第四十二話 隣人
ホームルームが終了し1時間目始業の鐘が鳴り響く。
1時間目――社会科・公民。担当、伊龍幻志。
ホームルームから教室に残り授業の開始を待機していた。授業は特別分かりやすくはないが、分からない事はない。そもそも公民は記憶力が重要だ。記憶力が優秀すぎる悠斗には容易く点数の取れる科目だ。
ただ、今日は眠い。朝は白翼の手前文句など出せなかったがやはり眠いものは眠い。開始前から睡魔に襲撃されすでに寝落ち寸前の様子。
「それでは号令」
「姿勢、礼」
「「お願いします」」
伊龍の合図をもとに学級委員長の福田が着席したまま号令をかける。クラス全員が各々周りに合わせようとしながら挨拶をするとうまく声が重なる。
その声に一瞬睡魔から解放された悠斗、しかし直ぐにやって来て快眠の世界へ誘おうとする。
うとうと……うとうと……うとうと…………うと……うと………………。
結局勝利の旗は睡魔に上がる。悠斗は伊龍の授業の声をバックに眠った。
「……」
滅多にない光景に思わず口を小さく開き隣人が悠斗を眺めていた。悠斗は廊下側最後尾の位置、隣人は1人しかいない。
心地良く睡眠をとっている悠斗はそんな視線に一ミリたりとも気づく事なく眠り続ける。
「……寝てる……」
伏せて寝ているため顔は見えない、が初めて見る悠斗の寝姿に思わず声が漏れる。伊龍はその声に反応し悠斗の居眠りに気が付いたが注意することもせず授業を続ける。
悠斗の隣人は一度息を飲んで起こそうとしたが、躊躇い、結局放置した。ここで起こせばいい人に見える、そう思ったのだが……。
「……!」
と、何かを閃き授業への集中力が増す。
これなら行ける!
その少女は必死に板書を取り始めた。なるべく丁寧に、誰に見られてもいい様に。
こうして、眠る者、真面目に授業を受ける者、ノートに落書きする者など各々様々に行動する一時限目が終わりのチャイムを迎える。
「では以上」
それだけ告げると号令もかけさせずに伊龍は退室した。
これはいつもの流れなので誰も動じず、恐怖も感じない。
終業の鐘で少しずつ覚醒する悠斗。
眼を擦り、頭を掻き、大きな欠伸と伸びをすると時計を見る。そして初めて授業中に寝ていたことを理解する。
その困惑顔を待っていたかの様に隣人が悠斗に声をかけた。
「か、神本くん、寝てたけど……ノート、見る……?」
ノートをそっと差し出し少しずれた位置に眼をやる。
「へ? あぁ……じゃあ、お借りします。……どうも」
不意の優しさに間の抜けた声が漏れた。その声を誤魔化すようにノートを横目に喉を鳴らした後、ついうっかり有り難く敬語を使用してお借りすしてしまった。
最後には丁寧にお礼も付け加えた。
隣という事で名前くらいは覚えている。しかもレアな苗字。
確か……皀夏花、だったか。
苗字が本当に特殊過ぎて記憶できない方がすごいほどだ。いや、流石にこれは世界の皀さんに失礼か。などと勝手に馬鹿げたことを考えていた。
「日曜日までなら返すのはいつでもいいよ!」
少しだけ迫力を増してそう言ってくれる。
日曜までというが今日は木曜日。土日には会うことができないので実質明日までだ。どちらとも互いの家を知らないことも難点だ。
というか、何故日曜までなのか……。
「いや、明日返すよ。有難う」
それだけ告げると浮かしていた腰を下ろし借りたノートを丁寧に机の中にしまった。折角ノートを借りたなら雑に写すのではなく几帳面な程に丁寧に仕上げたい。
次の授業の準備のため自然と会話も終わりどちらも古典の教科書、ノート類を机上に並べ、積み立てる。
悠斗は机の右上、夏花は机の左上に寄せその上に筆箱を乗せた。
珍しいクラスメイトとの会話で眠気も逃げ去っていた。
これは雨を通り越して飴が降るかもしれない。
休憩時間も残り3分となると古典担当の教員が入室して来た。
