第五十八話 神本悠斗の周り
エリカは呼吸すらも忘れてただただ愕然と口を開けていた。……知らなかった。全く持って。
自分の愛する人が、世界の頂点に位置する神的存在だったなんて。
しばらくして酸欠によって我に帰り、呼吸と心拍を取り戻す。それでもまだ処理が追いつかない。
疑問一、なぜこの事実をエリカに教えたのか。
疑問二、悠斗はそれを知っていたのか。
疑問三、アポ無しで三つ巴の首領が集うものなのか。
山ほど出て来る疑問の中で特に気になるこの3つを絞り出し、どちらかに詳細を……尋ねたかった。
つまりは尋ねられなかった。
今この場で自分から触れることではない気がする。
この残骸と壁の先で苦汁を嘗めているであろう少年を輪に交え、そこに悠斗が置きたい友人を添え、議論のように、それでも雑談のように、真剣に楽しく話し合うべきな気がしてきて……。
そうだ、それがいい。
なら……それなら、急いで悠斗の下へ。
「悠くん……」
「…………」
その呟きを繊細な感覚から拾った健祉。
彼女の眼を、彼女の視界の外からチラッと一瞥し、内情を探る。
すると、思わず笑みが溢れてしまった。
面白い……ワケじゃない。
なんだか少し、ほんのちょっぴり、嬉しかった。
親の感覚とやらをその身で味わいながら健祉はジェヴァニに視線を戻す。
「この先行かせてもらうぞ?」
許可証を持たない健祉のあまり意味をなさない確認。
当然ジェヴァニも、
「それだと私が怒られますので……」
ヴァラグの「怒る」は一般の怒るとは多少ズレてるが、間違ってはいないのでそう表現する。
申し訳なさそうにそう告げたが、格としてはミカエルがダントツで上位。簡単には蹴れない。
「俺だから仕方ない」
まるで自分を疑わない慰め。
しかし、それこそ彼に響く言葉。
これこそ、天界を納めるものの器というべきか。
「………………」
暫し沈黙。
流れる時。
吹かない風。
噴き出る火の粉。
誰かが息を飲む、微かな音。
「……わかりました」
「おう、サンキュ――」
「ですが」
押し負けたジェヴァニの承諾に礼を言いかけたミカエルの言葉を、その彼が再び言葉を紡いで遮る。
エリカも胸を撫で下ろしかけたが、そのやや響いた声にビクッとして、その豊かな胸のあたりで右手が停滞していた。
「ですが?」
「……ですが、2人の勝負の決着がつくまではこちらで待機していただけないでしょうか?」
「…………」
「ぇ……?」
安堵の表情から一変、不安感が押し寄せてそれが口から溢れてしまった。
健祉は押し黙って思案するが、エリカは迷うことなどない。いや、迷っていられない。
「なんで?」
そう言おうとした。そこへ、
「エリカ!」
「エリカさん」
遅れて2人が到着した。
重なる来訪者に全員の視線が集まる。
そして目にする異常事態。
「あーちゃん……眼が……」
背を走る衝撃がエリカの声を震わせた。
だが、2人――特にあーちゃん本人にとっては些細なことで、今更気にも留めない。
「うん、ちょっとやっちゃったの」
えへへと笑いながら頰を掻くその仕草が、とても場違いに思えて……。
「それより、悠斗は?」
白翼がエリカにそう聞いた。ジェヴァニを鋭い瞳で睨みつけながら。
その敵意を見てエリカは理解する。
この2人はまだジェヴァニが……この場で足止めを続ける男こそが親玉なのだと思い込んでいる。
「あの奥で、多分……デスサタンと……」
何となくその先を自分の口で表現することが怖かった。
この恐怖の由来は何なのか、自分でも全く分からない。
ただ、一刻も早く悠斗の側へ行かなければと言う使命感がエリカを過剰に急き立てて来て……。
「デスサタン」
その名を聞いて少しだけ納得がいく。
それは、突如現れたミカエルが、何故こんなところに来たのかと言う疑問だった。
だがそれはそれ、きっと悠斗とは無関係な話だ。と、結論づける。なら、とにかく今はノアの奪われた勾玉と、奮闘しているであろう2人を救出に向かうべきである。
「なら早く――」
「待ってくれ」
エリカより落ち着きながらも、逸る気持ちを表に出して先を急ぐ白翼に横槍が入った。
それは、つい先ほど天使の幹部の脅威から2人を救った恩人とも言える存在――天使長ミカエルからだった。
「ジェヴァさん、決着がついた後は……」
「ええ、ご自由になさってください」
ミカエルの問いかけに小さく顎を引くとかけていたインテリそうなメガネがズレる。それを中指と人差し指でクイっと上げるとエリカたちに視線を向けた。
この流れ、傍観する3人にとっては望ましくないものだ。
だが、それが分かるのはエリカ、ただ1人。
黒金姉妹は途中参加のため、会話の内容が全くと言っていいほど理解できていない。
急いで声を上げなくては、大好きな悠斗が大変なことになってしまう。早く、早く、声を、上げなくては。
「……ま、待って!」
頑張って声を張ってみた。
自分の主張のためにこんな大声を出したのは初めてかもしれない。案外喉に響いてイガイガとした。
ところで、声を張ってはみたが……どう繋げようか?
