侵入者 SideH
結局、引き留めることが出来なかった。
本当はなんとか思いとどまってほしいのだが、では何を言えばいいのかがわからない。
「何やってんのよ…私」
何が首席だ、笑わせる。
ナギが言ったことが本当なら、私は名影家やSOUPの手の上で転がされていたことになる。
それにしても…クローン実験だなんて何を考えているのか。そもそもそんなの代理戦争組織が許すか? ここまで秘密裏に、Sクラスの人間にも悟らせないようにしていたくらいだ、代理戦争組織にも隠しているのだろう。
それに、これもナギの言っていたことを全て信じるのならばだが、四年前の事件にも原型だのクローンだのが関わっているらしいし…しかし分身に自分の存在を乗っ取られるなんて状況も、それを回避するために自分の分身を、よもや殺害したうえでバラバラにすふだなんて…どちらも正気の沙汰とは思えない。
「私は、私。」
ナギが言っていたことを復唱してみる。
話を聞いて、原型や殺害されてしまった分身に対して憐憫と幾分かの嫌悪を感じこそすれど、それは根本的な恐怖や悔恨などに繋がることは無かった。
私は、誰かの分身だった。
がもはやそれは過去のことであって、今は名影零として、自我も、地位も、そして仲間も築いている。だから自分が分身であったことはそんなに気にしていない。
いや、実感がいまいち無いからかもしれないが。
しかし逆に、ナギが「自分は誰かの分身、もしくは代理なんだ」ということで悩んでいるのではないかと思い、そちらの方が気になってしまった。
そう思い苦しんでいるからこそ、私にあんな言葉を掛けてくれたのではないだろうか?
トラストルノには往々にして"代理であること"に不満を持つ人々がいる。そもそも外部の人間のいざこざの解決手段として、代わりに、代理で戦争をやり勝敗をつける。というやり方そのものが理不尽なのから。
もし私が誰かの代理で、そういう実験があるのだとしたら、それは世界の縮図のようなものかもしれない。
「無知とは罪なりや…」
知らないでいることは悪いことか?
私もナギのように何か行動を起こすべきか?
先手必勝で、何かをされる前に、こちらから?
「知らぬが仏」
明日の朝、まだナギがいたなら、止めよう。
確かに、クローン実験だなんて非人道的ともとれる実験は早急にやめるべきだが、そのためにナギが自分を犠牲にするようなことはない。
私達で守る。だから…原型を見つけて殺すなんてことはしなくていい。
自信はないが、引き止めねば。最悪どうしても行こうとするなら芦屋や伏に手を借りよう。
存外、名影は自分が分身であることも、四年前の事件の真相もあっさり受け入れてしまった。
ただただ、実感がなかっただけ。
名影は階段で階下に降り、自室に戻っていった。
言い逃げのようになってしまった。
でも言わずにはいられなかった。危険はすぐそこまで迫っているのかもしれないのだ。
「さてと…」
ナギは端に置いてあった小ぶりのリュックを持ち上げ、ベッドサイドに置く。名影はきっと荷物をまとめた、と思ったのだろうが、そもそもこの部屋にははじめから荷物なんて無かったのだ。
必要最低限なものは部屋に備え付けられていたし、あとはこのリュックの中のものだけでナギの生活は十分に充実していた。
しかし離れるとなると、少し寂しい。
カタッ…
なんだ?
今、音がした。しかも恐らくはこの階だ。名影はもうそろそろ部屋に戻っている頃だろうし…アレイか?
でもアレイとナギの部屋の間には、ほぼ使われていない物置部屋がある。音が響いてくるわけはないとおもうのだが。
ナギはそっと入口の方に向かう。
どうか、連中ではありませんように。
影は音もなく忍び寄る。