噂のアイツ
俺が絵を描くのが嫌いな代わりに、好きなものがある。それは、図形を書く事だった。算数の幾何学模様はもちろんのこと、白地図に川や等高線を書く事や、天気図を書くのに興味を持った事もある。
その図達は美術の絵と違って線に無駄が無く、その線一つとっても意味と目的がある。
俺はそれを書いたり、見たりするのが楽しいと感じていたが、剛也も真司も、灯里も雪音も何が楽しいのか分からないと言ってきた。
もちろん俺は、図形を書く以外に、剛也と真司と一緒にサッカーをやるのも好きだ。それに、遊ぶ時は同じゲームで遊ぶ。俺は人と一緒に出来る趣味を持っておきながら、誰にも譲れない趣味を持っていた。
上辺だけでは分からないが、俺は普通とは少し"ズレた感覚"で生きていると思う。それは剛也も雪音もそうだと言っていた。
きっと、そういう人が周りとズレていると思っているのは、一人一人が持っているちょっとした"ズレた感覚"が蓄積して、大きな"ズレ"に繋がっているからだと思う。それは、男子の中にも、女子の中にもきっとあると思う。
そういえば、幼稚園に入る前、それこそ男子と女子の見境が無かった頃は、灯里と雪音と仲良く遊んでいた。雪音は女子といえども見た目も中身も男っぽくて、話しやすい。それに、柔道の黒帯で、一時期俺よりも力が強いと言われた程だった。
雪音は元気にしているだろうか。クラス名簿で何処に居るのかは知っているが、上手くクラスに馴染んでいるだろうか。話し始めたら何とも無いが、雪音は周囲と打ち解けるのが苦手だった。俺みたいにクラスメートが仲良ければ良いのだが、友達が少ない雪音は、そう上手くいくだろうか。
翌日、俺が一人で学校に向かっていると、女子中学生が隣で何か話していた。
「そういえば、昨日不良が珍しく小柄な子にやられたんだって」
「不良って、いつも暴れてる高校生グループの事?」
路地裏で不良が乱暴を働いているって何時の時代だよ、と思いながら俺は隣の女子の話を聞く。
その話によれば、その不良グループは負け知らずでオヤジ狩りやカツアゲもしていたらしい。そんな不良グループがやられたというのはどういう事だろうか。
まさかとは思うが、その子柄な子は雪音なのだろうか。確かに雪音は俺や灯里よりも背が小さかったような…。
すると、俺の後ろから灯里がやって来た。どうやら、俺の後を付けてきたらしい。
「おはよー!海斗!」
あまりお願いしたくないが、雪音の事だと灯里に頼んだ方が確実だ。それに、説得するなら灯里の方が聞いてくれる。
「灯里、放課後暇か?」
「ん?どしたの?」
「路地裏で、確認したい事があるんだ」
俺はそう言った後、灯里を置き去りにして一人学校に向かった。
その日から、早速授業が始まった。まだ仮の時間割だが、教科書を使った本格的な授業だ。最初の方は小学校の知識で解ける問題ばかりだったが、そのうち難しくなるだろう。俺は買ってきたばかりのノートが真っ黒になる勢いで書き進める。
授業毎に先生が変わるのは、何だか新鮮な気分だ。まだ今日だけで全部の教科が終わった訳じゃないから全部の先生に会えた訳ではないが。
授業が終わり、俺は一度家に帰ってから灯里に会いに行った。今朝話していた噂を確かめる為だった。灯里もその話を分かっていたらしく、俺が家にやって来た後すぐに着替えた状態でやって来た。
「海斗!来たんだね」
「路地裏ってあそこだろ?行くぞ」
俺は灯里が付いて行くのを確認しながら、路地裏に向かった。その路地裏は、噂通り不良グループがたむろっていて、本当はあまり近づきたくない。もし、その噂の小柄な子が雪音だというなら、何故雪音はその路地裏に居るのだろうか。
学校から少し離れた塾の脇に、その路地裏はある。俺と灯里は周りを警戒しながら中に入った。すると、噂通り声が聞こえる。
「俺らのシマに入るのは誰だ?!」
声がした方を向くと、バットや鉄パイプを持ったガラの悪い男子生徒が四人程居た。四人は高校の制服であろう学ランを着崩している。それはさながら昭和のドラマから飛び出してきたかのようだった。
俺達はその男子生徒達に身の潔白を示す為に関係ないという素振りを見せたが、全く聞き入れてくれず、バットや鉄パイプを俺達に振りかざそうとする。
その時、グループの中の一人が倒れる音がした。そして、もう一人が投げ飛ばされる。その方を見ると、ヘッドホンをした小柄な人物がリーダーと思わしき不良の身体を固めていた。その技は柔道のもので、かなり手慣れている。
「弱い者いじめするなよ、バカが」
それを見た残されたグループの一人が逃げ出した。そして、倒された残りの三人がよろめきながら立ち上がる。
「またアイツか!一旦引くぞ」
不良グループ達はそう吐き捨てるように言うと、路地裏から逃げ出してしまった。
そして、残った小柄な人物は、ヘッドホンを外して、短いサロペットに着いた泥をはたき落とした。俺達の事に気づいて振り向いたその姿は、俺達が幼い頃から見ている顔だった。
「ユキ!どうしてここに居るの?!」
宍戸雪音、俺達の幼馴染だ。雪音は髪の毛をバッサリ切っていていつもボサボサで、それに中性的な見た目をしているから男子に見られる事も珍しくない。
雪音は路地裏の脇に置かれている段ボール箱を持って来た。
「ここに猫がいるからいつも守ってるんだ、ほれ」
その中にはうずくまった猫が居た。野良猫だろうか、耳に手術した証の切れ目がある。
灯里は噂が雪音を指していた事をを知ってカンカンに怒っていた。
「ユキ!もうなんで無茶な事するの?!」
「なんで灯里はいつもオレの心配をしてくれるんだよ…」
雪音は灯里が自分の心配をしているというのを知って、うんざりしていた。
アニメで時々ボクっ娘なんていうのが居るが、雪音はそれを通り越して"オレっ娘"だった。もちろん雪音にも自分が女子という意識はあるらしいのだが、それ以上に男に憧れているような気がする。俺は、そんな雪音の男友達だった。女子の扱いには奥手な俺も、雪音とはまるで男友達のように話せる。
その後、俺達は近所の公園に行った。そして、ベンチに座り込み、三人で話し始める。
「なぁ、もうすぐ仮入部だよな?」
仮入部…、そうだ、入る部活を見学で決めなきゃいけないんだった。鶴居先生も今朝そう言ってたっけ。俺はもう入る部活は決めているが、二人はどうなのだろう。
「二人は部活決めたか?」
すると、雪音が真っ先に手を挙げた。
「オレは柔道部、灯里はどうだ?」
自分のやりたい事が決まっている雪音に対して、灯里は迷っているようだった。
「放送部…、も良いけど家庭科部も良いと思うんだ。役割決めで保健委員に入ったからどうしよう…、って思ってるの」
「海斗は何部に入るんだ?」
「俺はサッカー部、長居先輩も居るしそうしようかなって」
俺も、自分がやりたい事は真っ先に決めていた。
俺がずっと憧れている長居充という先輩がサッカー部に居る。小学校の時に一緒に遊んでもらい、サッカーを教えてくれた事もあった。昼休みや放課後に、先輩と剛也と真司でサッカーをしたのは、今は良い思い出だ。
俺は中学に上がった時も先輩とサッカーがしたいと思っていたから、先輩と同じ日向丘中に通えて嬉しいと思っている。明日、剛也と真司を誘って見学に行こう。