雪織は桜織に翻弄す
私は実妹である桜織を可愛く思っているけれど、この時ばかりはこの世にこんな悪女がいるのかと思わずにはいられなかった。
そ、そんなつっ、付き合っているだなんて……! 無論それは最終到達点だし、そうなれば私の人生ここで終わってもいいと思っているけれど……。
「さ、桜織! 何を言っているの! 季松くん困ってるじゃない!」
「違うの? え~嘘でしょ? 家まで連れ込んでるのに?」
そ、それは……確かにまだ少ししかお話をしていないのにいきなり家まで連れてくるのは早過ぎるとは私も思ったけれど……。
で、でもっ! あんまり悠長にしていたら夏目さんの毒牙に掛かってしまうかもしれなかったし……それで……つい……。
「んん……? お姉ちゃん……? もしかして――」
「ま、まあまあ! 妹さんがそう思うのも分かるけども、俺はただ石榮さんのご厚意に甘えさせて貰っているだけなんだよ」
「うん? どういう意味ですか?」
「俺が勉強が苦手だと言ったらお姉さんが教えてくれるという話になってね、ただ何処でするかは決まっていなかったから、石榮さんも少し悩んでいたみたいで」
「ふうん……?」
「俺も一緒に考えればよかったよ、ごめん石榮さん、気が利かなくて」
「えっ! い、いえ! そんな! 私こそもっと早く決められなくてごめんなさい!」
くぅ……季松くんのフォローが身に染みる……。
ただ……欲を言えばもっとこう! 満更でもない顔になって欲しかったというか! 『お、俺達そんな風に見えるかな……?』とか言ってくれても良かったのだけれど……。
ち、違うわ! それはあまりにも欲をかき過ぎている! 家で一緒に勉強が出来るなんてとんでもなく大きな進歩なのよ!
ただ、この不出来な妹さえいなければ……。
「ぐぬぬ……」
「あ、あのさ……お姉さんっていつもあんな顔が怖いの?」
「え? ああ、あれは癖みたいなものなので、あんまり気にしなくていいですよ」
でも、起こったことを今更悔やんでもしょうがないわ、寧ろこれを機に私の家で勉強をすることが普通と思って貰うチャンスと考えるべきよ……!
その為にもまずはこの愚かな妹を……限られた時間で最大限の結果を残すのよ私!
「こ、コホン……いい桜織? 今話した通り私は季松くんの成績を上げなければならない大事な、だーいじな責務があるの」
「……という体じゃなくて?」
「…………季松くんは、今窮地なの」
「えっ? 俺ってやっぱり結構ヤバいのか……?」
「ああ違う! そうじゃないのよ! 季松くんはお勉強如きでは測れないくらいとても素晴らしい人ではあるの!」
「そ、それはどうも……」
ああもう私の馬鹿! 彼を貶めるようなことを言っちゃ駄目じゃない!
確かにお話を聞く限り国語以外は全科目平均を下回っているかもしれないけれど……季松くんを知能で図るなんて愚の骨頂よ!
「と、兎に角! 桜織にかまけている程私達は暇ではないの! 貴方だって受験勉強を邪魔されたら迷惑でしょう?」
「え? いつもお姉ちゃんに邪魔されてるけど?」
「ぐぎぎ……」
この駄妹……私を脅しにかけようっていう魂胆かしら……。
『いつもお姉ちゃんに季松さんのお話ばかり聞かされて勉強出来ませーん』とでも言ってやろうかと言わんばかりの澄まし顔に私は苦渋を味わう。
ただ……悔しいけれど、これは見方を変えればチャンスでもある。桜織から口を滑らせられれば彼との接点が更に深まる可能性はあるのだから。
でもやっぱりそれを妹の口から言わせる訳にはいかない……そんな第三者から想いを伝えるなんて季松くんが許しても自分で自分を許せない!
だったら早く言えよって話なのは分かってるけれど……。
いずれにせよ彼女をこれ以上野放しにしてはいけないと、私は妥協案を模索しに入る。
「さ、桜織……何が……何がお望みかしら?」
「えー? 別に何も望んでないけど? お姉ちゃんったら何言ってるの?」
「う、嘘をおっしゃい……お姉ちゃん分かってるんだから」
「私はただ季松さんとお話がしたかっただけだよ? お姉ちゃん男の人を連れてくることなんて初めてだから気になっちゃって、ねえ?」
「ごぎぎ……」
この子……季松くんが帰ったら覚えておきなさいよ……。
「それに季松さんは普段お姉ちゃんとお話してるんでしょ?」
「え? まあ……してはいるが……」
「してるなら私と話をするくらいの余裕はあると思うし、それに私だって受験生なんだから勉学に励む者同士ここにいるのは間違いではないじゃん?」
「う、うーむ……」
「だ、か、ら。一緒に勉強しながら私も季松さんとお話させて貰えたらなーって思っただけ。ね? 季松さん、私もいていいよね?」
「なな――!」
ちょ、ちょっと! そんな甘い表情を彼に向けないでよ! 首を横に傾けて、自然に髪を垂らして覗き込むとか私もやりたいのに!
あうあう……こんなの見せられてしまったら季松くんだって心揺さぶられて了承をしてしまうわ……。
折角頑張ってここまで来たのに……まさか実の妹にここまでしてやられるなんて……とがっくり肩を落しかけてしまいそうになった時だった。
「んー……妹さんがそう言ってくれるのは嬉しいんだけど、それはあくまで部屋の主である石榮さんが決めることだから」
「す、季松……くん……?」
「ええーそんなぁー!」
「それに折角勉強を教えてくれる話になっているのに、お話ばかりしていたらお姉さんに悪いし――だから申し訳ないんだけど……次の機会にお願いしてもいいかな?」
「…………」
きっと私と二人きりになりたいからとかお前は邪魔だとか、そういう意図があって言った訳じゃない、それは分かってる。
彼のことだから、困っている私を見かねて助け舟を出してくれただけに過ぎない。
こんなの、傍から見たら取り留めもない普通のことかもしれないけど、でもこういう気遣いをさらりと、意図なく出来てしまうのが季松くんの凄さ。
うん……、だからこそ私は彼が好きなんだって確信出来る。
「むー……」
流石にこれには桜織も何も言い返せなかったのか、ぷくりと頬を膨らませ唸り声を上げるけど、ややあって諦めた表情になるとこう口にした。
「……ま、いっか、お陰で私も少し分かったような気がしたし」
「へ?」
「じゃあ季松さん、また絶対遊びに来て下さいね? 私との約束ですよ?」
「あ、え、えと……」
「いいから早く戻りなさい」
「ふーんだ、季松さん、またね~」
そうしてジュースを一気に飲み干した桜織は私に向かって意地の悪そうな顔を見せながら、季松くんには笑顔で手を振って、部屋を後にするのだった。
ようやく訪れた静けさに振れて、今更ながらどっと疲れが押し寄せてくる。
何だか……今日はずっとあたふたしていたような気がするわね……。
やっぱり慣れないことはとても疲れる……こればっかりは昔からずっと変わらない……。
でも――
私は重力に逆らえずにいた首を頑張ってもたげると、視界に彼の、季松くんの優しく微笑む顔が映り込む。
「そ、それじゃあ、色々遠回りしたけど――石榮先生、今日は宜しくお願いします」
「……! は、はい! こ、こちらこそ宜しくお願い致します!」
結局彼の顔を見てしまうだけで、そんな疲れも一瞬で吹き飛ぶのだから、やっぱり私は季松くんが好きなんだなぁと、改めて思うのであった。




