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神の名のもとに〜異世界と現実の狭間に生きる〜  作者: 麒麟燐
第二章 王政奪還編
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第九話 簡単な試練



 悠斗とノアが別れた時。ノアの居残った部屋。


 悠斗の背は見えず、扉が閉まっていく。

 体をなんとか伸ばしても手錠がうるさいだけで悠斗の姿は見えなかった。

 悠斗への信頼は厚い。

 死への恐怖はあれど、ここで死ぬとは到底思えない。


 でも、こんな静かな広間に一人だけ錠に繋がれるのは、女の子でなくても心細い。

 しかし、悠斗よりノアが拘束された方が互いの生存率も高い。我儘なんて言っていられなかった。


 心細い。

 心細いけれど、兄が自分の命を背負って奮闘してくれているはずだ。そう妄想するだけでも自然と心が安らぐ。

 自分は偽物ながらもずっと兄に信頼を置いていくだろう。


 兄に護られるだけで、満足だ。


 空想、妄想、想像。

 頭の中で広がる夢想に想いを馳せ、心を落ち着かせていたノアのもとに、一枚の数回折り畳まれた紙が落ちてきた。

 どうやらボタンの横にあった吐き出し口から滑り落ちてきたようだ。

 早速悠斗が何かを成し遂げたのか。

 そんな嬉しさで感情が支配されるノア。

 手錠は片手にのみ繋がれている。

 基本的にその場から動けないだけで手足や頭の自由は相当利く。

 紙を開くと文字が並んでいた。

 悠斗の手書きなどではなく、コピー機などで印刷した字だった。


『向こう側での挑戦が終わった時、ここの者の手錠は転送されてくる鍵によって解除が可能である。だが、それと同時に今度は向こう側の者が拘束され、ここの者が挑戦者となる。手錠の作りは向こう側も同様だが、こちらの錠が外されて丁度10分後に爆破される仕組みとなっている。なお、以下は挑戦者へと与えられる暗号とする』



 影を求めし者ども、振り返ること知らず。

 其れ、いとをこなることなり。

 影を求めたる者、己を知らず。

 故に影あり。

 影は汝の背後にありき。



「……ぇ」

 今、自分の声が漏れたのか?

 分からなかった。


 分からなかった。

 一瞬にして本文の内容が頭に入って来るなんてことはなかった。

 素のテレポート能力者は能力のためにあらゆる地形を記憶するため、一般人よりも記憶能力が優れている。これもある種の能力の副産物だが、今この時に限って、全くと言っていいほど役に立たなかった。

 もう一度しっかり目を通す。

「……そ、そんな……」

 悠斗の試練突破後、次いでノアが試練を受ける。

 ある意味既に受けているが、それとは異なる意図がある。

 いや、まだそれだけなら問題なかった。

 大問題なのは、それに続く文章。

 暗号とされた5行の文章が読めないのだ。


「影……? いと、を、こなる……? 汝……私? 私の後ろ……」

 中学までは異世界側の学校に通っていたノア。

 異世界に国語という概念は存在したが、その中に古典は含まれていなかった。

 今年初めて触れ始めた古典文法。

 しかもまだ5回しか授業を受けていない。

 『影』の訳し方、『をこなり』という単語の存在、『ありき』という助動詞の文法的意味。何一つ理解が及ばない。

 背後を振り返り自分の後ろに差す自分の影を見る。

 しかしそれがどうした。


「ど、どどど、どうしよう」

 考察を深めれば深めるほど頭が混乱し余計に意味が分からなくなる。

「私がお兄ちゃんの……命を……」

 自分には到底背負えない重荷を背負う事を強いられ、混乱レベルは一層強まる。

 丁度さっき、意地汚い妄想に縋っていたと言うのに、こんな仕打ちがあるだろうか?

