第七十三話 「ただいま」
「…………」
「……た、ただいま」
集まる視線に脳が白紙になり、言葉を失った。
その結果、絞り出された言葉が、他愛もない挨拶だった。
健祉はふっ、と苦笑を隠す。
白翼は軽く安堵の吐息を漏らす。
あーちゃんは白翼の横でうんうんと、何度も頷く。
エリカと司は、声を合わせて「おかえり」と出迎える。
三者三様の反応に、動きが停止する。
そんな硬直した悠斗そっちのけで、唯は司の元にかけていく。
「兄さん」
「うん、ありがとう唯」
感動の再会、なんて涙ぐましい話など一つもない2人が、いい雰囲気に包まれて幸せそうにしている。
時刻は9時を回り、長針は間もなく6へと到達しそうだ。
色々がついさっきの出来事で、なんだか濃厚な時間を過ごした気分だ。
依然として戸惑う悠斗に、司は席を開けて、
「座って」
という。
まるで悠斗が客人で、悠斗のために催されたパーティーのようだ。
司の微笑に拘束を解かれた悠斗は、一旦その催促を拒否し、全員を見渡す。
「みんな、ごめん。迷惑かけた」
それだけでは足りないが、取り敢えず頭を下げる。
しかし、取り敢えずといえどその場凌ぎではない。
足りない言葉を補えないが、誠意を見せる行動も起こせない。何もかも不足状態だったが、とにかく言葉と行動を示す必要があった。
悠斗の横のノアも含めて、全員顔を見合わせる。
悠斗にはそれが見えていなかったが。
「果たして何人が迷惑と思っていることか……」
勇ましい声に顔を弾き上げられる。
視線の先には、やれやれといった嘆息と共に白翼が手をゆるゆると降っていた。
「…………」
どういう事だ?
そんな言葉は当然ない。
「迷惑」の単語について語ったのは悠斗本人だから。
「オレは迷惑だと思ったけどな」
「……思ったのかよ」
白翼の本音につい苦笑混じりで突っ込んでしまう。
「ホンっトよ。何も考えずにアタシたちに丸投げしてさ」
それに便乗して唯が不平不満を吐き始める。
「おかげでいい機会逃したんだからね」
「……ああ、本当に悪かった」
ちょっとばかり本音の刃が刺さる。
もう一度頭を下げて、今度は唯と白翼を指名するように謝罪をした。
「でも――どうやら他はそうでもないぞ」
その言葉に、先とは違う衝撃に打たれた。
晴れた視界の中にいる人。
表情の変化していない白翼と、ぷんすかと怒ったような唯の2人、そしてその他は――
「――――」
あーちゃん以外が、様々な形の笑みで悠斗を見ていた。
その微笑みは神よりも神々しいもので、とても心に響いたが、それよりも意識を持っていかれるものがある。
それはやはり、終始表情の優れないあーちゃんだ。
彼女は一昨日の一件で左目を損傷し、左目に眼帯をつけていた。
「……どうしたんだ……あーちゃん」
躊躇いがちに視線を送り、そう優しく問いかけた。
極力配慮したその声は、本能的に制御したもので普段と比較すると相当高音だった。
だが、あーちゃんはおどおどして姉の後ろに隠れながら視線を泳がせていた。
「昨日の朝お前が叫んだから怖がってんだよ」
あーちゃんの気持ちを代弁して白翼が伝達する。
そのやりとりを目の前でされ、あーちゃんはバツが悪そうに視線を下へ下へと落とした。
「……そう、か」
歯切れ悪く理解を示し腰を低くした。
あーちゃんと身長を合わせ、目線を合わせてもらえるように心掛ける。
まるで園児を相手にしているような感覚だった。
「ごめんな、昨日の俺は異常だった。もうあんな風にならないから、な?」
宥めるように言い聞かせて、「いつも通り」を要求する。
「……」
幼い目が悠斗をちらと見て、その後上を見上げて姉の様子を伺う。
白翼もあーちゃんに仲直り?を促す。
悠斗に戻ってきた視線が、様々な方向に飛び散りながらも的確に悠斗を捕らえていた。
「もう……怒ってないの?」
「っ――」
あーちゃんが純真な目で、何の意図もなく目と鼻の先まで顔を近づけて来た。
少し傾げた首、意味を分かっていない右眼、「怒る」と言う表現、小動物のような小柄さ、何をとっても幼く可愛らしい。
その極上の刺激に息が詰まり、紅潮する。
そして僅かに動揺した悠斗の挙動が少々気持ち悪くなる。
だが、それでもきちんとあーちゃんと視線を交わらせ、正しく言葉を告げる。
「怒ってないよ」
「ほんとなの?」
「ほ、ほんとほんと!」
更に接近する顔に一瞬たじろぎ身を引きかけたが、失礼に当たると判断して顔の位置をなんとか留めた。
「よかったの」
やっと笑顔が戻るあーちゃん。
無邪気な笑みが心を射抜く。
本当に自分の容姿をなんとも思っていない。それに加えて思春期の男子の心を全く持って知らない。
無知にしても程がある。
「ふぅ……」
疑念の解消に思わず疲労の吐息が出た。
「可愛い妹だろ」
そこにすかさず割り込むのは白翼。
自分の妹を強調して見せる。
「……ああ、本当にな」
白翼の以外な発言を面白がりながら、その事実を一度深く頷いて肯定する。
これで2人とは確実に話がついた。




