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神の名のもとに〜異世界と現実の狭間に生きる〜  作者: 麒麟燐
第一章 人生開幕編
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第七十話 2人は信頼のもとに契る


 突然。

 突然、ガヂャッ、と耳に振動が届き、キィ、と高くなく低くない音がしなるように響く。

「…………」

「――――」

 腐った眼と憂いた眼が一瞬だけ交差する。

 一人は焦燥感に満ちていた顔を安堵の表情へと転換させ、対する一人は光のない瞳孔を見開き、呆気にとられ口を小さく開けていた。


 恐らく以前司が作った鍵を使用して解錠したのだろう。

 しかし、今の悠斗にはそんなことを考える暇もなかった。


 意図したものであろうと、そうでなかろうと関係なく互いに声も出ない。この対面に戸惑う他なかったのだ。

 薄暗い部屋で交錯しない二人の視線がそれぞれ彷徨う。

 しかし、少女は入り口の横にあるスイッチを一瞥するとゆっくりとそこに手を合わせスイッチを押した。

 朝の日差しを拒んだ部屋に灯る人工的な光。

 悠斗はその状況変化に明順応が起き、最初はあまりの眩しさから数秒目前を覆う動作を続けていた。そして、その眼前を覆った腕が下ろされた時、初めて悠斗の憔悴した顔が露わになった。

 腐った眼を、元々捕らえていなかった少女から更に大きく逸らすとこう言葉をぶつける。

「…………何しに来た」

 低い声は怒りの気配よりも疲労の気配の方が色濃く思えた。

 腰を下ろしているベッドの掛け布団を手で触りながら彼女の返答を待っている。

 かえって珍しい態度にある種の危機感を覚えつつも冷静に呼吸を整え言葉を考える。


 悠斗は返答を待った。


 言葉を望みながら、状況の打破は望まない。そんな捻くれた感情を溜め込んでいる。

 だから、どんな返答やどんな説得が来ても全てを跳ね返すか叩きつけてこの場を捨てるつもりでいた。

 他人と関わることは……もう、疲れたから――


「友達になろうと思って――」


「…………ぇあ?」

 反応に困った。

 咄嗟に漏らした声はそう解釈できる貧相な音だった。

 意味不明だと、そんな感情を込めて唯一の出入り口の人影に視線を移動させる。

 そこには――エリカがいた。


 エリカ――本名は、ミスティア・エリキャス・スィースター。外国名としてもまず聞かない名前。ファーストネーム、ミドルネーム、ファミリーネームの概念があるか定かではないが恐らくそんな構成だろう。

 数日前突如現れた異国――否、異世界人。

 その彼女が、今、なんと言った?


「神本悠斗くん」


 名前が呼ばれた。

 フルネームで呼ばれることは一応初めてではない。

 出会った初日、確認として一度だけ呼ばれた。

 だが……こんな形で面と向かって名指しされる事は初めてだ。

 違和感を超えた妙な感情に支配され、未だに開いた口が塞がらない。


「私と友達になって」


 塞がらない口は声も出さない。だから彼女に喋ることを許可し続ける。予定通りに追い返すことができず、投げつけられる言葉の理解を、処理を優先する。

 そして収集が追いつかない思考の中彼女が二度目となるその単語を口にした。


 何を今更!