個々が着席しても楽しく談笑を続けていたがチャイムの音声縮小に合わせて室内も静かになっていく。
2時間目――古典。担当、古市泰典。名前に古典と入った50歳ほどのおじいさんだ。
「それでは号令を」
「姿勢、礼」
「「お願いします」」
古市の指示に従い、もう1人の学級委員長の綾川静愛が号令を掛ける。
先と同様、というよりいつもと同様に挨拶すると古市が授業を始める。
悠斗は板書だけきちんと記しそれ以外の時間はノートに落書きしていた。ページを変えて謎の計算公式に数値を当てはめていく。その計算公式はとあるゲームの今回のボスのダメージ計算公式だった。最も効率よく周回するためにキャラの攻撃パターンやバフ、デバフの効果量、攻撃範囲などなど無駄な知識のオンパレードで授業内容など全く頭に入っていなさそうだった。授業の終わり辺りになると今度は次に追加されるキャラは何円分課金しようかなどと計算していた。
それよりかは夏花に借りたノートを写せば効率的だと思えるが……。
やがて古典も終わりのチャイムを鳴らした。
適当に挨拶を済ませて古市も退室する。
古典の教材を片付け数学に使う物を取り出していると、一足先に準備を完了させた悠斗の隣人がまたしても声をかけて来た。
「か、神本くん。昨日、園芸部に来た、らしいね」
顔を赤く染めながら確認を取ってくる。
悠斗はその文章に疑問を感じた。園芸部に来た、ということはこの子も……
「皀も園芸部なのか?」
尋ねると言うより驚きを口にしたように聞く。
その疑問に頰を掻きながら微妙な笑みを浮かべると曖昧な答えを出した。ただ、見た目以上に嬉しそうだった。
「うぅ〜ん、柚子は部員じゃないって言うんだけど……私は部員って思ってるかなー」
「それはどう言う……」
「柚子1人だけが園芸部って言い張ってて、私も仲間に入れてくれないんだよね」
それを聞いて昨日の会話を回想してみたが確かに1人で植物と会話したいなんて言っていた。まさか入部希望者がこんな間近にいるとは思いもよらなかった。そもそも2人の仲が良いことに驚く。
夏花はそれなりに友人もいてクラスでもグループを作ったりしている。それに対して柚子は見るからにボッチ族。一緒にすると失礼だが悠斗とほぼ同類と言えるだろう。
あまり関わる機会のなさそうなペアだ。
「私結構花とか好きなの、家でも何種類か庭に植えてるし」
外からは見えない簡単な繋がりがあった。
しかし、柚子と夏花の花への感情移入は桁が違うのだろう。
「園芸部、よく行くのか?」
気になり、悠斗から深く掘り下げてみた。
すると先の質問よりも嬉しそうに笑い何度も頷く。
「柚子のお手伝いで。神本くんも来て良いよ」
「あー、いや、翠川は1人がいいみたいだし、俺は邪魔だろうから遠慮しとくよ」
落胆させないように柔らかく断りを入れる。
それでも彼女はグイグイと押し寄せてきた。
「そんなことないよ。柚子って友達いないから、私くらいしか話す人いないし、きっと喜ぶよ」
「えっ?」
その言葉に悠斗が一瞬固まりその後目を見開く。
柚子に友達がいない、それ自体は聞いて見れば失礼ながらも納得できる。問題はそこじゃない。
あの時は誰だか特定できなかったが今の発言からおそらくそうだ。
「ん? どうしたの?」
ここまで普通に会話できたことに驚きながら残ったしこりを解消しに向かう。
「いや、なんだ……、翠川が俺のこと知ってたんだよ……」
「うん」
「そんでなんで知ってんのかって聞いたら、友達が良く話すって言ってたんだよ……」
「うんうん……?」
「その友達って……皀か……?」
「――っ!」
次第に首肯の様子が変化していった夏花、最後には相槌も打てず顔を真っ赤に視線を逸らしていた。
図星らしい。
悠斗的には誰がどんな風に人に言い聞かせても構わないと思っている。陰口だろうと逆に称賛的な物だろうと気にしない。人はそう言うものだから。
