第七十一話 始動
カーテンが開かれ、代わりに天井の照明が消されている。
外からは登り始めて結構時間の経った太陽からの優しく暖かい光が降り注ぐ。
丁度泣き止んだ悠斗が、縋り付いていたエリカから手を放し、赤らんだ顔をゆっくりと上げた。
エリカの服は悠斗の涙で少し濡れており、また、悠斗の服もエリカの涙で少しばかり湿っていた。
「悠くん、大丈夫……?」
エリカが憂鬱そうに首を傾ける。
呼吸も状況も落ち着いて改めてそう聞かれてみると、急激に頬が紅潮し、羞恥を超える気まずさが形を表してくる。
「大丈夫じゃねぇよ、今すぐ消えたいよ」
軽口を叩くように本心を曝け出し、自身の脆弱さを反省しながら萎縮する。
高校生活初めての友達に、一番に見せた姿がこんな有様ではなんだか締まらない。自分への皮肉も込めた発言に対しエリカは首を左右に揺らして、
「そうじゃなくて……みんなと――友達になれそう?」
と面と向かって実直に問う。
その質問には一瞬息を詰まらせた。
自分の全器官が瞬間だけ停止したように息の流れが止まり、そしてすぐに我に帰る。
だが、解答には迷わない。
「上から目線で変な言い方だけど……あいつら次第、だな」
そうとしか言えなかった。
自分の万全な受け入れ態勢があったとしても、相手に飛び込む気が無いのならそれは意味のない事。無用な下準備と言える。
「なら、大丈夫だね」
その杞憂を一蹴するようにエリカが微笑んだ。
和やかな笑い顔は惚れそうなほど可愛らしい。
笑いに合わせてひらひらと揺れる髪が彼女の整った美麗な顔を更に美しいものに変化させる。
際立って美しい目鼻立ちにうっとりと陶酔しかけた。
これは、兵器にも匹敵する破壊力を持っている。
ちなみに、ここで言う兵器とは女性の胸部のものを指す。
「…………そう、なのか?」
単なる楽観視でないことを悟った悠斗は陰鬱な気持ちを晴れさせながら問い返した。
そして彼女は、その返しにも一瞬の躊躇を見せず頷いた。
顔を見た時、言いたい事も伝えたい事も分かることができた気がした。
晴々とした物言いに救われる。
枯らしたはずの涙が込み上げてきたが、それを目の奥でグッと堪えた。
「そうか」
短く言って話の全てを終着点まで持っていく。
これで一度話題が無くなり、新たな話題転換機会を互いに得ることができた。
「悠くん」
「……ん?」
沈黙を許さないといった様子で即刻次の話題に移る。
いや、それは「話題」とは少し違った。
「私、悠くんが好き」
滑舌良く、口の動きも丁寧にそうキッパリと言う。
突然の二度目の告白。しかも、一度目の告白からまだ10分も経っていない。
数秒間唖然として口を開いていたが、我に帰ると次第に頰が熱くなってくる。急に慌てる素振りを見せ、紅潮した顔を隠しながらもぞもぞと何かを言う。
「…………」
「――? なになに?」
聞こえないから、と耳を傾けて顔を寄せてくるエリカ。接近してくる美顔と、一緒に流れてくる鼻腔を擽る香りがより一層悠斗を翻弄する。
まるで揶揄われている錯覚を起こし、目がぐるぐると回り始めてきた。
「ああぁ、分かったから、それは分かったから止めろよ!」
気を紛らすために声を張って怒鳴る。
エリカから距離を取り自衛の策として彼女に背を向ける。
「……。ぷっ、照れちゃって〜、かわい〜」
その行為と態度に対し、そんな冗談めかした発言でノリもよくくすくすと揶揄う。
事実である上に、助けてもらった手前、今は文句は言えないが、少し頭にくる挑発だ。
ここは男の寛大な心と彼女の功績に免じて許そう。
そう、決して可愛いからでは無い。
と、そんな詭弁を並べ、自分を誤魔化していたが、やがてエリカの雰囲気が後方で変化することに気がついた。
「できれば……答えが欲しいかな」
真剣な声音が耳を貫く。