なんて言葉を接続すればいいのか判断ならない。
そもそも……何を主張したいんだっけ?
ええい!
どうとでもなってしまえ‼︎
「待ってよ……。悠くんは、どう、なるの……?」
大好きな友人の危機、心配で心配で仕方がない。
憂慮するあまりに声が震え……。
「悪いな、でも死にはしない。ヴァラグもいい奴なんだ」
そんな情のなさげな慰めの言葉。
……あっ、涙が出た。
「グッ」
エリカが強く奥歯を噛み、見えない顔面を持ち上げたかと思うと、突然地を蹴り悠斗目指して駆け出した。
一触即発だった空気が崩壊。
白翼とあーちゃんもエリカに続くように走り出した。
が、エリカの腕を一回り大きい腕が捕まえて、彼女の動きを拘束した。
「離して!」
「落ち着いてくれ、こっちにも色々あるんだ」
「離してよ!」
「エリカ!」
見兼ねた白翼が威勢のよい呼びかけと共に拳を引く。
波動拳のような攻撃を放つつもりだろう。隣にはあーちゃんが真剣な顔でバリア展開の準備をしていた。
そして今、白翼の波動拳がミカエルへと向けて――
「…………」
「…………」
「…………」
世界が凍ったようだった。
「…………」
拳を突き出しかけた白翼が力のこもった顔で停止していた。
「…………」
騒がしく叫んでいたエリカが、頰を涙で濡らした状態で停止していた。
「…………」
バリアの展開を待ち望み、警戒したあーちゃんが、左目から流れた血ごと停止していた。
「ジェヴァさん、俺たちを小さく囲ってくれ」
停滞した空間の中、悠然と指示する大天使。
ジェヴァニがそれに対して行動で応える。
今までエリカにして来たことを範囲変更して行うだけ。ものの数秒で外壁を構築し、空間を暗闇に閉ざす。そう、今回は天井までも封鎖し、本格的な隔離空間を構成したのだ。
火の粉が時々舞って一瞬だけ照らされる空間に、ミカエルが光を灯した。天使が持つ光の力で闇を振り払う。
全員の状況が視認できること確認し、神として与えられた能力――時間停滞を解除する。
いつの間にか若紫色の鉱石のように変貌していたミカエルの眼光が普段の反射に戻る。
それと同時に止まっていた時間が再び動き出す。
「――くん!」「――ぁ?」「――?」
再起動した機械のような動きをすることもなく、突如入れ替わった世界にそれぞれ困惑していた。
そして狭く暗くなった部屋、エリカを捕まえ黒金姉妹を見るミカエル、その傍らで佇む幹部。さっきまでいた部屋でない……そう誤認する。
入り口も出口も存在していない空間にいる不自然さは、この世界では全く通用しない。何故ならテレポートという利便性の良い厄介な小道具が存在しているからだ。
「どう、なってんだ……」
呆然とした脳に活力が戻ってこず、ただ愕然と辺りを見回して状況を呑み込もうとする。
しかし、そんな白翼とあーちゃんに対して、あと1人は、
「悠、くん……」
追い求める少年の名を口にしてみるのだった。
「……一方的なのも悪いし、君たちに話しておきたいことがあるんだが、いいか?」
俯くエリカに聞かせるように問いかける。
ミカエルも悪い奴じゃない。
そう、悪くないのだ。
そう、ミカエルも、デスサタンも、天使の幹部も、悪魔の幹部も、ノアも、白翼も、あーちゃんも、ノアも、悠斗も、誰一人として悪ではない。だが過去に白翼が言ったように、それは見方や状況によって一変するもの。
エリカにとって悠斗との間に立ち塞がるものは悪。
即ち、今のミカエルは天使の皮を被った悪魔。
そう、彼女にとっては。
「そんな暇ない、悠くんのところに――」
「その悠斗の話だ」
「え……⁉︎」
その単語にエリカの動きが止まる。まるでさっきのクロックストップを受けたように。
雑談や談笑にはかまけていられない。
内容が惹かれるほど濃いものでなければ、エリカはきっと暴れだす。
「悠斗とこの世界の関係、それについてだ」
何となく抽象的で、曖昧な雰囲気の言葉選びだった。
「関係?……悠くんとの?」
「ああ、悠斗といるなら知るべき情報」
「……それと今回のは」
「関係はほぼ無い。でも、どちらも重要なことだ。頼む、悠斗のためにも、知っておいて欲しい」
ミカエルが……あの大天使が、友人のために、階級が下のものに頭を下げる。それがどれほどのことか、分からない者たちではない。特にエリカは。
何より、それが「悠斗のため」だと。彼の力になるためだと言うのなら、絶対に知っておきたい。
「エリカ」
「エリカちゃん」
白翼とあーちゃんの観念したような目が、彼女の胸を強く突いた。最も、この場合は力量的にも突破不可能と判断してのものでもある。
薄暗い空間の光が少しだけ強くなった気がする。
飛び出る火の粉がチラチラと視界を横切り鬱陶しかった。
「……信、じるよ?」
疑心暗鬼に顔を上げ、残った涙を拭う。
「ああ、ありがとう」
その謝礼を聞いて、一瞬悠斗と健祉が重なって見えた。
どこか性格が似ていそうな、そんな感覚。
それを今頃になって気付いて、心配が杞憂であるような気がして来た。




