逃げ延びた先
今自分たちの置かれている状況を客観的に見てみよう……などというのは、実に馬鹿バカしい試みだと、自分は思っている。
だって結局"客観的に見よう"という行為そのものが非常に主体的だもの。
「おい、なにやってる?」
北地区に入ってカルマ、エイト、ナナが初めて出会ったヒトは初老の男性だった。
カルマ達を、はじめこそ訝しんでいたものの、事情を正直に説明し----とはいえエイトとナナが武装集団の一員であることはそれとなく濁したが----、怪しい者ではないことを説明すると、老人は「大変だったなぁ」と言い、それから野原をしばらく歩いたところにある小麦色の立派な一軒家に3人を招いてくれた。
「しかし、大変だなぁ……俺はまぁ北地区で生まれて、北地区で育ったからな、外のことを全然知らないんだが……だいたいあんたらが通ってきたあの通路も、途中が塞がってなかったか?」
「?……いいえ?」
3人は顔を見合わせ、首をかしげる。
通路に塞がっているところなんてなかった。
彼の話すところによると、北地区のお役人----これはおそらく代理戦争組織だろう----がやってきて、通路を二箇所ほど埋め、人が通れないようにしたのだとか。
ということはカルマ達が通るよりも前に、誰か通ったのかもしれない。
しかしカルマはそのことよりももっと別のことが気になっていた。
「北地区ではお役人がいるのって、普通の感覚なんですか?」
他地区なら代理戦争組織によるインフラ整備についてはみなの知るところだが、そのカンパニーを役人という目で見ることはない。
あくまで無政府であるし、"組織"というものを推奨する流れにもないのだ。
なのにいまこの老人はお役人と言った。
「あぁそうだな。"全体を先導する"所ってのはあるからな。」
老人の発言に3人は驚きを隠せない。
北地区では組織どころか政府の存在も容認されているのか?
「まぁお役人っても、先導しなすってるのはこの地区最大のカンパニーのКировだがなぁ…」
「あ……あの、カンパニーの存在も容認しているんですか?」
エイトが割り込むように問うと、老人は頷き、それから何かを思い出すように話し出した。
「容認…しているといってまぁ間違いないだろうな。キーロフはなぁ、南東西の情報をあらゆる手を使って集めてる。北地区存続の要よ。今だって南の様子が怪しいとなって、南側の出入口は閉めちまってるからな。」
その情報にますます3人は驚く。
「南で何があったかまでは知りませんか?」
「さぁ?後継者が問題のあるやつだとかなんとかそんなことだったかと思うが……」
3人は老人の厚意に甘え、風呂を借り部屋まで貸してもらって、夕餉までの時間をその部屋で過ごすことになった。
「なぁ……南地区側の出口を塞いだって…」
エイトが不安げにつぶやくと、カルマもさすがに面持ちを暗くして答える。
「なんだか事態はなかなか厄介で大変なことになってるみたいだね。しかも閉じてるのは南地区側だけじゃないはずだ……たぶん、さっき聞いたラジオのが本当なら東西の出入口も塞いでるんじゃないかな?」
「なんで?」
ナナがソファに横になりながらエイトの膝に乗せた頭を少し持ち上げて聞く。
「震災とか戦争とか、そういうのがあると、人間だってちゃんと生物だからさ…本能的に安全な場所を求めるわけだ。そうなると中がどうなっているか分からないとはいえ、むしろ分からないからこそ、まだ安全な"可能性"のある地区へ逃げたいと考えるだろう?」
「でも北地区は管理しきれない程の人間の流入を良しとしない。」
エイトがカルマの言葉を引き継ぐ。
カルマはその言葉に頷き続けた。
「そういうこと。流出も流入もここの人たちは快く思わない。恐らく個々人がみんなそれをあまり快く思わないから、それを仕切る存在としてКировを認めているんだろうな。」
「保守的ってことか……?」
カルマはエイトの問いに頷くと、しばし考え込む。
その表情には珍しく殊勝な笑みも、楽しげな輝きもない。
「何考えてるんだよ…」
しびれを切らしてエイトが尋ねると、カルマは困ったという風に苦笑しながら2人を見た。
「いや…もしトラストルノが緊急事態だとするなら……クラスメイト達にも危機が迫っているのかもしれない。ここが安全かは分からないが……でも自分だけが逃げてきてしまって……
せめて自分の無事と、不穏な空気があることだけでも伝えられれば……って考えてたんだ。」
「そんなの……」
"俺らだってそうだ"という言葉は音にならずに空気に吸い込まれる。しばし3人の間には沼の底のような沈黙が漂っていた。