 そう激昂したくなった。

 けれど、そんな資格も、そんな気力も悠斗にはない。

「それは……できない……。かえってくれ……っ!」

 感情を抑え、歯を軋ませながら絞り出す声は何かに怯えるような響きだった。


「私聞いたよ。むかしのこと」

「…………」


 唐突に昔話を始めようとする。

 過去のことを知られたことにショックを受けた悠斗は息が詰まり、なんとも返答できなかった。

 悠斗的には過去の事は恥ずかしい事。

 昔の出来事は自分の無力の証。

 そして、それが今も継続して心に絡みついている事は側から見ても明白。

 健祉以外には知られたくなかった。

 他人に拒絶される事が、悠斗の心にトラウマとして残っている。それに恐怖してしまう自分が情けない。


 だが、それ以上に怖いのは、その事実を知ればきっと励ましてくる少女たちだった。


「……ごめんね、嘘……ついたりして」


 ほら、やっぱりそうだ。


「ほんとのこと、言わなくてごめん……」


 別に同情なんて求めていない。


「でも、悠斗くんは優しいから……助けようとするんじゃないかって、そう思うと……言えなくて……」

「別に優しくねえよ」


 エリカの震える声に被せるように否定する。

 が、その否定を更に否定するのがエリカだ。


「そんなことないよ、悠斗くんは――」

「俺が優しかったら……!…………お前らを追い出したりしねぇょ……」

「――――」


 本心からの叫びに対応できない。

 泣き出しそうな悠斗の声が、エリカの耳に強く響く。

 耳の奥の奥まで響いて、その悲痛な音がエリカの感情を限りなく急き立てる。

「俺が優しかったら……お前らを疑ったりしねぇょ……」

 自分の非は正しく的確に見つけられている。

 それでも、もう、抜け出せない。


「なら、それでもいいよ」


 何かを容認された。


「――――ぁ?」


 何が容認されたのか、どうして容認されたのか。

 全く持って理解不能だった。

 いつの間にか俯いていた顔が、涙を光らせながらエリカの方へ向いた。

「一緒にいる以上、衝突は何度でも起きちゃうから。……例えそれが、一方的なものでも」

 つまりはこうだ。

 悠斗の勝手な感情で、エリカたちを追い出したり、疑ったりするもよし。最悪の話、暴力や暴言などの方面へ傾くことを許可するということ。

「そんな自己中にはなれない……」

「それは分かってる」


 どうやらキリが……


「でも、お願い! 戻って来て!」


「…………」


 涙声と共に大きな揺れが悠斗を襲った。


「お願い……だから……」

「無理だ……」

 震える声に震える声が重なる。

 エリカは震えた唇を加えて涙を堪える。

「悠斗くんが困ってたら……力になるから……助けてあげるから……」

 エリカの願いは聞き入れられない。

 それどころか……感情が、爆発しそうだ。

「なら、なんで今頃……!」

 否、爆発してしまった。

「ぇ……」

「じゃあなんで今なんだよ! もっと早くに助けに来てくれればよかったじゃねぇか!」

 自己中心的な暴言で脅すように怒りをぶつける。

「……そ、そんなこと……! 出来るわけないじゃん!」

 エリカの叫びも最もだ。

 いや、悠斗の発言が論外で、エリカの発言が正論。

 おかしいのは悠斗だ。

 だが、そんな悠斗を責める事は、出来るはずがない。

「悠くんが会いに来いって言ったのが今年だよ! 私はちゃんと言われた通りにしただけじゃん!」

「俺はそんなこと言った覚えねぇんだよ」

 悠斗の暴論を潰すために躍起になって事実を述べるエリカ。

 わざわざ「悠斗くん」に直していた呼び方も普段の仇名に戻っていた。


「お前は毎度毎度10年前とか言って誤魔化すじゃねぇかよ。俺は何の覚えもないんだよ」

 身に覚えのない昔話をされる度に偽の自分と相対しているようで気分が悪い。

 10年前からエリカという少女を知っていて、しかもその少女を助けてあげた自分。そんな奴は存在しない。

 違う自分と重ねられてイライラする。

「でも、それは悠くんだったから……! 嘘じゃないの!」

「だから知らねぇって……!……言ってんだよ……」

