第五十七話 同じ乱入者
場所は、エリカとジェヴァニが歪み合う一室。
「んっしょ……よいっ、しょっ……」
またしても壁を登る。
「いい加減に諦めては?」
言い飽きた、そして聞き飽きた忠告。
「いやだ……」
伝う汗を拭うと、袖が結構濡れた。
袖に付着していた泥による汚れが、土に塗れた額にさらに泥を塗っていく。
たまに額から流れてくる汗は、土臭かった。
「では折角なので、貴女のことについて話しましょうか」
その不意の一言に肩が跳ねた。
「わっ……ふぅ」
うっかり壁を手放し、危うく落下しそうになる。狭い空間で助かった。そうでなければ簡単に登れない上に、転倒した際に死にかねない…………?
そこまで考えて腑に落ちない点が浮上して来た。
何故、ジェヴァニはエリカを狭い空間に閉じ込め、天井は開放し、攻撃はせず、エリカが脱走しても壁の頂上ではなく下の方に来たところで壁を倒壊させるのか。
そんなこと、明白ではないか。
――極力負傷させないため。
「なんでそんなこと……」
事実を遅れて知った彼女は、ボソッと呟く。
いつのまにか動かしていた体は止まっており、見れば壁の頂点まで登りきっていた。
「まず、貴女が最も気にかけているであろう家族ですが……」
許可も出していないのに語り出す。
確かに自由に話す権利はあるため、許可を取る必要はないが、それなら入りの前置きなど不要だった。
「ご安心ください、生きております」
その、訳の分からない親切心に思わず涙腺が緩んだ。
敵として見ていたはずの男が自身を落ち着かせようとしてくる。不気味としか表現ができない。エリカよりも詳細を知り、エリカの心を安定させようとしている。
何故……?
そんな疑問を振り払い、自分に言い聞かせる。
あんな男の言葉信じられない、と。
邪念を払うように首を大きく振る。
その動作で少し乱れた髪をそのままに急いで壁を伝って地へ降りる。
その途中もジェヴァニの言葉は紡がれる。
「ですが、当然のことながら投獄されています」
その事実告白に心が揺れた。
が、そんな言葉に惑わされる自分ではないと、誰かに言い聞かせ、見せつけるために平常を装う。
しかし、焦れた自分を隠せていたつもりだったが、行動に焦燥が浮かんでおり、心情は態度によって筒抜けだった。
それが相手に看破されているとも知らずに急かした足を地面に着けた。
直後、またずるずると絶壁だった障害物が地中へと姿を帰していく。
「信憑性が薄いですか?」
エリカの怪しむ顔を正面から受け止め、極々普通にそう聞く。まるで未来を知っているかのように勘が働く、厄介極まりない敵らしい。エリカが口にしかけた言葉を先に走らせるのだから何ともタチが悪い。
「…………」
これは揺動。
エリカの注意を会話で引きつけ、悠斗たちを追うと言う任務を脳から切り離す作戦。現実問題エリカは迷い、葛藤し、男の方へと傾いて来ている。
このまま悠斗たちを捨てて自分の家族を優先するか。
……だって、男の言葉が全て正しいなら、恐らく悠斗もノアも死にはしない。なら……良いんじゃないのかな?