 それとも、これは美楽とその仲間への試練ではなく、神がノアに与えた全く異なった試練なのか。


「なんとしても……お兄ちゃんを……!」

 もはやノアの試練を受ける趣旨は変わりつつあった。

 美楽の手助け、から、悠斗の救命、へと。


「えっと、『影を求めし』だから暗い方へ走っていけばいいのかな……」

 紙を床に置くと頭を掻きながら脳をフル回転させる。

 そして、テキトーにこじつけを考え自分の次なる行動を模索する。

「次のは分からないけど、影を求めたる?のは私だよね、多分……」

 同意や否定をしてくれる仲間はいない。

 不安に手を震わせ、紙を揺らしながらも勝手に想像を膨らませる。

「己は私、私は私を知らない?」

 少し意味が近いが、ここは文中では然程重要な部分ではない。そのため、意味不明なまま次の文へと進む。

「故……だから、影がある……」

 一部は現代語としても使用されるため読み解けるようだ。

 一部の単語が読み解けた時(正解かは不明だが)だけ、心に一瞬余裕ができる。まるで学校の試験を受けているようだ。

「で、影が私の後ろ……」

 分からない。

 分からないから、直感で行く。

 失敗した時は、死のう。


「いや……私はいいけど……」


 兄は死なせられない。

 自分の無能さに兄を巻き込み、死へ連れ込むなど……。


 しかし、どうしようもないことも、また、事実。


「……うん、大丈夫」

 自分に言い聞かせる。

 勿論、気休めにもならない。

 解読は1%もできていない。

「きっと、スタート地点の方に走っていけば……」

 『影を求めし者ども、振り返る事を知らず』の一文から、振り返らずに暗闇を進むのでは?と解釈したノア。

 実の話、今こそ違えどこれが正解だった。

 本人は気が気でないが、杞憂である。

 知識については心配の通り浅い。しかし、解答があっていれば点数は入るのだ。


 経験にないだろうか?

 解答だけ覚えてテスト(主に追試や再テスト)に挑んだなんてこと。


 ノアに自覚はないが、既にその方針で固まり始めている。



 そして、ついに来た。

 吐き出し口から今度は鍵が滑り落ちて来る。

 ジー、と擦れる音を立てて滑走してくるとノアの膝元へと飛び込んだ。

 震える手でその鍵を掴む。

 兄に命を託された気がした。

 手錠を外した瞬間が始まり。

 いつの間にか来た道への出入りも可能になっている。

 やはり正解のようだ。

 ずっと自分の真横に備えるように立てていた懐中電灯を手に持ち直し二度カチカチと点滅させ動作を確認する。ここには明かりがあるがスタート地点にまともな明かりがなかったためテレポートは使えない。地形がわからないからだ。


 足、動く。

 照明、動作OK。

 手錠……解除!


 途端に地を蹴り勢いをつけて走り出す。

 自分の来た道ではなく、悠斗の歩いて来た道を選択した。

 予想ではこちらがほぼ直線コースだからだ。

 床に埋まった鉄柵を跨ぎ通路へ突入した。

 懐中電灯の明かりを灯し、前方を照らし足元に注意して進む。何かに足を取られて脚を負傷することが最も危険だ。

 まだこの先に何かあると決定したわけではないが、そう仮定した時少なくともスタート地点に帰るまでは脚に動いてもらわなくては困る。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 早速息を荒げ始めた。

