古典の授業をさぼる(後)
自分の本当の気持ちに整理がつくと、分泌されていたアドレナリンが落ち着いてきて、当初の目的を思い出した。そうだ本来私はどうしようもなく眠かったのだ。
「ごめん、ちょっと私眠気が限界で、寝てもいいかな」
「もちろんいいよ。それが今のあなたが一番にやりたいことならね」
もちろん一番やりたいことだった。私は入り口から一番遠い、教室の一番後ろの大机に向かい、椅子を一個机から降ろして座った。そのまま机に突っ伏す。
ああ一瞬で寝られそうだわと思っていると、机が揺れて、どたんばたんという音に眠りを妨げられる。顔を上げると、彼女が、机に乗っていた椅子をすべて降ろしているところだった。
「うるさいんですけど」
文句を言うも彼女は全く取り合ってくれず、まっさらになった机の上に腰を下ろし、そのまま横になってしまった。
「これが今私の一番やりたいこと。だれもいない空き教室で、科目教室特有の横になれるほど大きな机の上で横になって寝る。うるさくしてごめんね。でももう寝るから静かになるよ。
でも提案だけさせて。机に突っ伏して寝るのなんていつでもできるけど、こうして横になって寝るなんてめったにできることじゃないんだよ。だから、もしこうしてみたいなら、私の横で寝てもいいからね」
大机の上で仰向けになりながら、目を瞑って言うその姿はすごく気持ちよさそうで、私も正直真似したい。
でも、初めて出会ったセクハラまがいの女の子の隣で寝るなんて、ちょっと私にはできそうにない。だから私は隣の机に移動して、出来るだけ音をたてないように椅子を全部降ろして横になる。
仰向けになって、頭と背中とお尻と足で机を感じる。硬くて頭がごつごつするけど、ひんやりとした感触は気持ちよくて、机の高さから見渡す教室はいつもとちょっと違って見えた。
耳をすませば向かいの普通棟の音すら聞こえてきそうなくらい静かで、なんだかこの瞬間は、世界に私と彼女しか居ないんじゃないかって気になった。
目を閉じると途端にまどろみ始めて、だんだんと意識が遠のいていく。
頭の方から衣擦れの音がする。でもそれもどうでもいいくらいに眠くって、私は眠気に体を預ける。
今度は右に人の気配があった。私の横に、彼女が横になるのが感じられた。
「ここに寝たら迷惑?」
彼女が聞いてくる。こんなに眠くなかったら、私は絶対に横で寝るのを許可しない。でも今は、私はとんでもなく無防備で、とにかくこのまま眠りに落ちられればどうでもよかった。
「いや……じゃない。もはやどうでもいい……」
すぐ横で、彼女がちょっとだけしょぼんとしたのがわかった。でも本当に、何もかもがどうでもよかった。
私が今一番したいことはこうして寝ることで、彼女が今一番したいことは私の横で寝ること。だったら、好きにすればいい。
人は、自分の生きるすべを自分で見出して、そうして生きながら自分の人生を自分で決められる。その時その時自分の意志で、自分の一番やりたいことをやって良い。他人に迷惑をかけない範囲内で。
すぐ横の彼女の吐息を感じながら、私は眠りに落ちていく。
そういえば私名乗ってもいないし、彼女の名前も知らないなと、その時初めて気が付いた。
もうろうとする意識の中で私は思う。彼女にまた会えるかな。
目を覚ますと、隣に彼女はいなかった。言いようのない寂しさを覚える。
時間の感覚がない。教卓の方の壁時計に目をやると、ちょうど三限が終わるところ。
撤退しなきゃ人が来ちゃうと慌てて起き上がると、一枚の紙きれがはらりと落ちた。
手に取ると、そこには可愛いときれいの中間くらいの整った字で、こう書かれていた。
【おはよう、結城ナツさん(生徒手帳で見ちゃった、ごめんね。一年生なんだね)。
あなたの寝顔、とってもかわいいのね。無防備で、起きてる時とは大違い。スカートを触っただけであんなに警戒心あらわにしていたのに、私の横でああも大口開けて寝られちゃうと、私自分を抑えるのが大変だったわ。
それはそうと、あなたの反骨精神私とっても気に入った。だれもが平坦な日常に飽き飽きしているはずなのに、だれもそこから抜け出そうと具体的な行動はとらない中で、あなたは違った。授業をさぼってここまで来た。小さいことだけど、生きるってそういうことよ。何も考えずぼーっと教師に、校則に縛られちゃダメなの。たいていの人がそうしているけれど、あなただけは違った。あなたと私だけがこの学校で生きてるの。
よって私はあなたを私の友達に任命します。名付けて『一日一悪、私とあなた二人で校則を破ろう友達』。
一日一個、誰にもばれずに校則や、学校の不文律を虚仮にしてやるの。私とあなた、二人でやるの。くだんない決まり事に、これでもかと抵抗してやるの。それってとっても生きてるって感じがするでしょう?
もし迷惑じゃなかったら、私を探してね。私は常にどこかの空き教室にいるから。言っておくけどクラス教室にはいないからね。ちゃんと、私を見つけてね。
3-A 夜桜ミサ】
「夜桜……先輩だったのか。あんな変な人が、私よりもお姉さん……」
眠気が取れて意識がすっきりした今、胸がドキドキしてきた。
それは、初めて授業をさぼったことから来るものなのか、あんなに綺麗な先輩と、あんなに近くで寝てしまったことから来るものなのか、今のわたしには判断がつかない。
この気持ちを確かめたかったら、私は夜桜先輩をもう一度、発見しなくちゃならない。
今もどこかの空き教室で、日向ぼっこでもしている先輩を。