『終わらない放課後、クラスの人気者と一匹狼』前編
ニラヤマは屋内のミラー前に集まっている人から死角になる、木造住宅の裏手で「ふぇ゛っくし!!」とくしゃみをします。
それは少し時間をさかのぼって、ちょうどミズナラが豆腐に片想いを明かした時のことでした。
「大丈夫、風邪でもひいた?」
とニラヤマに尋ねた声の主は珍しく中性的なアバターで、それ以外のユーザーはニラヤマの周りに居ませんでした。
大勢が集まるインスタンスで人目をはばかるのは、内緒話でなくとも全員には聞かれたくないような話をしたい時や、そのインスタンスに居るのを誰かに見られると不味い人など、そう種類は多くありません。
ニラヤマは「あーごめんねムロトさん、マイク切るの間に合わなかった。ちょっとリアルの部屋が埃っぽくて」と答えます。
「そうそうニラヤマくんが作ってるワールドさ、他の人と行ってきたんだけど中々治安の悪そうな雰囲気で良かったよ。その時ちょうど“ソドム”の人たちのフレオンで集まってたから、ニラヤマくんと会った時のこと話して趣味が合う人なんだって紹介しておいたよ」
ムロトはそう言いながら、ニラヤマの顔に手を沿えてきます。
「えー嬉しいけど、集まってるところ見たかったな」
ニラヤマの方はムロトの顔をなおざりに触れ返しながらも、触れられている手から逃げようとはしませんでした。
ムロトのコミュニティでは顔が触れるくらいの距離で、スキンシップを取りながら会話するのが普通なのだろうと思ったからです。
ソドムこと『須藤’s room』は豆腐が言うところの“性行為の真似事”をする人たちが集まるコミュニティで、ニラヤマはそこの有名人であるムロトと個人的なフレンドなのでした。
「ニラヤマくんと全体公開インスタンスで初めて会った時、現実に存在するかもしれないものをEDENの中に探してるって話してたからさ。
僕も“友達として好きな相手と寝る女”に現実では会えなかったけど、この場所なら自分がそれになれるって理由でEDENやってるからさ。その話でお互いすごく盛り上がったんだよね」
「いやー、あの日はついてましたね。偶然ジョインした先でムロトさんと会えるなんて」
これは嘘でした。
実のところを言えばニラヤマは “そういうコミュニティ”のユーザーを知らないかと共通の友人に聞き込みをして、実際に出会う前からムロトのことを知っていたのでした。
そして他のSNS上でのムロトの呟きから互いに共感できそうな趣味や考え方がないか探して、いつEDENの中で出会ったとしても上手く話せるように準備していたのです。
そして今日ニラヤマがこの場所をジョイン先に選んだのもミズナラだけでなく、自分のフレンドでないユーザーの友人限定から滅多に出てこないムロトを発見したからでした。
「でもさあ、なんでニラヤマくんはソドムに来たいの?」
ニラヤマの眼を覗き込むようにして、ムロトが尋ねます。
「バーチャルだろうが同性だろうが、ヤってることに変わりはないしさ。ニラヤマくんが向こうで“そういうこと”した相手を好きになったり、一方的に好かれて付きまとわれたりしてメンタル病んじゃわないか心配だなぁ。そういう人もソドムだと割と多いから」
「あっ、それは大丈夫だと思いますよ」
ニラヤマは何から話そうかと思案するように、ムロトに触れ返す手の動きを一旦止めます。
「言っちゃなんですけど、そういうのは他に行ける場所がない人の話じゃないですか。
色恋沙汰とかで会いづらい人ができて顔を出しづらくなったなら、コトが落ち着くまで別のコミュニティで遊んでいればいい。それができないのは一緒に楽しいことを探したり悩みを聞いてもらえるフレンドや、恋愛の相手を一つの場所でしか探そうとしなかったからでしょ。
誰か一人に嫌われただけで今まで通りの生活ができなくなるから、嫌われないために我慢したり遠慮しないといけないことが増えていくんですよ。そういう意味では、あーまあ」
ニラヤマは周囲の声が届く範囲に、他のユーザーが居ないことを確認してから続けました。
「ここに居る人たちだって似たようなもんですよ。同じワールドに同じユーザーで毎日毎日集まって何してるかって、皆で同じ場所に居続ける口実みたいな動画を流しているだけでさ。ワールドもアバターも見てないならVRの必要あります?」
豆腐にはしたり顔で“人々の声”の実情について話してみせたニラヤマですが、豆腐の言ったような一線を越えた行為を実際に見たことはありませんでした。
