静寂
ジャックはジェスターに用件を告げ、それから一度電話を切ると、おそるおそるもうひとつの電話番号にかけてみる。
出ないだろうが、賭けだ。
………………………
呼び出し音が虚しい。
しばらくして、留守電に切り替わる。
ジャックは深呼吸をすると電話を痛いくらい耳に押し当てて、なるべく声がふるえずはっきり聞こえるよう心掛けて話し始める。
「もしもし……急に電話なんてして…ごめん。
それと、南地区での取引も上手くいかなかったんだ……あのね、あの…
………こんなこと、急に話されても困るかもしれないんだけど……SKANDAのグプタはすごくもてなしてくれた。でも、その息子が…それとその友人達が……が、僕を…その……
いや、それより…言いたいことが、話したいことがいっぱいなんだ。
ははは…まとまんないなぁ…
あの、ね…あの、産んでくれて、ありがと…う。あと、育てて…くれて……僕、トランプのみ…んなのことも…大好き、なんだ。
サイスが……ね、助け…て…くれたん、だけど…なっかなか……グプタの…奥さんも手強い…よ。おっかない人だよ…」
そこでジャックはしばし声が出せなくなった。喉がつまる。顔の色んな筋肉がかたまっているような感じ…
そして突然、今度はその筋肉が途端弛緩して…ジャックの内側から、ありとあらゆる感情のないまぜになったものが溢れ出た。
不安、愛情、哀しみ、思慕、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖………
もしここで死んだなら。
誰も気づいてくれない。
テンの運転する車に揺られることも、サイスに改めてお礼を言うことも、ジェスターの公演を観に行くことも、シンクとケイトに旧時代の書物について教わることも、母親に思いをぶつけて抱きしめることも……抱きしめてもらうことも………もう出来なくなる。
明日は来ない。
世界の破滅だ。
「ねぇ、僕ね……サイスのこと、女の子…だと思ってたんだぁー…。小さい…時ね、それで…キスしちゃった…ことがある、の。ふふふ…阿呆だよ、ね……。
ジェスターの…公演……一度し…か、見れなかった………今度……こんど…行きたい…な。
今……ね…ふとん…いっぱいの……ところに、いる…んだぁ……。
そう…だ、僕、ね…みんなで星……見に行きた…いな。全部…うまく……いったら……ね。」
ジャックはまるで電話から繋がらない向こう側へ行こうとするように、ぐっと自分の頰に痕が残るほど電話を顔に押し当てて話す。
もう、必死だった。
誰かが、この向こうで電話を聞いてくれれば、助かるのではないか。今にもあの、優しく、包み込むような声が聞こえてくるのではないかと思える。
しかし、そう思う間にも身体の痺れは広がり、呼吸は浅くなる。言葉も所々支離滅裂で、話題だってバラけてきてることに自分でも気づいている。それでも話し続けなければいけない気がする。
視界も狭まり、目の前のわずかな空間しか見えない。周りはどんどん、暗く、黒く、見えなくなっていく。
「……死にたくない…なぁ……
寂しい…1人で死にたくない……嫌だ…
だってまだ、やりたい…こと…たくさん…
会いたい……抱きしめて欲しい……
…………母さん……」
ギュッと一度握り締められた受話器が、ジャックの頰から離れ、手からも滑り落ちた。
そのままジャックの身体も真っ白なシーツの中に抱かれていく………
沈み込むような、静寂。