羨望
屈辱の只中にいると、無意識に過去の思い出やら、くだらない事を考えるようになる。
ジャックものしかかる脂汗のしたたる身体と、先程から寄せられる齧歯類のような面づらを見ないようにと顔を思いきり逸らして別の事を考えていた。
なぜチェーンソーを戦闘道具として選んだのか?というのは数え切れないほど聞かれた質問だ。
その質問をされるたびにジャックは適当なその場思いつきの回答をしていた。
基本的にジャックの中心にあるのは、母親の存在である。
それはいついかなる時であっても違わない。
はじめて人を殺したのは……キッチンの作業台にまだ背伸びをしないと物を置けなかったくらい…だから五つかそこらだっただろうか?
母親の元には年中、老いも若いも…文字通り老若男女が訪れていた。その頃から既に母は"クイーン"という肩書きを持ち、トランプを率いていたはずだ。キング含め他の席は別の誰かだったように思うが。
かくいうジャックも別の人間がついていた。
あれはちょうど夏の盛りで、母親が用意してくれた簡易プールで、母がどこからか引き取ってきた友達と遊んでいた。ジャックの人生における唯一無二の親友である。
「あ、色水風船がなくなっちゃった。」
ジャックは友達にいま投げたのが最後の一つだったと気づく。
「じゃあ僕取ってくる‼︎」
テンはジャックに自分の水鉄砲を「守っててね‼︎」と預けると、小さな身体でバケツを抱えて一生懸命走っていった。
残されたジャックは白いワイシャツだけ引っ掛けると、自分の分とテンの分の水鉄砲を大事に抱えてテンの走っていった方をじーっと見ていた。
「……………っ⁉︎」
と、突然身体がふわりと浮く。
あまりに突然のことに驚いて2人分の水鉄砲を落としてしまう。
ガシャんっ‼︎
明らかに壊れたような音に、ジャックの瞳に途端水の膜が張られる。それでもなんとか堪えジタバタともがく。
「はーなーしーてー‼︎」
「大丈夫だから。大丈夫、大丈夫…」
そう言いながら、急に男はジャックのうなじに吸い付いてきた。あまりの気持ち悪さに、ジャックはとんでもない力で前へ足を振ると、勢いそのままに後ろ---相手の顔面へ足蹴を食らわせる。
「いでっ‼︎クッソがきが…」
ジャックは落ちた痛みを気にする余裕もなく、応戦できそうな物を探す。
……あった‼︎
旧時代の代物…草刈り用の鎌が忘れられたかのように物置とフェンスの間に落ちているのを見つけると、ジャックはそれをひっ掴み、そして振り向きながら大きく鎌を振った。
「ひっ…‼︎ぎゃあっっ‼︎」
背後に迫っていた男の頰から首にかけて大きく開かれ、鮮血がジャックに降りかかる。
それでもなお、男はジャックにせまってこようとするので、もう訳がわからなくなりながら鎌を振り回す。
男がピクリとも動かなくなってまで、ジャックの鎌は空を切り続けた。
ちょうどその時、テンが色水風船とクイーンを連れてきた。
「イディ…?なぁにその男。」
「わかんない…僕のことどっかに連れて行こうとした。」
そう言うと、クイーンは血相変えてジャックの身体に怪我などがないか調べ始める。テンも「大丈夫?」と優しく問い、ジャックの髪についた血飛沫をハンカチで拭っていってくれる。
クイーンはジャックの顔についた血糊を真っ白なハンカチで丁寧に拭き、その長い指でジャックの頰を撫でた。
「あのね……母様……」
「うん?」
「このお洋服汚しちゃったの…白いお洋服似合うねって言ってくれたのに…」
するとクイーンは「なんだそんなこと」と言いたげに微笑んで優しくジャックの額にキスをする。
「貴方には白がよく似合うけれど、私、今日知ったわ。あなたには赤もよく似合うのね。とっても好きよ。」
「本当?」
「えぇ、とてもとてもよく似合っているもの。」
そう言われて嬉しそうにすると、今度はテンの方を向く。
「あのね、水鉄砲…壊れちゃったの……ごめんね?」
「えっ、あ、うん。全然いいよ‼︎しょうがないし、イディが悪い訳じゃないから。」
この時のテンの顔はよく覚えている。なんとも言えない驚愕?恐怖?感嘆?
とにかくジャックとクイーンを奇妙な物でも見るようにしていた。
なにがともあれ、この時の「赤が似合う」の発言は僕を捉えた。それから色んな武器を試した。
結果辿り着いたのがチェーンソーだった、というわけだ。少しでもクイーンに見てもらえるように…
それだけが全てだった。
気持ち悪い…死にそうだ………
「はっ、はっ……はっ……」
ジャックはもう、ティトが来てくれる可能性などを考えるのもやめた。意識を他へ飛ばして、ただただ時間が過ぎるのを待つ。
ただここにクイーンがいない事が救いだった。
今は、クイーンに見られないことが…ありがたかった。