 頑なにエリカは説明を拒む。

 それは、話したくないわけではない。

 話してしまうと……悠斗との関係に亀裂が入る可能性があったから。

 そんな強情なエリカに枯れゆく声を響かせる。

 音が小さくなり、反響の仕方も悪くなっていく。

 外はそれなりに明るくなっており、カーテンを開ければ照明をつける必要がない程度には日差しが入り込んでくるだろう。

 だが、緊迫した状況下、もはやそれはただの飾り。二次元の背景のようなものへと成り代わっていた。


「もぅ……いいだろ……」

「……なにが」


 弱々しい泣き声がエリカの心を宥める。


「お前の求める俺は……俺じゃないんだよ」


 理想と現実の差。それを提示して話を収束させようとする。「悠くん」と「神本悠斗」は別人だと、そう確定させて互いに干渉させないようにする。


「それでも――」


 諦めず、優しい言葉が続いた。


「――私が仲良くしたいのは――」

「…………」

「友達になりたいのは――」


 背けていた顔のそばで何やらいい香りがした。

 言い方が気持ち悪いが、女の子特有の優しく撫で付けるような鼻腔をくすぐる香り。

 正面を向くと、桃髪を揺らして歩いて来ている。

 悠斗はその時初めて自身が立ち上がっていることに気が付いた。

 目前で止まると、少し低い位置にある目線を悠斗に合わせるために上へと向けた。

 両肩に両手を回し、額と額を合わせてこう繋げる。


「――目の前の、神本悠斗くん、だから……!」


 合わされた額には温度差があった。

 血が上り、且つずっと家に篭っていた悠斗は暖かい。

 穏やかにと心掛け、外から来たばかりのエリカは少しばかり冷たい。

 少し身長差もあるのでエリカは背伸びをする必要があった。


「――なんで」


 口を震わせた。

 それと同時に音が響いた。


「――好きな人、だから」


 そして、その終着点に行き着く。


 その答えを聞いて、悠斗はエリカの肩を掴み返すと合わされた額、近すぎる顔を引き離す。

 だが、まだまだ目と心が迷っている。

「やっぱり……俺とお前は、目指すところから違う」

 そう切り出す。

 悠斗の目標は友達。

 エリカの目標は恋人。

 二人の目的が違いすぎる。


「俺は……友達が欲しい」


 嘆きの声が絞り出され、それに目が過敏に反応して涙がポタポタと溢れた。

「だけど……誰もそれを、望んでくれない」

 中学以降、誰一人として悠斗との友達になりたいと声をかけた人間がいない。

 エリカたちの本心は友達の先を目指している。

 健祉の本心は、親を亡くした同情だ。

 それ以外の者は、声すらも掛けてくれない。

 長く孤独に苛まれて来た。

「俺は……今も、昔も、ずっと独りで……」

 回想しながら涙を流す。

 フローリングに滴る音がよく耳に届いた。

 懺悔するように言葉を並べ始める悠斗に、少女が反抗する。


「だから、私と友達になろうって――」

「でもそれは……! お前は……、友達になりたいわけじゃ、ないんだろ……」

「――――っ!」


 エリカの言葉を遮った悠斗が逃げ始めた。

 すると逃避を始めた悠斗に、ある感情が湧いて来た。

 両腕に力を入れ、ギュッと拳を握ると今までになく力が篭る。

 悠斗のすぐそばまで2、3歩強く踏み込むと流れ掛けの涙が全て溢れ、まるでそんなもの無かったかのような表情が出来上がっていた。


「悠くんが逃げるのが悪いんでしょ!」


 明らかに激怒した表情で悠斗の肩を掴むと物凄い勢いと形相で顔を近づける。

 圧力に屈した悠斗は畏怖しながらその見つめてくる目を見た。


「そうやって逃げてばっかだから誰も居なくなるんだよ!」


 バツが悪そうに視線を下へ下へと落としていく。


「私を見てよ!」


 叫びに恐怖を感じ、っ、と喉を鳴らすと恐る恐る視線を戻した。


「私が、友達は嫌だなんて思うって、本気で思うの⁉︎」

「…………」


 エリカの怒号が止むと、場が静寂に包まれ1分ほど無言の時を過ごした。

 ただ風が窓を叩く音のみが響いた室内。

 約1分後、


「約束――」


「…………?」


