第六十七話 きっと仲良し
夜8時過ぎ――
「お風呂沸いてるから入っちゃってね」
夕食を安い惣菜等で済ませた宮園宅の4人。食事中の会話はほぼ悠斗と健祉の話で持ちきりだったが、エリカは昼に聞いたことの一切を語らなかった。
そしてそのまま時計の針は進み、司が入浴を促した。
「唯とノアちゃん、2人で入ると時短になると思うけど」
恥じらいを見せず、悪びれる様子もなくそう言う。
がそれに対しノアが顔を赤らめながら否定した。
「そ、そそ、それは、ちょっと……ね?」
同意を求めるように視線を唯の方へ逃したが、どうやらそれは逆効果だったらしい。
「兄さんが言うならアタシはいいけど」
躊躇なくそう答えてしまった。
その堂々たる振る舞いに心で「そんな……」と嘆く。
と言うより、本人以外はだれも知らないが、ノアは一度悠斗の入浴を待ち伏せしていた。そして僅かな時間ながら共に風呂場に居続けた。それとこれとどちらが羞恥度が高いか……本来なら誰もが男子との入浴を困難とするだろう。
部活見学の時などと言い、彼女の頭はどんな作りをしているのだろうか。
「うぅ〜、でも……家の2人にそう言われては……仕方ないです」
謎に無意味に赤くなっていたノアが白旗をあげる。
その降伏に苦笑する司とため息をつく唯。少し離れた位置ではエリカがその光景を眺めていた。
どうやら一同は、悠斗の離脱後のショックから相当の立ち直りを果たしたようだ。
忘れてはいけないが落ち込みすぎも良くない。
程々に感情を調整する必要性がある。
その面で言えば、やはり今、静かに微笑みを見せているエリカが、最も優秀だろう。
と、そんな余談は今は関係のないことだ。
「ほら、そうと決まったらさっさと入るわよ」
ノアに浴室を示して「急げ」という態度を取る。
おどおどしながらもノアは風呂場へと向かった。
浴室前で2人して服を脱ぎ始める。
唯が誘導するように一足早く全裸になる。
「ほら早く」
ツンツンとした様子で催促しノアを焦らせる唯。
「ちょ、ちょっと待って下さい〜」
しかし、焦れば焦るほど時間がかかる。
服の袖から手を引き抜けなかったり、汗でシャツが体に引っ付いたり、ズボンやパンツを脱ぐ際転倒しそうになったり。なんだか一人でてんやわんやとしている風で不自然だ。
ノアも遅れて服を脱ぐと、それを待ち構えていた唯がノアの衣類全てを掴んで洗濯機に放った。
バサっと放り込まれた衣類は、先に入れてあった唯の服等の上に乗っかっていた。
浴室のドアを開けて入る。
閉めてあった風呂の蓋を開けると、湯気が舞い上がって来て咽せそうだった。
関西がどう、関東がどう、と言うと批判を浴びるのでそこまでは言及しないが、日本人は主に湯船に浸かる前に体を洗うタイプと、湯船に少し浸かってから体を洗うタイプとに分かれる。
(ノアは日本人とは言えないが)
さて、唯とノアは……
「よいっしょっと……ほらノアも早く浸かりなよ」
「えっ、身体洗わないんですか?」
見事に文化の相違が発生した。
異文化に驚愕し、胸周りに撒いていたタオルを落としかける。慌ててそれを押さえて胸の露出を防ぐと唯を見直す。
「は? 先浸かんないと寒いじゃん」
常識だと言わんばかりのため息をつきザバッと湯を撒き散らして立ち上がった。
唯はここでも案外堂々としていて、自分の身体の露出などを全く気にする事もなくその姿を見せてノアの手を引く。
「ほら、早く」
「い、いえ、私は先に身体を洗ってからで……」
ノアの弱々しい抵抗に唯も力んだ手から力が抜ける。
掴んでいた右腕を解放し自由を与えた。
利き手ではない左手から、右手にタオルを持ち変えるとノアはゆっくりと小さなイスに腰掛けた。
そこで静かに「ふぅ」と呼吸を落ち着けて3秒ほど瞑想した。
