古典の授業をさぼる(中)
「ひゃあっ!ちょっとなにやめて」
私の抗議の声には耳も貸さずに、彼女は膝小僧とスカートの裾をすり合わせる。
「ひざ下ピッタリ、ってとこね」
彼女は独り言つと、手を離した。
「え、なに一人でわかったようなこと言って終わった感だしてるんですか。事件は終わっちゃいないですよセクハラですよ。もうなんなんですあなたは」
「あなたのスカート丈、ちょうど膝が隠れる長さだった。校則で決められてるぎりぎりの短さね。膝を見せてはいけませんっていう。校則は違反したくないけど、でもできる限りのおしゃれはしたいって気持ちが透けて見えるわ。
ゾンビって言ったのはね、こういうことなの。スカートの丈さえ決められた長さで自分のなりたい服装にすらなれずにのうのうと生きてるなんて、生きてるなんて言えないでしょ?だからゾンビ。でも、動揺すると敬語になっちゃうあたり、人間らしくて私あなた好きだな」
私のスカートと膝小僧を好き放題しておいて、彼女は言いたい放題言って、黒髪を払う令嬢しぐさ。
わ・た・し・の、下半身好き勝手触りまくって、、、
「その、いちいち黒髪払うのやめてよね!なんか言い難いウザさあるわよ気づいてる!?」
「ええっ?」
「どうせ、友達いなくてウザいと指摘してもらう機会もなかったんだ。そうようねだって、授業も受けずそのくせテストの点は毎回良いなんて、もう好かれる要素ないもんね!」
「え、え、え、え、え?」
「罵倒してんのよわかってる?」
「でもね、髪を振り払うことが、なにかあなたに迷惑かけてるかしら」
「気に障るの」
「それって、迷惑ってこと?私気づかないうちに、なにかあなたの人権を侵害してた?」
「人権って……。いやそれほどじゃないけど、ただちょっと痛々しいし、名状しがたいウザさがあるし、そういうことしてると周りの人に煙たがれるよって思って」
私がそう言うと、彼女は首をすくめて両の手の平を天に向け、ハアやれやれなんも分かってないぜこの娘さんはよ、のポーズをとった。あんたはハリウッド映画の主人公か。
「あのね、自分の人生は自分で決められるの。さっきも言った。なりたい自分になれるし、やりたいことをやっていいの。他人に迷惑さえかけなければね。
私の、その髪を振り払うって行動が、他人にどう思われようと関係ない。この行動含めて私だし、これを否定されるのは他人に迷惑かけたときだけ。迷惑かけてるっていうなら、他人の人権を侵害しているっていうなら私は反省してすぐにそれをやめるけど、そうでない限りは私絶対に自由なの」
むう。変な人だけど、割としっかり善悪の区別はつけているらしい。むしろ私の方が、ただ自分が不快だからという理由で他人の自由を侵害してしまっているのではと、そういう気持ちになってしまった。
むむむと思っていると、彼女はまた令嬢ポーズに戻って聞いてきた。
「話を戻すけど、あなたはここで何しているの?さっき言ってた、うぱさんの友達とか?」
「だ・か・ら、やめてよねそれ言うの。
そうじゃなくて、ちょっと寝不足で寝ないとやってらんなくて、それでさぼっちゃえと思ってこの空き教室を見つけたの。ここなら好き放題寝られると思ってね。まさか先客がいるとは思わなかったけど」
「ふーん……。不思議なんだけど、どうして保健室に行かなかったの?あなた、スカートの丈すら校則を順守するまじめな女の子じゃない」
ぎくりとした。でも、どうして自分がぎくりとしたのか、自分で自分の気持ちがわからない。
ちょっと動揺している私の姿を見て、彼女は全然柔和じゃない、にやっとした笑いを浮かべた。
「ねえ、自分の行動を振り返ってみて。あなたはどうして保健室じゃなくて、いま、この生物室にいるの?なにを思って、どういう経路でここまで来たのか、思い出してみて」
何を思って、どういう経路で……。
私は普通に、二限が終わって、時間割に目を向けると次は古典の加藤先生だったから、これは眠れやしないぞと思って教室を出た。
中休みの十分間で、さっさと腰を落ち着けられる場所を見つけないと、って思いながら、私は一番常識的な行動として、一階の保健室へ通じる階段を下ろうとして、はたと思い直して渡り廊下へ向かった。
「思い直したんだね。でも、それは何で?」
そう、思い直した。保健室はやめて、科目教室棟へ方向転換した。私はいったいどうしてそんなことをしたのだろう。
「人って、自分で思ってるより自分のことわかってないのよね。でも、一瞬一瞬、自分がどうして今ここに居て、何をするためにここに居て、何を思ってここに居るのか。その自覚を持たないと、ゾンビだよ」
私は記憶をたどる。あのとき私は教室を出て、何も考えず当然の行動として保健室の方へ向かい、一階へ通じる階段の踊り場までたどり着いた。そこでふと、足が止まった。そこで、もしかしたら、私はこう思っていた。
保健室?それってかなり、退屈じゃない?
そうだ。そして渡り廊下を行き、日常の喧騒がだんだんと離れていくあの非日常感に、なんだかかなりワクワクしていた。学校に居ながら学校のルールを逸脱していることに、高揚感を覚えた。アドレナリンが私の眠気を吹っ飛ばし、生物室でウーパールーパーに声をかけさせた。
もしかして私は、自分で思ってるより悪い子だったのかもしれない。
「たぶん、私は退屈してたんだと思う。毎日教師に与えられた勉強をして、代わり映えのしない時間割をただただこなしていくことに。
私たちのこと、ゾンビって言ってたね。それってかなり的を射てるかもしれない。決まりきった毎日を送っていると、一日と一日の境界がなんだかあいまいになって、昨日と今日の違いがなくなって、生きてるって実感がなかった。
でも、私が保健室に行くのをやめようって自分で決めて、渡り廊下を一人で歩いているとき、今日がいつもと違う特別な日みたいに感じられて、こんな小さなことで生きてるって実感がわいてきた。授業をさぼるってほんとに小さいことだけど、それだけでゾンビじゃなくなった感じがした……気がする」
生きてることの実感。
それはもしかして、友達とわいわいご飯を食べながら、B組の誰それ君の頬杖のつき方がかっこいいとか胸チラする白ワイシャツにキュンと来るとか、そういう話に盛り上がってるだけじゃ得られないものなのかもしれない。
みんなでだべるその時間はとっても楽しいけれど、どこまで行っても楽しいだけで、友達との別れ際に、ああ私はこのままでいいんだろうかとか、そういったむなしさに襲われることから逃れられない。
生きることってもっと、違う物なのかもしれない。例えば、みんながクラスの授業を受けている最中に、一人空き教室で日向ぼっこをするような、非生産的極まることに現を抜かすとか。そういう、だれもやってないことを、自分の意志でやることなんじゃないかと思う。たいていの人には理解されないけれど、でも自分の中では確固とした意志でやりたいことをやる、そういう態度こそが生の実感につながっているのかもしれない。
「あなたは、授業をさぼってちょっと悪いことに手を出してみたかったんだね。なんとはなく退屈な日々に飽き飽きで、ちょっとした非日常のスパイスが欲しくてここに来た」
「うん、たぶんそういうこと」
そういうことなのだ。この世界にちょっと反抗してみたくて、授業をさぼってここまで来た。わたしは決まりきった日常に倦んでいた。
自分の本当の気持ちに整理がつくと、分泌されていたアドレナリンが落ち着いてきて、当初の目的を思い出した。そうだ本来私はどうしようもなく眠かったのだ。