思わず振り向いた先には、緩くなく朗らかな笑みを浮かべた素敵な表情があった。
「私と悠くんの目指すところが『今は』違う。だから『今は』ちゃんと私の告白を断って欲しいの」
未来と過去の切り離し。
そのけじめとしてここではフられたいということ。
断固たる信念に気圧された悠斗は、緊張に頰を張って、丁寧に言葉を探す。
「……俺はまだ……友達ってものも分かってない」
エリカの変わらない表情の前での演説。
人をフるなんて、人生で初めて。
少々気まずい。
「だから、そこから始めて……それでいつか、恋愛ってものを知れたら、その時は……」
「――――」
「その時は――」
逸らせていた視線を合わせる。
瞳の中に映る自分がよく見えた。
変な顔だった。
でも、心がスッキリとしていて、なんだか清々しい。
「俺の好きな人を、エリカに、一番最初に教えようと思う」
そう、誓いの言葉を立てると、2人の目に映った両者の顔が「いつも通り」に戻った。
「…………」
「…………」
「…………」
「……言わせておいて無言はないだろ……」
決意に満ち溢れた目が、落胆する。
そんな不平不満を口にしてため息もついた。
空白の時間が長引けば長引くほど自分の言葉と向き合う時間が長くなり、発言の後に恥ずかしさで消えたくなる。
その事象が自分の身に起きていると自覚し、消失の運命を避けるために自ら沈黙を破ったのだ。
「あ、いや、ごめんごめん……んや、ほんとにごめん」
間抜けな面構えで悠斗を見ていたエリカが謝罪の言葉を連呼する。まるで悪気を感じていない口調だったが、無言よりはマシなので許す。
「……なんだよ」
慌ただしく体を動かし、突然落ち着かない様子を見せ始めるエリカに照れ隠し半分にそう尋ねる。
エリカも照れて、髪を撫でつける。
すっかり意識の外に外れていた彼女の癖毛が、何を表現しているのかぴょこぴょこと跳ねたり揺れたりしていた。
「いや、なんて言うか……ね?」
ね?じゃなくて。
理解できないから質問している。
その上で察しろと言うなら深掘りしないが、そうではなく単に躊躇しているだけなら吐露してしまって欲しい。
「お互いに、面倒な友達?パートナー?を持ったな〜って」
珍しく照れたと思えばそんなことか。
そもそも「異世界人との関係」という時点で相当面倒だ。
彼女は恐らく異世界生まれ異世界育ちなのでそうは思わないだろうが。
「…………」
と、ふとそんなことを想像していた悠斗は何か不審な点があったような、と思い返してみた。
しかし、それは形にならず不愉快な蟠りとして残るだけだった。
「…………」
「……ぶ〜、悠くんも無言じゃん」
「えっ? あ、ごめん」
立場の逆転に、エリカも悠斗と同じ反応をすると、悠斗も同じ反応で返した(悠斗は無意識だが)。
挙動不審になる悠斗を不思議がりながらも、ふふっと笑って本当に場を閉めようとする。
「とにかくこれで、ひとあ――」
「悠斗くん‼︎」
エリカの締めの言葉を強引に押し潰して、聞き覚えのある叫び声が悠斗の部屋まで響いて来た。
玄関のドアが開く音も同時に聞こえたことから、たった今来た誰かが叫んだものと推測される。
言葉を遮られたエリカも、待機していた悠斗も、互いに互いの顔を見合わせる。
「悠斗くん! 急で悪いんだけど、緊急事態なんだ! 悠斗くん! いないのかい!」
怒鳴り散らすような荒々しい声で必死に訴えかける。
声の主は恐らく宮園司。
そして、いつも穏やかな彼が平常を保たないほどの非常事態。流石の2人もその緊急性を感受し、急いで廊下に出て声を上げ始めた。
「いるぞ、どうしたんだ」
急ぎ足で階段を下り、そばにある玄関に着くと、息切れした司が悠斗を見上げていた。
「はぁ、はぁ……っ、その様子だと、機嫌は戻ったみたいだね。良かったよ」