唯は優しいがやはり馬が合うとは到底言えない。
同じ兄好きとしては気が合うが、そのほかに置いて意見が全くと言っていいほど一致しないのだ。だからこそ、今のこの状況は信じがたいし、戸惑いつつも嬉しく思う。
目を閉じた自分の前にある鏡。そこに口角をほんの少し上げた己の顔が写っていることを感じる。
「ったく……」
瞑想中のノアの耳に入り込む呆れ声。そして遅れて響く水しぶきの音。それに過敏に反応したノアは勢いよく後ろを振り返りながら目を開けた。
そして目の前に聳え立つ……唯。
裸である事を自覚しつつ平然と立ち尽くす唯。当然女子の大事な諸々が見えている。
「は、はわ……ゆ、ゆゆゆ、唯ちゃん!」
その姿を見た事と、室内に籠り始めた湯気が原因で上昇する体温。顔面も赤くなり、湯にも浸かっていないのに逆上せたみたいだ。
「女子同士でさっきからうっさわね」
呆れを通り越して怒りのような文句をぶつけられる。
その威勢に「うっ」とたじろぎながらも「でも……」と反論する姿勢を見せた。しかし、反論を口にする前にノアの僅かに落ちた視界に手が差し伸べられる。
それにも敏感に反応し、真意を知るために唯を見上げると何故か穏やかな顔つきになっていた。
「ぇ……っと……?」
「タオル貸しなさいよ、背中やったげるから」
どことなくツンデレパワーを感じさせる表情に動揺し、思考の間もなかった。
「あ、はい、お願いします……」
そう頼み終えた後、正式に唯に甘えることを決める。但し、口にすると恥ずかしいので、心の中で。
ササッと体の前方に石鹸を泡だて、丁寧に洗うと石鹸の染み込んだ白いタオルを唯にパスした。
背中を任せたため、両手が空き待つだけとなったノアは擦られる時の揺れに身を任せ小さくゆらゆらと揺れていた。ふと目の前の等身大ほどの鏡を見上げた。
そこには揺れるノアと唯が映っているようだが、湯気で曇っていたこともありその姿は朧げだった。
「まったく……本当に手のかかる奴らなんだから……」
優しく丁寧に動く布生地のタオルを感じるノアの耳に、風呂場内で反響した声が届いた。
文句と取れる独り言だったが、何か返答するべきだと感じてしまう。変な無言を作れば、訪れる空気に圧迫されてしまうから。
「…………怒ってる?」
「ん? 別に……なんで?」
「……もしかして、お兄さんと二人の邪魔されて……って」
「アンタねぇ〜」
「いででででで、痛いです痛いです…………」
本気でそう思ったのだが、その一言が大したことのない反感を買ってしまう。唯の口元が柔らかく怒気を含んで苦笑いすると同時に、ノアの背中の一部に激しい摩擦による痛みが押し寄せる。
「ったく……」
抵抗しないノアの声に嘆息し攻撃をやめる。
背中を洗ったついでに流してやろうと思い、ノアの横に一歩進みシャワーを右手で掴んだ。
そのまま元の体勢に戻ろうとしたその時――
「……ご、ごめん、そんな痛かった……?」
「――――ぇ?」
ノアの顔を覗き込んだ唯の顔が揺らいでいた。
蜃気楼の先を目にしているように揺らぐ視界、そしてたった今唯が発した言葉。これらから想像できる自分の様子――
「――ぁ、いえ、違うんです。これは……その……ちょっと思い出したことがあって」
必死に取り繕い赤らんだ顔を懸命に微笑ませた。
思い出した事、とは、ノアが悠斗の入浴の邪魔をした時のことだ。
無論、唯はそんな卑猥な事実を知らない。
ので、口にはしないが、その時のことが懐かしく思ったのだ。だが、涙とそれは因果関係にあるとは言い難い。
何故なら、無意識下で溢した涙の理由はあの時の会話にあるからだ。
悠斗に頼られたいと望み、それを言葉にした。
ノアの思いの丈を伝えて自分の有用性を示した。
そしてその結果が現状の悠斗なき生活である。
なんと憐れなことか。