ニラヤマがEDENを始めて最初に訪れたのはミズナラのコミュニティで、その友達を辿っていっても毎日同じワールドに集まって、同じメンバーで過ごしていることがほとんどでした。
だからムロトという今までのフレンドと接点の少ないユーザーが居るインスタンスは、いつもと違うEDENに訪れるようで新鮮でした。
ですが本当に“そういうこと”が行われている場所に足を踏み入れて、何もせずに見学だけして帰ることが可能であるか考えたことはなかったのです。
「ふふ、やっぱニラヤマくんは面白いねー」
「えー?まあ楽しんでもらえるなら何よりですけど。だから……まあ、私は別にどんなコミュニティでも問題ないんですよ。ここ以外のどこかに行く先を増やせるなら」
ムロトはおもむろに顔を近付けると、ヂュルっと音を立ててニラヤマの口の中を吸いました。
ニラヤマは「ほああっ!」と叫びそうになって、辛うじてこらえます。
なにせ自分の動きをトラッキングしたアバターに唇を重ねる美少女が居て、実際に舌を絡める音が耳元から聞こえてくるのなら、現実と比べて足りない口の中を吸われる感触くらいは想像力で補完できるものです。
「ニラヤマくん。ちょっと口をすぼめて唾を溜めてから、舌を突き出しながら吸うんだよ」
どう反応すれば良いか分からず固まっているニラヤマに、顔を離したムロトが優しくVR越しのキスの仕方を教えます。
ムロトの声と言葉に導かれるようにして、ニラヤマは再び顔を近付けられた時にヂュッと慣れないキスを返しました。
「うわ……初めてやったんですけど、これちょっと」
戸惑いながらも何度かキスを重ねて、顔を離したニラヤマは口元を手で覆いました。
アバター同士で撫で合ったりするスキンシップが気軽に行われるEDENですが、音を立てるキスはより親密な相手と閉じた場所でする“次”の行為です。
コミュニティによっては実際に“そういうこと”をしない相手ともキスをすることはありますが、少なくとも“そういう目”で見ていない相手に対してキスはしないものです。
ニラヤマは確かに女性アバターを使って、それが自分にとって一番好みの姿になるように改変を重ねてきましたが、誰かから自分のことを可愛いと思われたり、そういう対象として見られるとは思ってもいなかったのでした。
「ニラヤマくん、VRでエッチする方法も教えてあげようか?自分で言うのもなんだけど結構上手いと思うしさ、ソドムに行く前に覚えといた方が良いでしょ」
「いいですよそんな、ムロトさん他にも相手居るでしょ?向こうのこと分かんないですけど、ちゃんとボイチェンで女の子みたいな声作って、フルトラで可愛い動きもできるような」
とまで言ったところで、ムロトがまた顔を近付けてきたのでニラヤマは口を閉じてしまいます。
「俺さぁ本当は、ニラヤマくんみたいな子が好みなんだよね。可愛い女の子のロールプレイすることなんて考えなくても、自分の好きなものに一生懸命なところとか可愛いと思うしさ。エッチなことなんてさ、一緒に遊んだり話したりの延長で気楽にすれば良いんだよ」
それは一度きりの身体の関係を求めるナンパ男のような言い分でしたが、ニラヤマにとってムロトはどういう目的であろうと素のままの自分を求めてくれた初めての相手で、自分が知らない世界を教えてくれる非日常の住人でもあるのです。
このままムロトの言う通りにしていればもっと“可愛い”と言ってもらえると思うと、ニラヤマは断り切れずにナンパ男に落とされてしまう異性の気持ちをなんとなく理解しました。
そしてムロトが「大丈夫だよー?今日はここまでだからさ」と言って顔を離してくれた時、ニラヤマは思わず安心すると同時に少しがっかりしたのでした。
「友達のままで居ようってわけではないんですね、っていうか何人くらいに同じセリフ言ってるんですか?」
ニラヤマの照れ隠しに、ムロトは「一週間で四、五人くらいかな」と答えます。
「えっ、一週間で?」
聞き返すニラヤマに答えず、ムロトは「ニラヤマくんの好きって言っても、すぐにはオチないところも好きだよ」と悪びれもなく言いました。
「まあ……良かったですよ。さっき言ったけどムロトさんは私がいつも居るコミュニティと接点の少ない、貴重な話し相手ですから。他のことまで一緒にやろうとして、失敗した時に話し相手まで失っちゃうのは嫌なんですよね」
そしてニラヤマの言葉に何かを思案していたムロトは、なにげない風に「あー、それならさ……」と一つの提案をしたのです。