ここでの問題は何を話したかではなく、何故彼女が話したのか、だ。このクラスが始まって話し合うようになったにしては認知度が高いように思える、とすると……昨年もしくはもっと以前から会話に出てきたことになる。
「俺たちって今年初めて同じクラスになった……よな?」
中学以降は隣人程度しか名前と顔を記憶していなかった悠斗は質問の際に心配になり少し不安そうに尋ねる。これで「去年一緒だったよ」なんて言われた後にはどんな顔をすればいいのか。
「うん……高校……では」
「えっ、 同中⁉︎」
特殊な言い回しに当然そう行き着く。
夏花は一層顔を赤らめてゆっくりとしかし深く一度だけ首を縦に振る。
いや、この場合同中という事と同時にもう一つ気にしなければならないことがある。「高校では」この場合、同中であることを暗示すると同時に中学では同じクラスに編成されたことがある、という事だ。
「マジか……何年の時――」
「1……」
「1年か……記憶ねぇな……」
「……と3」
「マジですまん!」
付け加えられた一言に全力で謝罪する。
一年だけならまだしも過去に二度も同じクラスに組まれている。丁度一つ前の休憩時間にこんな苗字忘れるはずがないなんて思ったことが恥ずかしい。
「ちょっとショックだけど、でも、そうだよね」
何がそうなのか。悠斗に基本など分からないが大体の人は過去のクラスの半数以上は名前を記憶しているものではないだろうか。
「ホントに中学の人とか覚えてないんだよ」
「いやいや、私もあんまり覚えてないし、と言うか私の方が記憶力とかないし!…………」
そんな事を強調する必要性は皆無だが。
そもそもこれは記憶力云々の次元じゃない。
「……」
「……?」
「あの――」
夏花が口を開いた瞬間タイミング悪く次の教員が入室してきた。まだ開始まで数分あるが段々と静まりゆく教室内では目立つため話したくないらしい。
自然と会話が切れた。
起立していた夏花は席に腰を下ろし前を向いた。
その横顔を一度だけ視界に入れる。悠斗も正面を向くと今の会話について考察してみる……その前に、自分が他人と会話を成立させたことに少しばかり喜ぶ。
やがて開講の鐘が鳴る。
3時間目――数学Ⅱ。担当、薮下学。
「号令」
「姿勢、礼」
「「お願いします」」
一連の流れを済ませ授業が始まる。
悠斗は数学が好きだ。故に、この授業は少なくとも真面目に受ける。
範囲は「複素数と方程式」だ。第1章は「式と証明」だがこれは昨年の最終テスト以降の余った時間で全クラス終わらせてしまっていた。
今年に入って三度目の授業、初見は自己紹介や進行についての説明などで内容は進まなかったので実質二度目の授業だ。
真剣に黒板と向き合い板書を取っていく。そのまましばらく進行するとあの時間が訪れた。
「それでは判別式に関する問題ですので44ページの練習8の(1)〜(4)と練習9を解いて下さい」
そう、一定の時間を貰いその中で問題を終わらせるアレだ。問題によって教師側が時間を配分するが、悠斗は数学のこの時間が最も嫌いだった。その理由は時間の無駄ということだ。悠斗は数学の問題を難なく解いてしまうため、余った約5分の時間が暇で、勿体無くて仕方がない。
今回も難なく解き切ると教科書のページを進め予習してみる。そして残り3分ほどになった頃薮下から次の通達が来る。
「周りと確認して下さい」
これも決まったやり方だ。各々の自分のノートを隣人たちと見せ合い解が適切に導き出せているかを確認する。
この言葉には強制力がないので悠斗は特に周りと話し合うこともなく教科書を読み耽っていた。隣人の苦労も知らずに。
「…………」
夏花はノートの端を掴み浮かせたり下ろしたりと上下動させていた。