その後悔の念と、肩すら貸すことのできなかった自分の愚かしさを噛みしめた。
そこから派生したものが、涙。
「ご、ごめんなさい。私ったら――」
「ちょっ、アンタ、手!」
横から揺らいだ瞳を向けていた唯が、涙を拭おうとしたノアに声を張る。しかし、それは一歩遅かったようで間抜けにもノアが右手を目元に持って行った。
度重なる負荷がノアの判断力等を完全に奪っている証拠だ。
そして、涙で潤んで見えない視界を晴らすために右手の中指で眼をなぞった、その瞬間――
「あああぁっ! 目がッ、め、目がァッ! ああぁぁああ」
「バカっ、だから言ったのに!」
石鹸の残った手で眼を拭ったせいで眼の表面から石鹸が染みたらしい。唯の忠告も虚しくノアが喚く。
反射的に勢いよく瞑った目にはまだまだ力が篭っており、水を欲する手が空中を手繰っていた。ノア的にはまさしく暗中模索をしていた。
その光景に呆れつつもテンパった唯は手にしていたシャワーをノアに向けて放水するために蛇口を回した。
「あ、違った」
すると、動揺を明確に示すように間違えた。
回す方向を何故かこのタイミングで間違えて、シャワーではなく蛇口から水が放水される。
急いで反対向きに勢いよく回すと、シャワーから大きな音を立てて水が吹き出す。
「冷たいっ!」
「も、文句言うな!」
温度の設定まで忘れていた唯は逆切れのようにノアを黙らせ、冷たい水をノアの顔と両手に数秒浴びせた。
体の方は洗い終わっていたので、そのままシャワーで全体の石鹸を洗い落とした。
泡が肌を伝って、イスを伝って、そして床を流れて排水溝へと消えてゆく。
「どう?」
唯の短い問いかけにノアが数度意識的に瞬きする。
パチパチと可愛く上下動する目を不安げに見つめる。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「ふぅ……」
ノアの申告に安堵の吐息を漏らす。
そして、念には念を入れて、小さなタライのような洗面器に水を張ると、
「……一応、目、洗っときなさいよ」
唯の得意なツンデレ属性を発揮しながら、水が溜められた洗面器をノアの前に出す。
「ありがとうございます」
その親切心に笑って礼を言うと顔を浸けて、何度も瞼を開閉させた。
目に入り込んでくる水が冷たく、気持ち悪い感覚だが数秒浸けていると次第に慣れてきた。そして、その丁度慣れた辺りで顔を上げ「ぷはっ」と空気を吸う。
ぷるぷるっと頭の水を払い飛ばすと、顔面を手で擦って残った水分を出来る限り取り払った。
「ありがとうございます」
洗面器の水を流しながら二度目のお礼をする。
「まったく……勝手に自爆バルスするとか、マジビビったんだけど……」
ひと段落ついた事に安心したのか、肩の力を抜きながらそんな悪態をついた。
「うぅ、ごめんなさい……」
他人の家を借りている上に余計な迷惑までかけた事を謝罪する。小さな事だが、糾弾されれば弁明の余地もない。
しかし、当然唯はそんな悪い性格でも曲がった性格でもないので、遠回しな嫌味などではなく、純粋な驚きだ。
「いやいや、別にアタシはそう言う意味で言ったんじゃなくて……その……」
むしろ萎縮するノアに慌てて取り繕い、真意を伝えようかと悩む性根の優しすぎる子だった。
その慌てふためく様子に疑問符を浮かべていたノア。唯からの続く言葉を待っていたが、二人の目があった途端に唯が紅潮して「なんでもないっ!」と怒鳴った。
どうやら唯といいノアといい、この妹コンビは羞恥心と言うものが不思議な形で作用しているようだ。
互いに相手の不自然なその感情には気付いているが、自分が常識外れであるとは理解できていない。
そこもまた、2人の似たり寄ったりなところ。
やはり2人はある点において、少しだけ馬が合う。




