干渉≪思い出≫
あれはいくつの時だったかな…
弟がようやく安定して歩けるようになった頃だったはずだ。僕は母と3つずつ年の離れた弟と妹、の4人で戦闘区域近くで生活していた。
父は手早く金を得るために兵士になっていたため、顔を合わせることは少なく、僕自身、ほとんど顔を思い出せないくらいだった。
しかしながら、確かに幸せがそこにはあった。
兄らしくあろうと、母の手伝いや弟達の子守を嬉々として行い、物々交換で食料と変えてもらえそうなものを街中で探す。
正直、父から送られてくる金だけでは残された4人分の食料や、赤子用のあれこれを揃えるのにはいくらか足りない。が、文句を言うつもりはない。
父はかっこいい。兵隊はかっこいい。
本気でそう信じていた……
「やめろ‼︎やめてくれ‼︎頼む、やめてくれ‼︎」
ある日、集めた鉄屑と食料を交換してもらって、ボロいが二階建ての赤塗りの家へ帰ったところに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
久しぶりに聞く父の…悲痛な叫び声。
無我夢中で走って行って、そして家の周りに五〜六人の南地区のSKANDAと東地区の紅楼の兵士がいるのが見えた。
この頃、SKANDAと紅楼は密かに連携して西地区にあった中規模カンパニーを潰しにかかっていたため、2つのカンパニーの兵士が一緒にいること自体はおかしなことではない。
が、おかしいのは紅楼の一兵士である父のことを……いわば連携しているはずのカンパニーの兵士を、SKANDAの兵士が床に組み敷いていることだった。
しかも側にいる2人の紅楼の上級兵士もそれを諌めないのだ。
「いやぁ‼︎やめてっ‼︎やだっ‼︎」
中からは母の声と、妹の泣き叫ぶ声がする。
無我夢中で走って、小さな子供の襲来に気づかない兵士の足元に滑り込み、家の中に入る。
母を、父を、妹と弟を、助けたかった。
助けたかったのだ………
「南地区の連中は粗暴だ。」
「紅楼の中に、南への内通者がいたらしい。」
「あいつらはセックスの事しか考えてないのさ。」
近所の婦女子達が噂していたのを思い出す。
でも、よりによって母が…そんな…
気づいた時には部屋の奥にあった火搔き棒を握りしめ、本能のまま、思い切り、母の上に覆い被さる男の頭に一打を見舞っていた。
男はドサリと横倒れ、母はただただ顔を覆って泣き叫んでいる。
するとあろうことか、紅楼の兵士の1人が逆さ吊りの様にして持っていた"妹"を、棍棒のように振って僕を殴った。
赤子の頭は柔い……
僕はいっぱいの血飛沫を浴びてその場に小さくよたついた。
でも、身体的な衝撃の小ささと反比例するように、精神的な衝撃がとてつもない大きさで迫ってきた。
妹は…即死だ……
あの時の顔を張った感触は10年以上経っても消えることがなかったし、夢の中で何度も魘された。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ‼︎」
「もう、やめてくれっ‼︎やめろっ‼︎」
父と母の叫びと、生暖かい赤と、鼻腔を突く血の香り…
頭がグラグラする。煮詰めているようで…
母があり得ないような力とスピードでもって自分の上に伸びている男を蹴り上げると、逆さまで絶命した妹に手を伸ばし、紅楼の兵士から奪い取った。
そして、あらん限りの罵詈雑言を捲し立てた。
それは僕が初めてみる母の姿……いや、もはやあれは母では無かったのだ。
鬼だ。
「腐れ外道‼︎鬼畜‼︎ゴミクズ‼︎鉄の塊と札束しかお前らの頭の中には無いんだろう⁉︎トチ狂った殺人鬼どもめ‼︎死ね‼︎消えろ‼︎地獄に落ちちまえ‼︎‼︎来るな‼︎私の子供たちに触るな‼︎気色悪い‼︎家畜野郎‼︎豚やろっ………」
パンッパンッ…‼︎