 ノアに陸上経験などなく、当然知識もない。呼吸のリズムや走るペース、走る際の姿勢などはお世辞にも良いとは言えなかった。

 暗闇の中、自分の僅か前方に当てた光を頼りに闇雲に突き進む。

 その強張った顔は誰にも見られることはない。


 暫く走って息が更に上がってきた。

 緊張とともに疲労で拍動する心臓が体の内側からひどくうるさく音を鳴らす。

「……ぁっ!」

 歓喜に近い声を漏らしたつもりが、苦しみに悶えたような音が響いた。

 ようやく見覚えのある形を目にしたのだ。

 暗闇の通路で唯一記憶に残るもの、それは勿論あの4つの分岐点。

 一人一通路ずつ選択して進んだ分岐点。


 弱い心がノアに話しかける。


『ここまで頑張ったんだから、休憩していったら?』


 強い心がノアの中に話しかける。


『いや、兄の命を守るためにも立ち止まってはいけない』


 ノアは囁く悪魔を振り切り、そのまま走り続けた。

「はっ、はっ、はっ……っ、はぁっ、はぁっ……」

 滲む唾液を喉に流し込もうと所々で呼吸が途切れる。

 唾液も粘性が強く喉に絡みつき更に呼吸が乱れる。

 脚が震え始めた。

 これは始めの緊張とは違う。

 理由が疲労であることは明白だ。

 いつか痙攣という症状が起こり、膝を折ってしまうかもしれない。そうなればノアと悠斗はここまでだ。

「ぐっ!」

 奥歯をぐっと噛み合わせ脚と同時に全身に力を入れる。

 全身に力を入れ、そこから脚に渾身の力を込める。

 テレポーターにとって持久走はあまり馴染みのないスポーツ。

 普段は瞬間移動で場所と場所を往来するのだから。

 これ以上は限界か。


「……っ!」


 いやまだだ。

 まだ限界じゃあない。

 人間は普段から体力を温存し、本気を出したと思っていても実際は60%から80%ほどしか出していない。

 火事場の馬鹿力はそんな人間が稀に出す本気だ。

 人間は緊急事態に備えて体力を温存し、その緊急時に解放する。

 まだ本人の意識下での力量制御なら、それは全て心の弱さにより制御される。

 心を強く持てば、必ず力は振り絞れる。

 暗闇の中、開く瞳孔。

 更に見開く目。

 呼吸音がよく響く。

「はぁっ、はぁっ……」

「……………………」

「はぁっ、はぁっ……」

「……っ……っ……」

「はぁっ、はぁっ……」

「はっ、はっ……」

 自分じゃない。

 ノア以外の呼吸音がノアの呼吸を余計に乱している。

 軽く振り返ると背後に光が見える。

 ここは分岐点を通過しているので一本道。

 その後方からくるもう一人の誰か、それはつまり――

「ぁっ! のんのん!」

「っ……!……っ!」

 絵美だ。

 少し姿勢を前に倒し両腕を順々にゆっくり振ってきた。

 近距離にまで接近してようやく認識できた。

 絵美の普段と変わりない軽く元気な声に、ノアは声を出して応える余裕が無かった。

 絵美もノアと同じ経緯で走ってきたのなら、ノアのこじつけ論が案外的中していたのかもしれない。

 そんな期待を抱きつつも中々言葉にできない。


「悠ちゃんが先に試練終えみたいだねっ……」

 呼吸音の割にそこそこ滑舌も歯切れもよく、大した疲労感が見当たらない。中々の手練だと感じた。

「……、……」

 体力の尽きかけたノアは頭を動かすだけで精一杯。

 絵美も察して無理強いなどはしない。


 だが、先ほどから少々気になるのは、絵美の手足の動きとリズム良く聞こえるカタンという音、そしてシュルシュルと輪の回転するかのような音だ。

 音なる方をチラと見ると、そこには絵美の足がある。

 そして足には……

「それ……っ、どうっ、したんっ……ですかっ……!」

「ん? これ? 私ねー、ローラースケートが結構好きでね。基本的には備えてるだよ」

「へぇっ……」

 速度と疲労感の無さの原因はこれか、と合点がいく。

 この瞬間だけそのアイテムを羨むが、たとえこの一時だけ手に入ったとしても使いこなせるかは別問題。

 ノアはその道に関して全くの無知である。



 結局その後、絵美はノアに気を使い、ノアは絵美に気を使う余裕もなく無心でひたすらに走り続けスタート地点へと辿り着いた。



「ぜぇっ、はぁっ! や、っと! つ、づいた!」

「お、お疲れ……大丈夫?」

「だいっ!……ょぶです……」

「う、うん、取り敢えず落ち着いて?」

 見栄を張っているのか何なのか……。

 そんな荒々しく呼吸するノアに数十秒の休憩時間を与え、絵美はスタート地点の後ろ側の壁付近へ寄ると。

「あ、あるじゃん!」

 絵美が揚々と声を上げながら笑う。

 いつ開門したのか不確かだが、そこには確かに新たな通路が口を開いていた。

 絵美はすぐにノアの元により様子を確認する。

「どう? 行けそう?」

「はっ、はぁっ……はい……時間がないので」

 時間に制限をかけられている以上休息に長時間を割くことはできない。込み上げる嘔吐感や蓄積した疲労を堪え、全身を奮い立たせる。

「うん、じゃあ行こっか」

 せめてもの負担軽減か絵美が先頭を行き安全確認を行う。

 ノアもその親切心に甘えて後に着く。


「ん、ここまでみたい」

 絵美が懐中電灯の角度を上げて立ち止まるとそう呟いた。

 行き止まりの意味に捉え、絵美の前を見るとまだ通路はあったが二手に分かれていた。

 つまり、絵美の発言の真意は「私が先導できるのはここまでみたい」ということだ。

「でも、どっちに……あ」

 脈拍も穏やかになったノア。躍動していた心臓のあたりを押さえ選択に逡巡したが、光の先の数字を見てハッとする。

「うん、私が二番、のんのんが一番」

 分岐点の側には漢数字で一、二と書かれていた。

 これは、途中の分岐点にもあったもの。

 つまり、通過してきた通路の番号と同じ番号の先に答えがある。


「それじゃあ、気をつけて」

「はい、ありがとうございます」

 早速闇へと踏み込むノアに社交辞令的な言葉をかけた。

 一度振り返りお辞儀をすると早々に奥へと駆けて行った。

「……」

 絵美はノアより余裕がある。

 が、それでも楽観視はできない。急がば回れというが、回り過ぎないように注意も必要だ。

 四方八方に注意を払いながら一本道を進んで行った。

 ……ローラーシューズを駆使して。


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