てめぇの頭ん中、ハッピーセットかよ~そうですけど何か? いまなら無料でなろう小説もついてきてお得ですよ。これがなろう小説の本質的な面白さ説~
結論部分を読みたい方は『☆』で囲んでます。そこまで読み飛ばしてください。
なろう小説でランキング上位にいけるための本質構造を書いてます。
このエッセイの売りはそこです。
さてさて――。
なろうエッセイを書く理由は、人それぞれだと思うが、わたしの場合は、もちろんより多くの人に読まれるため、どうやったらランキング上位に至れるのかを探るのが目的だ。
この点、テンプレを書けばいいと人は言うが、しかしそのテンプレの面白さとは一体なんなのだろうか。
テンプレを書くということ自体は、原理を探るよりもまず書いたほうがよいという、体験重視タイプの考え方もあるだろう。
しかし、わたしは本質に迫りたかった。
体験重視タイプの書き方であると、おそらくは無意識の部分で、なろう小説の面白さを処理してしまうことになるので、要するに職人の勘に任せることになるからだ。
これはこれでやり方としてはありなのだが、しかし、小説の構造的な力動を理解していなければ、伝達ができないからだ。まあ、要するに、わたしは知の伝授というところに興奮しているのだろう。
すごく卑近な言い方をしてみれば
幼女作家「こんなこと思いついたよー。みんな見て見て、読んでー」
こんな感じ。
さて、では語ろうか。(真顔)
なろう小説の特徴は、基本的には大目的がないことになるだろう。
通常、物語を駆動するためには、大目的を設定し、その解消に至るキャラクターの行動を基点としなければならない。
これは、例えばの話――、
勇者は姫様を助けて魔王を倒すというのが目的なのと同じだ。
なろう小説は、この大目的が欠けている作品が多い。
成し遂げなければならない使命はなにもなく、ただ漫然と異世界に相対する。この異世界は主人公に甘く、許された世界だ。ゆえに、読者ないし作者は現実逃避をしていると揶揄されることもある。
ところで、なにが面白いのかというのは、なにを快と捉えるかという問題である。
なろう小説をおもしろいと捉えるのは、その成分の中に快が含まれているからである。
快とはなにか。
フロイトによれば、快とは興奮量の"減少"である。
人はその身に必ず、デストルドーを抱えている。つまり、死にたい気持ちが数パーセント含まれている。
この志向性こそが快であるとしているのだ。
例えば、わかりやすいのはセックスである。
セックスは性的興奮が上昇するが絶頂を迎えたあとには興奮量が"減少"する。
したがって、セックスは全体としてみれば快であるとなる。
非なろう小説は、大目的が設定されており、その大目的が解消されることによって、高められた興奮量が一瞬で解放される。
これをカタルシスと呼称する。
では、なろう小説はカタルシスがないのか。
いわば、絶頂を寸止めするスローセックスなのか。
答えはイエスだ。
カタルシスは急激な興奮量の減少を示す。
カタルシスがない作品は水平的に興奮量をコントロールする。
これが、なろう小説の本質であろう。
なになに、それってどういうことかさっぱりわからない?
しょうがないにゃぁ。
もう、この作品の創り方をすれば、まちがいなくランキング上位に至れるという……、
なろう小説の、"快の本質的構造"を教えてあげよう。(ドヤ顔)
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なろう小説は些細な幸福を拾っていくという快の構造を有している
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ねえねえ。この発想。天才的すぎない?
これ、ドヤ顔できる最強にウルトラ究極な発想だと思うんだけど。
あ、うざがらないで。ごめんなさいごめんなさい。
わかりやすくするために、簡単な設定をここで書き出す。
主人公は例えば、悪魔ベルフェゴール。通称ベル子ちゃん。
この子は悪魔なので天使とかに捕まって思考懲役刑といって5000年ほど、暗闇の中で指一本動かせず、ただ思考のみを課せられている。全身不随みたいな状態ね。で、5000年の懲役から解放されたベル子ちゃんは、異世界で人間を幸福にしてこい的なふんわりした使命を与えられて地上に降りてくる。
ベル子ちゃんはことごとく些細なことに感動する。
たとえば、森のせせらぎだったり、屋台の串焼きだったり、時には人の悪意ですら、彼女にとっては刺激的で幸福なイベントだ。
この作品説明はわかりやすくするために、幸福を極端に大きく見せているけれども、通常のなろう小説でも、実は同じことをしている。
たとえば、スローライフでは、農業をしたり、睡眠したりと、なにかをつくったり、あるいは文明自体を発展させたりする。また、冒険者として何かを採取したり、たまには討伐したりというのも、日常の生活であり、いわば仕事と趣味の延長のようなことを延々とし続けるわけだが、これは、主人公が感じる幸福を拾い上げるという心と身体の動きを快としているのだ。
絶頂に至らない程度の幸福という興奮をできるだけ長い間維持し、じっくりことこと煮つめていく。
もっと言おう。
――なんとなく幸せかも?
これがなろう小説に求められている既存のファンタジーとは異なる仕様である。
あ、例外もありますんで、そこはランキング上位作品は、だいたいこんな感じという傾向分析です。
ともあれ、もうこれでランキング上位作品が書けるな。
しかも、この本質さえ抑えれば、誰でも書けるんじゃないか?
すげえや。わたし。
あ、もちろん。文章力とか幸福の描き方みたいなそんなところも点数に影響すると思うんで、わたしが今ここで述べたのは、本質的な構造ね。構造。ストラクチャー。
なんといえばいいか。つぼを作れといわれているのに、弁当箱創ってたら評価されないように、まずはつぼを創りましょうってこと。
なろう小説のストラクチャーを理解できれば、たぶんヒット作はそのうち書けるだろう。
というか、ベル子ちゃんの話、書いてみようかな。
小説もろとも自説も爆死する、それはそれでカタルシスかもしれない……。
まず、小説で総合ランキング入ったことってないんじゃないか。わたし。
いや、ホラーとか純文学でちらっと入ってるのかな。ようわからん。
エッセイはコロたまでしょ。だから大丈夫。大丈夫。
みなさまのご意見、ご感想お待ちしております。




