第三十五話 渋々お手伝い
……そのまま体育館の横に差し掛かり正門が視界へ映り込んだ、というところで不幸にも厄災が襲ってきたのだった。
「おお、君たち。ちょっといいかな」
どこかで聞き覚えのある中年男性の声だ。
体育館から聞こえた声は悠斗たち一同へと向けたものである。悠斗以外の全員は反応を示し一度足を止めるが、当の悠斗は自分が呼ばれたとも思わず歩みを止めない。
「おい悠斗、呼ばれてるぞ」
白翼が悠斗に待ったをかけ現実を認識させる。
「は? え? 君たちって、え? 俺たち?」
まさかと言う様子で白翼を見ると彼女は指示者を顎で示す。その先に見えたのは学校中の誰もが知る者だった。
「ちょっと来てくれるかな」
数メートルの距離に正確に届くよう声を張り上げる。周りにいた少数の人間の注目を必然集めてしまうがすぐに散り散りになっていく。
「なんだ、一体……」
一人で小さく溢し全員で呼ばれるままに集合する。
「どうかしましたか校長先生」
気怠さを表情から全力で取り除きいつも通りに対応する。対して校長――露無はシワの入りかけた優しい笑みを向けてくる。
一同が到着してしばし沈黙されたため全員が戸惑っていた。それを知りつつ何事もないかのように切り出す。
「どうかね、学校は」
「え? あぁ、エリカたちか……」
悠斗の質問への回答が謎だったので合点のいく繋がりを探ったところ、すぐにエリカたちの転校と結び付いた。
エリカたちに場を譲り一歩引くと適切に対応する。
悠斗には全く関係なく興味のない話ばかりで待ち時間が長く退屈で、そのタイミングに吹いた春風は冷たく感じた。
暇人をアピールするようにキョロキョロと辺りを見回していると館内からもう一人の教師が顔を出した。
「露無さ…………」
それは、悠斗の担任教師である伊龍だった。
露無を呼ぼうと口を開いたが、生徒の存在に気付き言葉を引っ込める。
何も挨拶しないのは礼儀が悪いので会釈だけすると伊龍は恐縮するように頷き返した。
露無は悠斗の行動を見て初めて伊龍を認識する。
「おや伊龍くん、どうしたかね」
呼び出しに心当たりがないのか笑いながら尋ねると、伊龍が呆れたようにため息をついた。
「露無さんが案があると言って場を離れたのに戻ってこないからですよ。楽器運び、どうするつもりですか」
何かを考える風に顎に手を当て唸る露無。その時点で悠斗は直感した、これは嵌められた、と。
案の定校長が悠斗たちを一瞥し伊龍に伝達する。
「人材面はクリアしているが保管場所についてはまだ決まっていなくてね。君たちはどこがいいと思うかね?」
また何の予備動作もなく尋ねられる。悠斗以外は面食らってまともに答えられそうにないので悠斗がそれっぽく答える。
「楽器がいくつあるか知りませんけど、音楽室か音楽準備室でいいんじゃないんですか」
平凡な回答をした後に続け控えめに質問する。
「あの、まさかとは思いますが俺たち手伝わされるんですか?」
質問形式から嫌悪感が読み取れた。その拒絶反応は教師側にも伝わり、それぞれ異なる意見を言う。
「是非お願いしたくてね」
「ちょっと露無さん……。そう言うことは……」
伊龍が消極的な意見を唱えたことは意外だったが矢張り予想通りの展開となりそうだ。
上下関係など気にせず、伊龍が露無を凌ぐ他悠斗に残された道はない。しかし立場というものは強い。伊龍は途中から反論をやめ静かに頷いていた。
悠斗の願いを神は聞き入れられないそうだ。
「それじゃあ靴を履き替えて体育館へ来てくれるかな」
それだけ告げると伊龍と共に館内へと消えて行く。
悠斗たちに拒否権はないらしい。
このままこっそりと帰りたいが、明日以降の学校で叱られる自分を思うと素直に従う他なくなる。おそらくそれは杞憂で済まないからだ。