軽く元気な再会の挨拶をするが、今の司はある意味元気ではない。「機嫌」と表現された事を取り上げる暇もない。
「ああ、丁度今エリカのおかげでな……それで、どうした」
心拍数も上がった司を目にしてより一層緊急性が身に染みる悠斗。その垣間見た緊急事態とやらを聞くと、司は息切れした呼吸を無理やり押さえ込み、言葉を急ぐ。
「ノアちゃんが消えそうなんだ!」
「なっ!」「えっ!」
全身が震え、毛が逆立った。
ノアを家から追い出した時は、彼女の身体のことなど眼中になかったが、今考えればあの行為は彼女を見殺しにするも同然だったということだ。
その計算力の低さに心底落胆しながら、それと同時に動揺を見せる。
「と、とにかく……よし、分かった……エリカ、テレポーターあるか?」
ノアの生命危機のためには、駆けつけるよりも早い行動が求められる。そのため、最も有効的な異世界アイテムを使おうとした。司が走ってきた時点で彼はそれを持っていない。この場で頼れるのは、もうエリカだけだ。
「ごめん、私テレポーターは持ってなくて……」
動揺した目を伏せながら申し訳なさそうに指を合わせる。
その陰った様子に何となく忍びない気持ちが生まれたが、彼女と話す余裕もないのでまた後に、と心中で決める。
「分かった、なら走っていく」
答えを急ぎ早速行動に移る。
すぐ目の前に揃えて置いてある数少ない靴のうち、赤と黒を基調としたものを両足に嵌めていく。
悠斗の能力を踏まえればそれが最適解と言えるだろう。
肉体強化で運動能力を高めれば、物の数秒で宮園宅まで着いてしまう。
悠斗が靴を履く間、司とエリカは静かに悠斗を見つめていた。
能力を駆使するまでもなく感じる視線を半端に無視して靴を履き終える。
「っし」
勢いをつけて立ち上がり、両手で十字運動だけをする。
「……悠斗くん」
「ん?」
司が改まって名前を呼ぶ。
何となく緊張したが、それ以上に司が緊張していた。
「……また、後でね」
「おう」
司の美男子の微笑みに笑い、玄関を開ける。
1日ぶりに浴びた直射日光と春風は新鮮だった。
玄関を出てすぐに能力を使用しても、門(そこまで大層な物ではないが)を出れば向かいの塀に衝突してしまうので、駆け足で門前まで進む。
完璧に道路に出て進行方向の左を向く。
前方、人影なし。
後方、人の気配なし。
それを確認すると全力で一歩――
「え、ゆ、悠斗⁉︎」
気配で確認したはずの後方から、ここでもまた聞き覚えのある声がした。
この声も結構記憶に新しい。
またしても彼女の気配を感じられなかったことに自身の未熟さを噛み締める。
用事が用事なので、素早く振り向くと言葉を急いだ。
「……白翼か、どうした?」
白翼は悠斗の挙動を一瞬不自然に感じたが、どう指摘すれば良いか分からなかった。
そもそも、心の準備が出来ていない内に再会を果たしてしまい、会話を繋ぐことすらままならない様子。
どこかよそよそしい雰囲気で一歩、二歩と近づくが残念ながらそこまで。
会話する距離としては少し遠い。
だが、その距離を歩みではなく声量で埋める。
「え、っと……悠斗!…………オレ、その……」
声こそ大きいが、言葉がたどたどしく心の整理が間に合っていないことは明白だった。
「悪い白翼、非常事態なんだ。話はまた後で聞くから」
これ以上時間は割けないと早い結論を出し、進行方向に向き直ると能力を行使して飛び出した。
「あっ、ちょっと、悠斗!」
白翼の叫びも虚しく、悠斗は風となりどこかへ消えていった。
「…………」
去った悠斗の幻覚を見つめている。
やっと心が纏まった。
やっと腹が決まった。
「……ほんとに、『迷惑』なやつだ」
そう呟いて立ち去ろうとしたが、白翼の声に気づいた司に呼び止められ、悠斗の家にあがった。
三人で話し合った結果、電話でミカエルとあーちゃんも呼び出すことが決定した。




