ベタは身近に潜んでいる
「ん、んん……」
何やら物音がして目を覚ますと、そこには桜織の姿があり、スポーツドリンクと冷却シート手に持って部屋に入ってきていた。
「あ、お姉ちゃん、気分はどう?」
「ええ……朝よりは大分楽になったわ、学校から帰ってきたばっかりなのにごめんなさい」
「そんなの気にしなくていいって。はい、スポーツドリンク飲めそう?」
「大丈夫よ、ありがとう桜織」
私はベッドから身体を起こすと妹からコップに注がれたスポーツドリンクを受け取り、口の中にゆっくりと運んでいく。
朝からずっと眠っていたせいか身体がかなり水分を欲していたようで、飲むとスポンジに水が吸収されるみたいに、みるみる染み込んでいく。
「お姉ちゃんはい、体温計」
そして私は受け取った体温計を脇にさす。朝は熱も38度台まであって、寒気もしていたけれど、今はそんなこともないし、多分下がって入るだろう。
「それにしてもお姉ちゃんが風邪を引くなんてねえ、あれだけ超健康的な生活を意識しているのに珍しいこともあったもんだね」
「全く以てね……自分でも少し情けない気持ちになってくるわ」
「遠足の前日にはしゃぎ過ぎちゃって熱が出ちゃった子供みたい」
「な――! さ、桜織……!」
「きゃーこわーい、冗談、冗談だって」
病み上がりの人に対しても容赦なく煽ってくる辺り、流石は私の妹って感じだけど、恐らく彼女なりに弱っている私を気遣ってくれているのだと思う。
ただ実際その通りで……季松くんと勉強をするとなった時――勿論一つ屋根の下で和やかに交流を深められればとは思っていた。
けれど、同時に私の勉強方法が原因で低い点数を取らせる訳にはいかないとも思っていた。
だから予備校講師、塾講師が教える点数の上がる教則本も読み込んだし、試験範囲で抜け落ちたりしている所はないかどうかも入念に確認した。
そもそも私の家で勉強する話は、当日急遽母の帰りが遅いって話が出てきたから候補に入れていただけで、正直夏目さんを警戒して焦って行動に出た面が大きかった。
加えて果てはこの妹の来襲、元より基礎体力がない私はヘトヘトになってしまい、そのまま寝落ちをした私は目を覚ませば妙に身体がダルい。
熱を計ってみたら――風邪確定というオチ。
「でもあれだよね。今思い出したけどお姉ちゃんって小学校の頃は身体が弱かったというか、風邪を引いたりすること多かったよね」
「嫌なことから逃げようとするとよく熱が出ていた気も……ある意味便利な身体していたわね」
「まー、それを特効薬の如く治してくれたのが季松さん、だもんね~?」
「も、もう! 桜織!」
「えへへ、ごめんごめん」
からかい上手の妹に私はついムキになって反応する。
とはいえ、恥ずかしながら季松くんのお陰で心身共に成長したのは間違いない。
本当に、彼がいなかったら私は今頃どうなっていたのかしら――本当に私は彼を中心に生きているのかもしれないと思いそうになる。
「あ、そういえば朝から何も食べてないよね。お母さん帰り遅いし、何か作ってあげよっか?」
「そんな、悪いわよ、薬も飲んで大分身体も楽になったし、自分で作るから」
「いいっていいって、病人に飯作らせるほど、妹としてまだ終わっちゃいないから」
「桜織……」
何だかんだ言っても、桜織は私の自慢の妹だ。
文句や愚痴を言ったり、怒ったりすることもよくあるけど、いつも私の話を聞いてくれるし、こうして人を気遣う優しさも持ち合わせている。
何より――私を救ってくれたのは季松くんだけれど、そんな私を口にはしなくともいつも側で気にかけてくれていたのは桜織なのだから。
「――分かったわ、ならお言葉に甘えて、うどんを注文してもいいかしら」
「どんと承りました! じゃあ買い物行ってくるね」
「はい。行ってらっしゃい」
桜織はそう答えると笑顔を見せて手を振って、私の部屋を後にした。
一人残った私は、ピピッと鳴った体温計を挟んでいた腋から取り出す。
「ふう……熱も7度台まで落ちてくれてる、良かった……」
これなら明日には学校に行ける……季松くんにも迷惑かけちゃったし、夏目さんにも心配かけちゃったし、ちゃんと謝っておかないと……。
「夏目さんに連絡しなきゃだけど、汗で服がビショビショ……先に身体を拭かないと」
私は桜織が用意してくれていた新しい着替えとタオルを手に取ると、パジャマのボタンを外し、上を一枚脱ぐ。
そして桜織が濡らしてくれていたタオルで身体を拭き始めようとした時――扉が二度、丁寧にコンコンとなった。
「? 桜織? 入っていいわよ」
私はよく妹に部屋に入る時は必ずノックしないと口酸っぱく言っている。
理由は色々あるのだけれど――やはりいくら家族一つ屋根の下とはいえ個々人の部屋というのはプライベートが確保されるべきという考えがあるというのが一番ではある。
まあ、私も季松くんのことで興奮するとノックもせずに桜織の部屋に飛び込むこともあったものだから、最近は若干なあなあになっていた部分もあったのだけれど……。
だからこそ、私は気づくべきだった。
この律儀なドアノックの正体が、一体誰なのかということを。
そして、常にベタというのは身近に潜んでいるのだという事実に、もっと危機感を持つべきだったということを。
「失礼します……あ、石榮さん、風邪は大丈夫――――!?」
「桜織? どうしたの? なにか忘れ……もの……?」