渋々下駄箱へと向かい一同で体育館を目指す。悠斗以外は特に不満を感じていなかったため悠斗の脱力が非常に目立っていた。
館内へ踏み入れると伊龍が右手を高々と掲げ合図する。
完璧に片付けられたパイプ椅子たちは生徒会とボランティア、更に教職員の努力と思われる。
周りには生徒が二人と露無がおり全員顔は知っていた。
楽器運びの手伝い、という任務から一人は推測できたがもう一人は想定外だった。
「おおっ、君たちが助っ人? 優しいねー」
挨拶のつもりかそんな声をかけられる。まだ出会ったばかりだというのにもう優しい人認定された、一体どんな感性をしているのだろう。
「ええっと……副会長さんと、音和さん……ですよね」
記憶に誤りがないか確認をとると副会長は何度も、美楽は一度だけ首を振り一致している事を認める。
「どうも、『副会長』さんだよ。もしかして名前知らない?」
副会長と音和さんという示し方に蟠りのようなものを感じた副会長が強調しながら笑いかけてきた。
生徒会など全く興味がないので所属する人の名字も知らない。噂で聞く会長すら名前が記憶されていないのだ。
「すみません、生徒会に関わることもなくて……全く」
申し訳なさそうに腰を丸めながら謝罪する。
「いやいや、そういう人もいるからね。私は朝日出絵美、3年2組だよ。で、知ってると思うけどこっちが同じく3-2の――」
「音和美楽です」
それぞれ短く自己紹介する。特に美楽は口数が少ない。
2組と言うことは司とは別のクラスだ。そんなことはどうでも良いが……。
「…………」
美楽を間近で見た悠斗はつい見惚れてしまう。舞台上にいた時は対して惹かれなかった、ただそれは音楽に夢中になっていたからだとここで知る。
数秒見つめているとうっかり目が合ってしまう。慌てて逸らしたため美楽がどんな反応をしたか悠斗には分からなかった。
「それで、どうすれば良いんですか。俺たち早く帰りたいんですけど」
誤魔化すように話を進める。
教師や先輩を相手にも物怖じせずズバズバと本音をかましていく。何かしらのツッコミが入ると思った悠斗は謝罪されたことに少しばかり驚いた。
「ごめんね、すぐ終わると思うから」
立場が上の者にこうも簡単に謝られると自分が情けなくなる。途端に気怠さが消え「手伝ってもいっか」と譲歩の気が芽生えた。
「これらの楽器を、そうですね……音楽室までお願いします」
美楽が、後方に控え並べられている楽器を示す。楽器の数は6個、大型なものが全てで到底すぐ終わるようには思えない。ハープ、鉄琴、木琴、大太鼓、それと名前のわからない二つだった。
「サクソフォンとチューバは一人で持てると思いますので」
名前のわからなかった楽器はサックスとチューバだったらしい。悠斗が丁寧に持ち上げてみたが感覚的にチューバは9〜10キロ、サックスは4〜5キロほどだった。大きさ的に持ちにくいが、お米を抱えるのと対して変わらないと言うことだ。
「小さい楽器はそちらの誰かに一つずつお持ち頂いて、残りの二人が大太鼓をお願いします」
美楽が細かな指示を飛ばし始める。それに従いエリカとノアが太鼓の下へ行き、白翼がチューバ、あーちゃんがサックスを慎重に持ち上げる。
「俺は……?」
「悠斗さんはハープをお願いします」
「あ、はいっ…………え?」
悠斗にも指示が来たのでハープを運ぶためにその脇へと立ったが、遅れて不思議な事実に気づく。
悠斗はここで一度も名乗っていないのだ。にも関わらず下の名前で且つさん付け、これは怪しまずにはいられなかった。しかし一旦邪念を排除し与えられた任務に全うする。
「先生のどちらかにもハープを頼みたいのですが」