夏花は悠斗と真逆で数学ができない。否、数学のみならず殆どの科目に関しても点数が悪く学力はお世辞にも高いとは言い難い。
悠斗と接触するチャンスとしてはこの時間が大好きな夏花、前回の授業では惜しくも声を掛けられなかったが休憩の流れを利用して自然に……自然に……。
「うぅぅ〜」
小さく唸るだけで精一杯だった。
そんなこんなでこの時間も難無く……?終了した。
チャイムの余韻が残る中夏花は先の失敗にいまだに凹んでいた。
「うぅーー」
「あ、そう言えばさっき――」
「うわわわっ‼︎」
「な、何だ」
少女の苦悩を知らない悠斗が先の事を思い出し近付くと彼女は声を大にして驚いて見せた。
悠斗もその声に動揺し辺りを見回すとクラスの大半が2人に注目していた。しかし一向に進展しない状況を見て観衆の目は散り散りになって行く。
夏花は逸れていく視線に安堵の吐息をつき悠斗に向き直る。
「えっとえっと、な、なに、かな?」
「んや、さっきの休憩時間の終わりに何か言いかけたろ、アレについて――」
「あー、アレは大した事じゃないから!」
悠斗側に主導権のようなものを握られている感覚を覚える今は話したく無いと目一杯かぶりを振る。
その様子から大した事であると理解するが昨日の視線と同様にこちらからは踏み込まない。
「そうか、ならいいんだ」
それだけ告げるとウザい視線から逃れるためにトイレに立つ。けれどもその視線の主はまるで待っていたかのようにトイレについて来た。
久しぶりの連れションか……。
何となく感慨深く思う。別に嬉しくはないが。
「よう悠斗、皀に興味でもあるのか」
違うと分かっているくせにそう揶揄って来る。そう、コイツがウザい視線の主だ。
2人は小便器の前に立つと用を足しながら小話を続ける。
「違えよ」
いや、小話を続けようとしているのは健祉だけだった。
短く答えるとそれで会話を切ろうとする。
「なあ今日の5時間目に体力テストあるだろ?」
「断る」
付加疑問文への回答にならない返答をして手洗い場まで数歩歩く。
「まだ確認だろー」
「勝負とか言うんだろ」
「ピンポーン」
「面倒くさい」
相手の言葉を読み合って成り立つ会話は文章だけを文字に起こすと実に不可解なものだった。
手を洗い終えるとトイレを出て教室へ一直線に戻る。
「頼むって、久しぶりに勝負してみたいんだよ」
両手を合わせて懇願して来る姿に多少心が揺れる。健祉がここまで頭を倒すことが滅多にないからだ。
「俺にメリットが無い」
「悠斗が人気になる!」
「それはデメリットだ」
喧騒な廊下を通過し教室へと行き着いた。
いつもなら健祉もここで話を切る。基本的には悠斗の能力を隠すことに彼も協力しているからだ。しかし、今回は普段とは裏腹に教室内でも堂々と頼み込んできた。
「マジで頼むって。メリットは……俺が喜ぶ」
「俺には何の得もねえよ! ……でも……まあお前がそこまで言うのはレアだし……分かったよ」
健祉の勢いに屈し、結局勝負を引き受ける。数日とは言え注目の的になる事は避けられないだろう。
「うっし! サンキュー」
そうやって礼を告げると大層嬉しそうに席へ戻って行った。
ため息をつき曖昧な面持ちで悠斗も自席に腰を下ろす。
すると、隣からそわそわとした気配が感じ取れた。
「どした?」
チラチラと向けられた視線を捕らえると先手を取る。
「あの、勝負って何の話?」
聞かれていたか……。この狭い空間なら数名の耳に届いていても変では無い。
「5時間目の話だよ」
「あ、そうなんだー……凄いね! 頑張って!」
「――?」
その返答に心の中で心底訝しむ。応援してくれる女子に悪い言葉は返せないので顔には出さない。けれどもその反応は一体……。
隣人はどれほど自分を知っているのかと恐怖した。
その「なぜ?」と言う疑問は塊として引っかかったまま4時間目を終え、昼食を含む昼休憩も終わりを迎えた。




