さよなら、遠き日の過去よ
H県N市日向丘、俺は産まれてからずっとこの町に住んでいる。大人になっても、きっとそうだろう。それぐらい、俺はこの町の事が好きだ。
亮は、日向丘の事をどう思っていたのだろうか。自分のせいで突然全く知らない町に引っ越してしまった亮は、どんな気持ちで居るのだろう。もし、同じようになったら、俺だったら間違いなく耐えられない。
俺がこの世界の中に沢山ある地図の中で、日向丘を選んだのは、それだけこの町に愛着があるからだろう。都会の街と田舎の田園風景が混じり合う景色、日向川が流れ、電車が通っている。
他の誰かがこの町を離れても、俺は、絶対にこの町を離れない。それだけははっきり言い切れる。
俺は珍しく体育委員やサッカーの事ではなく、音楽コンクールや絵の事を考えていた。文化祭は確実に近づいている。絵もまもなく完成するし、音楽コンクールも大詰めだ。俺達は毎日朝早くから練習をしていた。
出流は雄平に教えてもらってから、指揮が大分上手くなった。本番の指揮者は黒井がやるが、もし、本番で出流がやっても差し支えない程にはなっていた。
俺は、出流と一緒に、男子生徒を鼓舞しながら、共に練習していた。男子の一体感だけなら既に学年一だろう。俺は、だんだん男子達がまとまっていくのを見て、嬉しくなっていた。
家に帰ってから、俺は音楽コンクールの課題曲を、親のパソコンを借りて聞いていた。何回も聞いた曲だが、まだ練習しなければならない事は沢山ある。俺は、楽譜に色々書き込んで、誰も寝てはならぬ居ない家の中で練習していた。
音楽コンクールの事はもちろんそうだが、美術の事についても考えていた。目の前にあの絵が無くても、ずっとその事ばかり考えている。
そうしていると、俺は昔の事を思いだした。
「そういえば、あの美大生は今どうしているのだろう…」
亮と別れてから河川敷で出会った美大生の青年、会ったのが丁度四年前だから、確実に卒業はしているだろう。
あれから、美大生はどうなったのだろう。亮と違って名前も、連絡先も分からない。あの絵がどうなったのか、卒業したなら何処で暮らしているのかも、全く分からない。
あの人にも、俺が描いた絵を見てもらいたい。だが、これ以上昔の事を思い出すのもどうかと思う。あの出来事は、亮と別れてすぐの事だった。どうしても亮と結びつけてしまう。亮と電話したばかりだったが、思い出す度に胸が痛かった。
一旦その事について忘れようと、俺は課題に手をつけた。文化祭前と言えど、提出物は容赦なく出される。他のクラスメートもそれに追われながら、文化祭にも追われているのか。
体育会は、運動部や体育委員が忙しくしていたが、今は文化部が追われている。雄平は、音楽コンクールと吹奏楽部の練習で、一日が二十四時間では足りないと言っていた。どれだけ練習しても、足りないと思うのは、俺だけじゃなかったんだな。
今まで、勉強やサッカーについてばかり頭がいっぱいになっていたが、文化祭前になって、音楽や美術といった芸術関係のものでいっぱいになっている。そんな俺は初めてだ。
小学校の時から、写生大会や音楽会は苦手だったのに、何故今になって夢中になっているのだろう。全く、俺“らしく”ないな、って勝手に思っていた。