美楽が意味深な目で伊龍を見つめる。
「ほっほ、伊龍くん、行っても構いませんよ」
露無が揶揄うように悠斗の反対側の位置を掌で示す。
「い、いえ、私は結構です」
何故か拒絶される。
自分が協力を待ち構えている目の前でこんなやりとりをされれば誰だって傷つく。悠斗も例外なく凹んだ。
「そうかね、なら私が持つとしよう」
伊龍に視線を送って小さく笑う。言いながらも中々ハープの下へと近づかない。
「……や、やっぱり私が」
何なんだこのやり取りは。
やっとのことで伊龍が位置へと着きハープを持ち上げる。想定したよりは軽いがやはり重量がある。これを一人で持ち運ぶことは至難の技だろう。と言うか不可能だ。悠斗のようなものでなければ。
しかも校内では人とすれ違い、階段がある。
「私は絵美と一緒にヴィブラフォンを運びます」
ヴィブラフォン?と首を傾げた悠斗だったが、二人が鉄琴の横へと移動するのを見て理解する。『あの鉄琴』イコール『ヴィブラフォン』なのだと。
残るは木琴だけだが、いくら大人とはいえあの大きさを一人で持っていくことはできない。露無校長はどうするのだろうと悠斗が経過を見ていると。
「私は露払いとして同行しましょう。露無だけに」
「「「「………………」」」」
場が凍りつくと言うのはこのことだ。
露無の寒いオヤジギャグに凍えながら三階の音楽室へと向かう。
露払いなどいらんわ!と思っていた悠斗も廊下を歩けば気持ちが変わる。
美楽の人気に人が集まり、転校生の人気に人が集まり、楽器の大移動に人が集まり、特に関係ない通行人が邪魔だったりと必要不可欠な存在であった。
「…………」
階段を上り切れば音楽室、そこまで来た時悠斗は一緒にハープを運んでいた伊龍に目を向けてみた。
足元を見て慎重に運んでいる伊龍だが不気味なことに顔がニヤケている。謎の薄笑いに恐怖しながらそっと触れてみる。
「……あの、先生……、なんか、嬉しそうですね」
「へあっ⁉︎ 嬉しそうですか⁉︎」
謎の奇声を上げ激しく動揺する。とても怖い、恐ろしく怖い、酷く怖い、果てしなく怖い、とにかく怖い。
心で「怖い怖い」と連呼しながらも平常を装う。教師(目上の人)に失礼のある態度は取れない。
「伊龍先生、余りにも気味の悪い態度を見せていると嫌われますよ」
まさかの人物が教師へと毒を吐いた。
「おお、言うじゃんみらー。私もみらと同じ意見でーす」
美楽への同意を宣言する絵美。立場なんてなんのその、教員への口撃が連鎖する。伊龍がいじられ役の教員故なのか、美楽と絵美が毒舌なだけなのか、それは分からない。
「す、すみません」
ハープを落とさぬように気を配りながら小さく腰を曲げ頭を下げる。悠斗に向かって。
「い、いえ、俺はそんなこと」
思いっきりかぶりを振る。多少は不気味に思ったがそこまで矢を放ちはしない。しかし、気を使っていることは明白でありそれは誰にでも伝わった。悠斗にそんな態度を取られ肩を落とす。
その二人を見たヴィブラフォンチームの美楽と絵美がクスッと笑う。慌てふためく悠斗が面白かったらしい。
笑われた身としては馬鹿にされたような不快な気分だった。出会って間も無く嫌われてしまったのだろうか。
そんな悲しみに一人で打ち拉がれていたがやがて音楽室前へと辿り着く。
防音の質を高めるために二重扉になっており、この一室だけ扉の材質が他と異なっている。
室内には誰もいなかった。
「吹奏楽部員は全員帰宅しました。今日は発表の後解散ですので」
人気を探る悠斗に聞かせるように淡々と述べる。美楽と絵美を先頭に入室する一同、それぞれ指示を受け指定の配置に楽器を並べる。
「ふいぃ〜、疲れたね〜」