 エリカがその単語を一言口にした。

 真意が汲み取れず様々な感情で混乱した頭を回転させるが、言いたい事が伝わらない。

 恐怖と悲しみで声も出ない悠斗から、いつの間にか距離を置いていたエリカ。彼女は、悠斗を正面から見つめると――

「約束、覚えてる?」

 と哀しく微笑んだ。


「やく、そく……」

 オウム返しのように言葉を繰り返し、疑問とする。

 エリカは儚げな笑いを保ったまま一度小さく首を下げた。

「そ、約束」

 分からないと、覚えがないと、その事実を否定するために悠斗は首を横に振って対抗する。

 これもまた、10年前の出来事なのか。

 知らない悠斗との約束なのか。


「……私のお願いを一つ聞くって約束」


「――――」


 黙っていると、内容を説明する。

 単純明快な約束。

 それを、悠斗は忘れていた。

 だから、ハッとし、押し黙った。


 あれは、何故か悠斗がエリカに罪悪感を覚えた時、無意味にもそんな約束を取り付けた。

 確かにあった。

 そんな無下にされる可能性さえある、信じる価値さえない、安っぽい約束。

 それを信じて口にしたのだ。

 まさか、その約束の力を使って、トモダチになれと命令でもするのだろうか。

 そう錯覚した時、悠斗は目の前が真っ暗になった。


「その約束で、友達になって」


 と、戯言を吐き出し始めた。

 聞きたくないと、耳を塞ごうと、目を背けようと、兎に角言葉から逃れようと行動しようとした。

 しかし、それは続く言葉により中断された。

「そう言ったら、悠くんは優しいから、きっと友達になってくれるよね?」

 傲慢な方法も辞さない。そう解釈できる質問が悠斗に降り注いだ。

 悠斗本人は首を左右に揺らし、そんな事はないと無自覚でいる。

 だが、実際は逆。

 悠斗はその命令から絶対に逃げない。

 この後、そう指示されようものなら誓約に従いトモダチの関係を結ぶ未来が待っている。


「ううん、悠くんなら約束は守るよ」


 悲しそうに微笑み、そう断言した。

 根拠のない言の葉だったが、説得力があった。

 だから余計に恐怖した。

 どんな命令が悠斗に下されるのか、と。


「でも……お願いだから……」


 その前置きに息を飲む。

 代わり映えしない空気感が、何より怖かった。


「わたしにそんな方法……使わせないで……!」


 悲壮な嘆きが廊下は勿論、窓やドアを突き破って一帯へと響き渡る。

 長時間の応酬合戦だった気がするが、まだ8時半も回っていなかった。

 しかし、今の二人にはそんな秒針の音も聞こえない。

 エリカの押し殺し、霞んだ声だけがよく鳴り響く。


「悠くんの意思で……私と、友達になって……!」


 少女の泣き声に耳が痛む。

 脳が軋み、少女に涙を流させた罪悪感が押し寄せて来た。

 しかし、それでも、まだ、怖い。

「でも……俺とお前は、目指すゴールが……」

「私は、できるなら、悠くんと付き合いたい」

 声を大にして、顔を朱く、赤く、紅く、泣き腫らして、叫ぶ。

 それが望む未来だと、宣言する。

「でも……!」

「――――」

「愛する人の、幸せが一番だから……!」


 上げた顔は、涙で汚れて、いつもの可愛らしさの欠片も感じられなかった。


「悠くんが幸せなら――ずっと、友達でもいいからぁっ!」


 音量がより一層増す。

 スピーカーを通している錯覚を覚えるほど良く耳に響き、脳をかち割るほど浸透してくる。

 こんな少女に、顔を乱してまでこんなことを言わせて、情けない。そんな悠斗が、振り絞った言葉……それは――

「……は……おれは……こわいんだよ……」

 正真正銘、本心だった。

 涙を流したエリカに釣られ、悠斗も涙を目元に蓄える。

「周りの人が、居なくなるのが……こわい」

 声が震え、喉が震え……。

「友達だったやつに、見放されるのが……こわい」

 手が震え、足が震え……。

「お前たちにも見捨てられて、また独りになるのが……こわくて……こわくて……」

 肌が震え、全身が震え……。


「こわくて……こわくて……しがだないんだよぉ……」