天秤が大きく揺れることもなく少しずつ角度を変えていく。
「――――」
エリカが口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じ、とパクパクとした動作を繰り返す。
そして間もなく言葉を選び出し、音声として発しようとした時――
「――んっ!?」
突如ジェヴァニがそんな声を溢して振り返ると、右手を全力で振りかざす。
地表から熱い火の粉を纏った岩石が勢い良く飛び出し、飛び出し、飛び出し、飛び出し……、重厚な防壁を形成する。
その頑丈な壁は数分前に悠斗たちが消えた通路を封鎖し、両側から押し寄せてくるあらゆるものを押し返す重圧が感じられる。
咄嗟の判断で構築したそれ――近づくことさえ躊躇するそれは、この空間に現れるとほぼ同時に強力な衝撃を受け、
ズガガガガッッッ、
という轟音を置き去りにして、崩れる、崩れる、崩れる。
崩れて、崩れて、崩れて、崩されていった。
残り3枚ほどの厚い岩が残っている。
その3つのみを残して、他の10を遥かに超える岩壁は無惨なほどに砕け散っていた。
一体何がどこから来て、どこを撃ち抜いたのかすら判明しない。それほどの勢力の「何か」がこの空間に突如飛来して来たのだ。
無論、ジェヴァニの構築した壁の聳え立つ様子から、どの方角からどこを目指していたかは推測できる。
異常な爆音が耳から遠ざかり始めた頃、エリカは両耳を塞いでいた事を知った。
彼女がその手を下ろし始めると同時、目の前も見えぬ砂に塗れた暗闇の中、1人の少年が立ち上がった。
それを「何か」で感じ取ったジェヴァニがその姿を露わにするため、空間を飛び回る砂粒を吹き飛ばすように消し去った。
その間際から、少年の声が2人に届き始めていた。
「いやぁ、悪い悪い。2人の存在に気付いてなかったわ」
悪びれた様子で開口一番謝罪をした。
明らかになるその少年の顔に、2人は見覚えがあった。
しかし、エリカとジェヴァニではその少年への印象は全く異なるものだった。
「ふふっ、またまた御冗談を。貴方様が察知できないはずがない」
その少年の嘘偽りの無い――否、嘘偽りが全く無いように見えるその言葉を真正面から叩き捨てる。
それはある種の信頼のようなもの。
相手の力を認め、相手の性格を知っているからこそ見破れる高上な嘘。
「キミって、確か……」
ジェヴァニの尊敬を他所に眼を疑っているように乱入者に眼を見張る。見間違えようが無い。
僅か数日だが、その人はエリカの近くにもいた存在だ。
エリカよりも前から悠斗を気にかけて、悠斗に付き纏っていたと言う少年。
「よっ、エリカちゃん。俺はあっちじゃ福田健祉、こっちでは……、アルテラード・ミカエルって言う」
軽いノリで挨拶を始め、最後に若干迷った瞳。そして告白される驚愕の事実……。
この小さな諍いに天界と魔界(と冥界)のトップが関わって来る。大事過ぎて小さく開いた口が塞がらない。
そんなエリカの渦巻く思考、それを読み取った健祉とジェヴァニ。健祉は言葉を選ぼうと悩んでいたが、ジェヴァニがふとおかしなことを言い出した。
「この場に集ったトップは3名です」
「……?……へ?」
思わずそんな可愛らしい声が出た。
ミカエルは勝手に告白したジェヴァニに渋い顔を向けていた。今更引っ込めることのできない言葉をどうするか悩んでいるようだ。
……しかし、ミカエルとデスサタン。この2人が天界と魔界を統率する者。あと1人といえば……人界。
そう言えば、人界軍のトップは誰なのだろうか?
自分と同じ種族なのに考えた事も無かった。
耳にする機会もなければ、興味を示す隙もない。
正直言って今までどうでもよかった。
……そう、今まで。
なら今は?
この場で持ち上げられれば流石に意識してしまう。誰だろうか?と、考え込んで答えを導こうとする。
無論、そう簡単に発想できるほどエリカも万能ではないし、そもそも人界の長は基本的に公表されない。極々僅かな限られた人しか知らない。
そしてこの2人はそれを知る者。
知らなかったエリカは本来知る権利のない者。
だから健祉は行き詰まった。なんと言えば良いのか。
そんな思考もジェヴァニに水をさされて既に手遅れとなったが。
「魔界軍の長、我が主、ヴァラグ様。天界軍の長、そちらにおられるミカエル様」
そこで一瞬途切れた気がした。そして、
「人界軍の長、貴女が追い続ける少年、神本悠斗様」