エリカが苦労の汗を拭う……が汗は全く光っていなかった。格好だけ疲れたアピールをしてなんの得があるのだろうか。まさか褒められるとでも思ったのか。
「にしても……凄いな」
白翼が並べられた他種の楽器を眺めて言う。口が小さく開いており何かに圧倒されているような状態だった。
「まあ、確かにな」
悠斗も相槌を打ち同感する。
準備室の中にある楽器は50を超えており種類で言えば15種類ほどはある。音楽室にはピアノをはじめとする定番の楽器があり、合わせると約80にも及ぶ。勿論中にはリコーダーなどの見慣れたものもあり、それが十本ほど並べられていたりもする。
「お手伝い有難うございます。マリンバについては私と絵美で運びますので、どうぞご帰宅なさってください」
丁寧に謝礼を述べられる。マリンバとは恐らくひとつだけ体育館に残された木琴のことだろう。
一瞬だけ悠斗と美楽の目が交差する。互いにバッと視線を逸らす。そして見事に二人の視線が絵美へと向かった。但し悠斗はその絵美からも目を外した。
不思議そうに二人を交互にみる絵美、小悪魔のような笑みを浮かべると何かを言おうとするが悪寒のした悠斗が先に動いた。
「そ、それじゃあ失礼します」
その場から逃げるように別れを告げ、実際に場を離れる。有言実行、マジ大切。
「え、ええ、それでは」
美楽も絵美の危険な匂いを察知したのか悠斗に別れを告げる。
その後も悠斗を筆頭として次々と退室していく。エリカ、ノア、白翼、あーちゃんと続きその次に教師が動いた。
「私は職員室に戻りますよ」
「それでは私も戻るとします」
伊龍が階段を降りて行きそれに付き添うように露無が並ぶ。まるで伊龍が格上のようだ。
結果として室内には三年生コンビが残された。
「……はあぁ……」
仕事はひと段落していないが、事態にひと段落がついた事にため息をつく美楽。絵美は窓際まで歩き一つの窓を小さく開ける。
「言いたいことあるなら言っちゃえばいいのに」
美楽の悩みを見抜いた絵美は呆れるように助言する。
小さく開いた隙間から弱い風が美楽の顔に正面から吹き付けた。
「駄目に決まっているでしょう。どう見ても大変な時期、私が依頼していいはずがない」
一定の声量で言葉を続けた。絵美の隣まで歩み寄り一緒に外の風景を見つめる。
「あ、あの子達いるよ?」
窓枠から手を出して悠斗達を指す。厳密に言えば絵美の指の直線上には楽しそうに校門を抜けていく悠斗の背がある。
「もう遅いですよ…………。それよりも絵美、マリンバ運ぶの手伝ってくれますか」
早々に悠斗の背の追跡を止め窓と悠斗から距離を取る。
「探偵部やってるぐらいなんだし問題ないと思うんだけどね」
窓を閉め美楽の隣へとゆっくり歩み寄る。風が窓を叩く音が室内に響く。
互いに沈黙が長引いた。
絵美は一度大きなため息をつき制服の右ポケットから手帳と4Bの鉛筆を取り出す。
「しょうがないなあ、5分待って、お守りあげる」
教室内にいくつもある席のうち一番近い席に座り、手帳の白紙のページに何かを描き始める。
「いいですよ、別に……」
絵美の鉛筆の削れる音を止めようとしたが本人には聞こえていない。
そして何より、その笑いながらも真剣な眼差しに言葉が詰まる。まるで体に電撃が走り口が麻痺したように。
「もう……」
お節介だ、そんな意味の聞こえる息を漏らし5分ほど待つ事にする。
だが、この密室で仲の良い二人が会話もせずペンの音のみが響くなんて耐えられない。10秒ほどピアノを見つめた後美楽はピアノの前の椅子に腰を下ろし鍵盤と対面する。
静かに指を乗せ優しい演奏を始めた。
「――――」
「――――」
5分の間、黒鉛の擦れる音と弦の弾ける音が奇跡の二重の音程を響かせた。




