ていました。
好きだとさえ言わなければ同性の友達のままで居られるのだと、想いを自分の中に呑み込んでさえいれば全て丸く収まるのだと、ミズナラは今まで自分に納得させていたのでしょう。
ですが豆腐が“しるし”を使ってミズナラに見せてしまったのは、彼女――彼が諦めた場所に当たり前のように踏み入っていく人間の姿だったのです。
「僕は――」
とミズナラが口を開いた時、ミラー前に集まっていたユーザーの一人が豆腐を指して「そのアクセサリー良いね、誰かからのプレゼント?」と言ったので、ミズナラは続きを言うことができませんでした。
ニラヤマは物言わぬアクセサリーのふりをした豆腐の方を見て、一度頷いてから「このアクセサリーを持ってさ、ちょっと床に投げてくれない?」と話しかけてきたユーザーに豆腐を渡します。
「あれ、誰でも持てるってことはワールドのオブジェクト?」
と言いながらユーザーが豆腐のアクセサリーを地面に置くと、それはUDON毛刈りの羊に変化してミラーの周りを歩き始めたのです。
「なんかアクセサリーが羊に変身した!?」
「誰かのアバター芸じゃないの」と、アクセサリーを見に来ていた数人のユーザーも羊を追いかけていきます。
羊に変身している豆腐は「……仕方あるまい、後でニラヤマには我が“しるし”を崇めさせてやる」とマイクオフで呟いて、元の場所にはニラヤマとミズナラだけが残っていました。
「ねえニラヤマさん、今度行くのはどんな場所なんすか?」
と、先に口を開いたのはミズナラでした。
「ん?んー、行くところは私の自室ワールドなんだけどね。別のコミュニティの知り合いが、友人交流インスタンスで自分のフレンドを呼んでくれるんだって」
ニラヤマが説明したムロトの提案とは、こういうものでした。
たとえムロトに紹介してもらって“ソドム”のインスタンスに行けるようになったとしても、最初のコミュニティと繋がりを維持したまま新しいコミュニティに馴染んでいくことは簡単ではありません。
コミュニティによって距離感やEDENの遊び方といった『当たり前』の部分が大きく違ったり、掛け持ちしているコミュニティが増えた分それぞれの場所での滞在時間は減っていきます。
もしも現実と同じように一緒に過ごした時間でだけ仲が深まるとしたら、掛け持ちしている場所が広がるほどに相手との関係は浅くなっていくでしょう。
しかしEDENで『何かを作っている人』なら、それぞれのコミュニティの人たちに自分の作品を使ってもらうことで、それぞれの場所で何もせずに過ごしている時よりも自分の名前や存在を覚えてもらいやすくなるのです。
それが“自分たちの集まるワールド”の作者であるのならば尚更でした。
「それで向こうのコミュニティの人たちを招待する代わりに、こっちで私よりも後にEDENを始めた人を誘って欲しいって頼まれたんだけどさ。それならフレンドが少ない私が誘うよりもミズナラに来てもらえば、ミズナラの居るインスタンスに新規ユーザーも勝手に集まってくるでしょ。ちょうど豆腐のEDENを見定める“使命”とやらにも使えるし」
ニラヤマは、ムロトの提案が“友達として好きな相手と寝る女”になりたいけれど“ソドム”だと寝ることはできても普通の友達になるのが難しいらしく、そういう文化に染まり切ってないユーザーと友達になってから寝たいという魂胆であることを知っていました。
「居るんじゃない?本当はそういうこと目当てでEDENを始めたのに、案内してくれた人のインスタンスはいつも鏡や動画プレイヤーを見てばかり。他のSNSやEDENの広告で出てたみたいな刺激的な体験は、一体どこに行ったら見れるんだって思ってる人もさ」
とムロトは言って、彼らと“ソドム”を結び付けることができるなら誰にとっても損のない話だと提案してきたのですが、ニラヤマは新規ユーザーのことなんて考えてもいませんでした。
「本当のところはさ、ミズナラと一緒にここ以外の場所を見て回りたいんだよ。ミズナラは話すのが上手くてリアクションも面白いから、ミズナラが居るインスタンスだって理由だけで色んな人が参加してきて、気付いたら溜まり場みたいになってることが多いでしょ?」
例えるならVR機器というのはEDENという賑やかな街に連れて行ってくれる、交通機関のようなものだとニラヤマは言いました。
別にやりたいことがない日でもHMDを被ってEDENに行けば、毎日どこかで面白そうなことをやっているのです。
だから楽しいことを求めて大勢の人が集まって、時にはミズナラや豆腐のような珍妙なやつと出会うこともあります。
ですが多くのユーザーは本当の街と同じように、知り合いが増えてくると気が合うかも分からない赤の他人とわざわざ会い行くよりも、一緒に過ごしていて楽しい知り合いの場所に集まるようになっていくのです。
なにせ現実みたいに友達と待ち合せたりしなくても、同じフレンドに『参加』するだけで普段のメンバーで集うことができるのですから。
「……じゃあ最近、僕の居るインスタンスに来てなかったのは、僕の周りに集まってる人だかりが苦手だったからで、そこ以外で会いたいから別のコミュニティに誘ってくれてるってことですか?」
ミズナラの質問に、ニラヤマは「そうじゃなかったら豆腐に祭司とやらで紹介したりなんかしないよ」と当たり前のように答えます。
「私は何もしないでいるのが苦手だけどさ、ここに居る人たちのほとんどは何かをするためじゃなくて、顔馴染みのフレンドと一緒に過ごすためにEDENに来ているでしょ。だから誰かと一緒にしたいことがあったり行きたいワールドがある時でも、フレンドが皆このインスタンスに集まっている時だと自分だけ移動しても意味がない。
そういう人たちが何もしないで集まってる場所に、後から入っていって何かしようって提案するのも気が引けるでしょ。だけどEDENの善悪を見定めたり豆腐の預言とやらを伝え広める祭司ってやつを手伝ってる間は、私とミズナラの二人で色んなところに行けるじゃん?」
「それじゃあ、ムロ……その人のことが本当に好きなわけじゃないんすね。良かったです」
「えー良かったか?良かったのかな、まあいいや。とりあえず私は豆腐を回収したら移動するけどさ、これからは嫌だったら無理に誘ったりはしないよ」
ミラーのある家屋内に立っているミズナラの視点から、青空を背にしたニラヤマの服装は黒く浮かび上がっています。
競泳水着のような白い衣装を着ていながら、縁側ではなく薄暗い室内に居るミズナラの姿は対照的で、ただミズナラの髪とニラヤマの瞳だけが同じ赤色に光っていました。
ミズナラはひとしきりニラヤマの姿に見とれてから、最初から決めていた答えをニラヤマに言いました。
そして物陰で待っていたら羊を追いかけてきたユーザーが来たので、ミラー前まで逃げてきたムロトもその言葉を聞いていました。
「僕が……呼ばれることはないと思います。ね、ムロトさん」