 責め立てるように押し寄せるエリカの切実な言葉は、悠斗の感情をより一層掻き乱し、更に深い渦へと突き落とす。

 怖いのか、悲しいのか、嬉しいのか、どれでもないのか、どんな理由なのか分からない涙が溢れて溢れて止まりそうもない。

 正しく滝のように流れる涙が擦る腕を濡らし、目の周りに広がり、酸で顔を赤く染めていく。

 蹲って泣き崩れている悠斗は今も昔と変わっていない。

 母の亡骸の前で泣いて帰ったあの日、同じ場所で同じように泣き果てた。

 あの時と同じ――


「私は――絶対に何処かに行ったりしないから」


 否、あの時とは大きく異なる点があった。


「約束、する、から――っ」


 打ちのめされる悠斗を前に泣いていられないと涙を拭う。

 一拍置いて蹲る悠斗に右手の小指を差し出す。

 約束の儀式だ。

「…………」

 それを涙で滲む世界の中に確認しながら悠斗は――

「その約束……どう信じればいい」

 この期に及んでの屁理屈などではない。

 本当に、信頼のできる方法を提示してほしいのだ。

「……私は、10年前に悠くんに出会った」

 そして聞き飽きた回想が再び始まる。

 それに悠斗が無言で首肯すると、拭い切れていなかった涙がエリカの細められた目元で輝く。

「そこで私は……紛れもなく、目の前にいる神本悠斗くんに惚れたの」

 何度繰り返したことだろう。

 この短時間で、悠斗とエリカは何度接近して、何度距離を置いてを繰り返しただろう。

 それほど反発し合い、引き付け合った2人が、最後の接近のチャンスを手にする。

「10年間、私は悠くんを愛してた」

 2人の距離が近づき、とうとう文字通り目と鼻の先。

 互いの涙が照明を見事に反射して、とても顔が見え辛い。


「私の愛は消えるどころか、どんどん大きくなって行った」


 少し声が強くなった。

 強調したい部分はここなのだろうか?


「抑え切れない愛は悠くんに伝達済みだよ」

「…………」

「今度こそ……信じて」

「…………」

「これだけじゃ……足りないかな?」

「…………」



 最後に弱くなった声。

 でも、とても力の籠もった声だった。

 その瞬間だけ、エリカの笑顔がよく見えた。一瞬だけ、目の前が快晴以上に晴々としていた。


「……異世界ってのは、戦いが止まないんだろ?」


 エリカの質問に対して新たな質問で答える。

 それをプラスにもマイナスにも捉えず、兎に角主観的な意見を述べる。

「うん、戦乱の世……までは行かないけど」

 疲れ切った悠斗の顔に苦笑が眩しく届く。

 悠斗は一旦目を背け、最後の確認をする。

「お前は……いなく、ならない、のか……?」

 さっきとは似て非なる質問。

 突然の別れは起きないのか、即ち親の死のようなことが起きないのかという意図がある。


「それは、分からないよ」

「……」

「不確定の未来だもん」


 その回答に残念そうに肩を落とし、顔を下げる。


「でもそのかわり――」


 突然立ち上がるエリカに驚き、反射的にその様子を見上げる。見上げた先には、エリカの張った豊かな胸が見えた。


「悠くんが守って」


 そう笑い顔で見下ろされた。

 その晴れやかな笑みに、ふて腐れたような態度で素っ気なく対応する。

「俺はお前たちを守れるほど強くなんて……」

 自分の弱さを強調しようとすると、屈んだエリカに腕を掴まれた。

 華奢な細い手が、悠斗の無駄に筋肉のついた腕をがっしり捕まえている。

 本当の本当に目と目があった。

 吸い込まれそうな美しい瞳に魅せられながら、困惑する。


「そんなに卑下しないで」

 慰めとは違う、そう、激励のような言葉。

「別に、卑下なんてもんじゃ……」

「自分に自信を持って」

 にこやかな笑みにペースを完璧に持っていかれる。


「これが私の『信頼』だから」


 エリカの瞳に吸い込まれそうだった。

 そんな瞳に見惚れていると、目の前が突然朧げになり、ゆらゆらと揺らめき出す。



 その後、自分が泣いていた記憶はないが、視界は何故かぼやけていた。





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