安物銃の破裂音と同時に、母の罵詈雑言はパタリと静かになった。
「あ……あぁ……あぁぁぅぅ…うぅ……」
父は、ただただ組み敷かれて、母と娘を見て、そして泣くでも喚くでもなく…茫然としていた。
父はもうこの時に死んでいたように思えた。
しかし、兵士達の口からはさらにとんでもない言葉が飛び出してきた。
「おい、なんで女を殺しちまうんだ。」
「使い物になんねぇよ。発狂女はごめんだ。」
「せっかくヤレると思ってこっちは来たんだぞ。東洋人は顔も幼くっていい。」
「こいつも、東洋人と白人の合いの子だぜ。綺麗じゃね?」
「お前ら正気か?こいつは西への内通者って疑惑がかかってるんだぜ?しかも半分は白人だ。南の連中の頭は大丈夫か?」
そういって、今度は押さえつけた父の衣服を脱がしにかかったのだ。
父も母も、東洋系の血が濃く、実年齢よりはるかに幼く見えた。まさかだから狙われたのか⁉︎
「おい、そっちのガキも使おうぜ。」
正気じゃない…駄目だ、こいつらから逃げなくちゃ…
足が震えて動かない。
「"____"‼︎逃げろ‼︎」
もう長らく呼ばれていないから、記憶の中でも、夢の中でもこの逃げろ、の前が思い出せない……でも多分、僕の名前だ。
父の最後の正気と決死の叫び。そして男達にしがみつき、態勢を崩させる。
僕は僅かに出来た隙間から、スルリと外に出ると、あらん限りの力でもって走った。
走って、走って……家族を置いていった。
「はっ…はぁっ……はっ……」
走って、走って…ひたすら走って、角を曲がった所で思い切り誰かにぶつかった。
「あら、あなた大丈夫?お嬢ちゃん、お顔に何か……‼︎」
そこで女の人の声が途切れた。
血飛沫がそのままだった。
「助けて」の一言が、切れる息と、乾ききって張り付いた喉では絞り出したくても出てこない。
パッと上を見上げると、端正で優しそうな若い女性の顔が視界に映り込んだ。
泣きそうな思いを堪えて、必死で女性の腕を掴むと、家の方向を指す。
「あっちで、何かあったのね?」
必死で頷く。
「トレイ、エース、着いてきて頂戴。お嬢ちゃんまだ走れる?おぶりましょうか?」
首を振り、早く早くと急かす。
本当はもげそうなほど脚が痛い。それに僕はお嬢ちゃんじゃない、とかもうグルグルしていたけれど、なにより早く家へ、という事だけは間違いなく、頭にあった。
家に戻りながら、嫌な感覚に襲われていた。
無我夢中に走るあまり、実際には結構遠くに来てしまっていたのだ。このままでは、父まで殺されてしまう……
家が遠い………
「もしかしてあそこ⁉︎」
まだ玄関先に男達がいる。
すると、女の人は白と黒のロングスカートの裾をたくし上げて走り寄り、1番玄関先にいた紅楼の東洋人兵士に、ヒールで持って、強烈な後ろ回し蹴りをかます。
さすがに僕も驚いてしまった。
一撃をくらった兵士はもんどりうって倒れる。
それを合図にしたように、他に一緒に来てくれた男2人も応戦する。
しかし、そもそも下半身丸出しで、唯一僕のうちにあった贅沢品を勝手に飲みはじめていた兵士達に勝ち目などあるはずは無かった。
しかし1人だけ、兵士が上手い事3人と、僕の手から逃れて走り去った。
追いかけたかったが、脚が動かなかった。
疲れたからではない…
男達が群がっていたものから引き剥がされて、見えてしまった。
無残……とはこういう状況を言うんだろう……
確かに、幼くて少し儚い、といえばいいのか頼りなさげな雰囲気はあった。白くて兵士にしては細身だったようにも思える。屈強とは言えなかった。
それでも…僕にとっては憧れの、かっこいい父だったのだ。今だってそれは変わらないけれど……
ようやく気づいた黒人の男の人が、慌てて僕の目を覆った。
でももう、見てしまった。
今も、脳裏に焼き付いて、離れない。