知将親子2
「失礼します。」
芦屋はゆっくりと扉を開く。
すると珍しく、香ばしいコーヒーの香りが鼻腔をついた。
普段なら無香の校長室が、なんとも心地よい香りに包まれていて、芦屋は逆に違和感を覚えた。
しかし、すぐにその違和感がコーヒーだけによるものではないことに気がついた。
「やぁ、聖くん。久しぶりだね。」
「あ…ど、どうも。」
父親は奥の部屋にいるのか、校長室応接用のソファには名影徹と恩香衣だけが座っている。
さすがの芦屋も豪華すぎる面々に臆してしまう。特別、父と仲が良いという印象もない2人。
いや、もしかしたら芦屋がそういう父の一面を見たことが無かっただけかもしれないが…
「お父さん今奥の部屋にいるよ。」
恩氏は優しく微笑みながらそう教えてくれる。子供扱いをされたような気もするが、この人にしてみれば、自分なんて本当に小童だろうから…つっかかるようなことはもちろんしない。
それにこの人の息子は恩寿音だ。
まぁ…正直、Sクラスの中でも兎角落ち着いていて、大人だと思う。
きっと室内の人間が誰であっても狼狽えたりはしないだろうし……いや、そもそも機嫌1つでここまで自己卑下に陥ったりもしない……
「僕、廊下で待っています。」
芦屋がとりあえず、一旦この場から離れようと礼をし出て行こうとすると、今度は名影氏から声がかかった。
「それには及ばん。どうせ、我々はもう帰る。お父上から諸書類を頂き次第お暇させていただく。」
「…はぁ。」
自分でもびっくりするくらい気の抜けた声が出て、慌てて「はい、それではこちらで待たせていただきます。」と言い換える。
「ところで……君は次席なんだったな?」
「……?はい。」
「うむ…。私のところの娘はどうかね?」
"娘"という単語に若干の違和感はある。
前に言っていたように、あいつがクローンとやらだった場合、当然名影氏の実娘ではないことになる。
しかし、名影氏があいつを愛娘と思っていることまで俺には否定できない。
「どう……と言われましても…元気です。それに本当に頑張っていて、みんなからの信頼も厚い。僕も次席として見習いたく思っていますが……」
なんとなく、名影氏が聞きたいのはこんなことじゃない気がする……
仮に名影氏が本当に名影零を愛娘のように思っているとして…だ。
では果たして父親は年頃の娘のどんな話が聞きたいだろうか?
……………………彼氏…とかか?
いやでも、さすがにそれは勝手に俺が答えて良いもんじゃないだろうし…。
「あぁ…その芦屋聖くん。」
「はい。」
「娘に…………恋人がいると聞いたのだが、それは君ではない…のかね?」
僕だったら良かったんですけどね。
芦屋は思わず口をついて出そうになった言葉を、なんとか飲み込む。
「僕では…ないですね。」
「そうか…では、その君ではない誰かと近頃、夜だな、出歩いている。と聞くが何か知っているか?」
芦屋は内心毒づく。
そんなの本人に聞いてくれ…
「いや…初耳です。」
「それと1つ聞きたいのだが、その恋人とやらはどこの家に属す人間なのだろう?人として君から見て、どうだ。」
また難しい質問がきた。
父は何をやっているんだ?早く戻ってきてくれ。
「えっと…彼は下のクラスから名影が引き上げた子で、家はいたって普通…といいますか、PEPEの入学が出来る程度の教養を身につけられるような環境にある家庭の子…です。たぶん。」
「たぶん?」
「俺はそんなに仲良くない…といいますか……そもそも家のことにあまり首を突っ込みたくないタチなので。ただ、名か……娘さんの事をすごく思っていて、大切にしたい、守りたい、隣に立っていたい、という意思は誰にも負けないと思いますよ。……首席として、ではなくて"名影零"として見ていると思います。」
芦屋はここまでいってようやく胸の中のモヤモヤが1つ晴れた気がした。
いま、自分の言葉にしたことによって、何が真城にあって、俺に無いのか………
「ふむ……………」
名影氏はしばしば芦屋を見ていたが、やがてフーッとため息をつくと、「そうか」とだけ言ってまた視線をもどした。
ノドがカラカラだ……
奥の部屋にすっこんでないで出てこいよ。