第五十一話 敵わない
あと少し、あと少し……。到着!
二分程かけてようやく登頂に成功する。
そっと男を見下ろすと、ここに来たときのように不自然に一つだけある椅子に腰掛けて本を黙読(音読していたら怖いが)していた。
エリカの努力には気付いておらず、逃亡には絶好のチャンスだった。
ジェヴァニの死角側の壁を伝い次は今と逆の作業を行う。
今度は周りに自分を囲うものが無く、危険度が数倍膨れ上がった。しかし、そんな危険も顧みず好意を寄せる少年のためにエリカは地上を目指す。
あと少し……あと、すこし……!
残り2、3メートルほどの距離。
と、突然エリカの伝っていた壁が倒壊した。
「わわわわわっっ――――ッッ〜! いったぁー……」
さっきまで1人の少女を包囲していた壁はまるで役目を終えたかのように倒れ込んだ。四つの壁全てが内側に倒れ込んだため、もし彼女がまだ中にいれば潰されていた事だろう。
2メートルほどの高さはすこし恐怖したが、命には変えられないと手元が崩壊する寸前で土壁を蹴って地に飛び降りた。
高所からの着地に両足への負担がかかり過ぎた。
両足が共に悲鳴を上げ、特にコンマ単位で先に着地した右足は一層残響が強烈だった。
涙目で崩壊した瓦礫の山を見ると既にその壁の残骸は跡形もなく消滅していた。
「登らないでくださいと言う意味だったのですが、お分かりになりませんでしたか……。致し方ありません。とにかく、ヴァラグ様の要件が済むまでお静かに願います」
本を閉じ、ため息とともにほとんどズレていないメガネをくいっと上げる。
やはり通してくれそうにはない。
やる気のなさそうな目で強気に立ち塞がってくる男。彼の体は特別筋肉質なわけでもなく、戦闘向きの体型には見えない。しかし、自分の身体を全く駆使しない精霊術師の体格など、何の参考にもならない。
少し暑い室内を、熱気を乗せた風が吹き抜けていく。
その風の不自然さと突入直後との温度差に気付くこともなく、エリカは再度目潰し作戦で突破を図る。
「――」
体を軽く傾け、前傾姿勢を取る。
数分前の行動をなぞるように向かい合う男に接近する。どちらとも行動に違いが無く、このままでは先の光景を繰り返すだけとなる。
それでは意味がないと踏んだエリカ、さっきよりも多量の水を放出して攻撃の姿勢を強くアピールすることに決める。右手に青い光を纏わせ、ジェヴァニとそれなりの距離があるうちに放水する。
「えいっ!」
可愛らしい声を出して力を振るう。
が、ここでも彼女の想定外の事態が起きた。
「きゃっ――」
手先から放出した液体が宙に放り出された途端、奇怪なことにその水が弾け飛んだのだ。水風船を割ったような強くも弱くもない爆発で水しぶきが上がる。
ジェヴァニとの距離を多少取っていたため、その水は少女の制服や桃髪にのみ降りかかった。
自分の操作ミスか……?
そう思いながら反射的に地に向けた顔を上げると、髪から数滴青白い光が垂れた。
「ううぅぅー……びちょびちょ……。制服のスカートじゃなかったらパンツも濡れてたかも……」
イヤそうに顔を歪めてスカートの裾を両手の指先で掴む。
4月である今、どこもかしこも冬服を着た生徒ばかりで彼女の学校も例外ではない。いつもは「質が硬い」やら「裾を短くしたい」やら「黒はイヤだ」などの文句を言っていても、ここだけはこの服で良かったと感じられる。悠斗には喜んで下着を見せてあげるが、他には見せられない。
勿論エリカはこのスカートに対して悪い印象は持ってなかったが。
いや、そんな話ではなく……。
何故今の事故が発生したのか……。
自分がこんな単純なミスをするはずがない、そう自信ありありとした顔つきでジェヴァニを見やるエリカ。
エリカが次の行動に移らないことを目視で確認すると一度咳払いをして語り出した。
「水の精霊です。先ほどと動きが類似しておりましたので、推測は容易いものでした。展開式や暗号化も単調でしたので精霊を使って魔法の展開を中断させたのですよ」
エリカの失敗を強調して更にミスを誘発させようとする。
理解のできる2人はこの会話で言いたいことは伝わるが、わからない人間には分からない点があるだろう。
特に『展開式』や『暗号化』に関しては本格的に専門分野へと入っている。一応この場で勝手に補足しておくが、魔法式は魔法式であり、数値やアルファベットの羅列によって構成されるものではない。どちらかと言えば詠唱するものに近い。つまり、魔法はこの世界においても科学的に証明できるものではなく、非科学的な超不思議現象なのだ。
「なるほどー、魔法の展開式に精霊を潜り込ませて暴走させた結果、起動式が正常に機能せずに爆発したんだね」
納得の色を見せたエリカは満足そうに頷くと、早速次の作戦に移行した。
次なる作戦は氷付け作戦。
全身を固めるまでは行かずとも、足や目だけでも凍らせれれば十分だ。
二度にわたる目潰し作戦から、上半身に対する攻撃は警戒心が向上しており察知される可能性が高いため、下半身を狙った方が成功率が高い。
つまり、これから狙うは相手の両足。
最悪片足でも地に拘束することで行動に大きく制限をかけられる。
取った距離を再び詰め、相対する敵に誤った未来を計算させる。先までと同様に顔を狙い撃ちしてくると錯覚させ、防御姿勢が上半身寄りになった時が攻め所。生まれた隙を突いて足元を凍結させる。
右手にダミーとして青い暗号化した展開式を起動する。
先程と同じ水属性の魔法だ。
左手では氷属性の魔法を展開する用意だけをしてギリギリまで起動しない。
「ふむ……」
何かを理解した眼で向かってくるエリカに目をやる男。
ジェヴァニは彼女の右手に精霊を集め、その魔法陣を破壊する。
「ここ――!」
それでも突き進み、右手の魔法が壊されて僅か0.3秒後に左手から魔法式を展開、一瞬でジェヴァニの足下を華麗に氷像へと変化させた。
しかし――
「それも同じことです」
情のないトーンで一言。
足元の氷が砕け散り、辺りへと飛散した氷塊は刹那の間に水蒸気へと状態を変えた。
またしても作戦は失敗。今回も見抜かれていたようだ。
「くっ……!……」
毎度上を取られる屈辱感に強く歯軋りし拳を固めた。
「はあぁ……」
そんな心情などを気にもとめず、元々近い距離を更に縮め圧倒的弱者を前にしたジェヴァニは深くため息をついた。
メガネを上げ、身長の低い少女を睥睨する。
「私は精霊使いです。基本魔法に存在する属性の内、光属性以外は自在に操れます。貴方は全種使いだそうですが、私からすれば光魔法が使えるだけ、ここで大人しくしていては?」
「…………ん、分かった、よ――‼︎」
好都合なことに相手側から接近してくれたので超近距離で閃光を放つ。
閃光弾より眩い発光は確実に男の目を焼いたはず。
前も見えぬほど輝くその場から逃げるように駆け出し、目前に控えているであろう通路目掛けて走り抜ける。
「なーんてね」
後ろを振り向かず茶化す。
かけて、かけて、あと少し……。
だが、やはりそれも不発に終わる。
初手と同様にエリカの前に立ちはだかる壁。
ズガガガガッッ、と轟音を響かせて盛り上がる岩石は無力な少女を揶揄っているようだった。
何故だ……!
何故この眩く目の眩む世界で人の位置を特定できる!
二度目の包囲を受けたエリカは、その断崖絶壁の如く塞がる障害物に憤慨の拳を打ち付ける。
右手に流れる痛みを感じると同時に、己の咽び泣くような木霊が一度だけ聞こえて来た。
それでも少女は、1人の下を目指し奮闘するのである。




