記憶
「何をしている?」
ティトは咄嗟に武器の類が見えるところに出ていないかを確認しながら、くるりと振り返った。
「まぁグプタ……こんな夜更けになにをなさっているのです?」
「君こそなにを……いや聞くまえ…」
グプタはそう言うと、自分の顔の前で手をヒラヒラと振ると、深くため息をつき懐に手を入れる。
ティトは注意深くその様子を見る。
「貴女は本当は息子の護衛のために此処へやって来たのだろう?」
グプタの唐突の質問にティトは首をかしげる。しかし、その様子はグプタには、見えていない。
「貴女を送って来たのは彼女でしょう。全く相変わらず息子を溺愛しているんだ……いやしかし、母親の愛というものは等しく深く広大なものなのかもしれん……」
あの齧歯類のために、正妻が私を雇った……と?
この勘違いは、使えるだろうか。
「い…言えませんわ。」
「ふむ…なるほど、なるほど。」
グプタは少し寂しそうな表情をする。彼にまだそんな人間らしい表情が残っていたことにティトは驚きつつ、静かにサイレンサー付きの銃を取り出し、グプタの腹部に照準をあてる。
目が見えているかいないかなど宛てにならない。グプタには感覚でわかっているはずだからだ。
「グプタ…私は先を急がねばならない用事があるのです。」
「そうか、ではどうするかね?」
どうするかね…だと?
しかしいまグプタを殺してしまっては庇ってもらえなくなる。しかしジャックのもとに急がなくてはならない…あのグプタの懐に入れられた手中には何が握られているのか。ただ手を突っ込み立っているだけならなんら問題ない。
「私を恨まないで頂けますか?」
「君が信念の元に下す判断ならば…そしてそれが息子を救う手立ての一つならば…恨みなど無縁。」
ティトはふと、幼い時に工作員養成学校で出会った1人の教官を思い出していた。
ふてぶてしい態度、ギョロリとした目、引き締まった身体、褐色の肌の所々に残る傷痕、そして濁りかけの瞳……
みんなその教官を嫌っていた。
かくいうティトもあまり好きではなかった。すごい人なのだろう事は雰囲気からも分かったが、尊敬の前にまず恐怖が先だった。
「あの教官が来年には任務でトラストルノ内地へ行くらしい‼︎」
その噂が流れた時には、みんな密かに喜んですらいた。
しかしそんな折に、工作員養成学校に視察に訪れていた何処かの国のトップが生徒に罵詈雑言を浴びせた挙句に拷問死させるという事故が起こった。
それは事故だった。
みんな納得がいかなかったが、逆らうことも出来ずにいた。そのトップの男は嫌な面をした、金髪の馬鹿だった。
大方その拷問死した生徒が黒人だったからいちゃもんをつけて殺したんだろう。ティトを含むロシア系や、アジア系の子達にも、かの人のアタリは強かった。
理不尽だ……
そのトップとやらが帰る前に一演説かましている所に、1人の生徒が「人殺し‼︎‼︎」と叫んだのは、ちょうど「平等と博愛、平和について」をその男が話し始めた頃だったと思う。
誰も後には続かなかった。
トップの男は壇上から滔々となにやら綺麗事を語り始めた。そして「君たちは若いのだから黙ってついてきなさい。」といったようなことで話をしめた。
みんながそいつを嫌いになった。
その時だった………
「若者には、未来がある‼︎経験では劣るともいえ、経験という自信によって盲目になっている我々では到底成し得ぬことを出来る‼︎」
急に嫌われ者の教官が声をあげた。
今まで聞いたどんな声より荘厳な声だった。
「その若者を踏み台にしようとは愚の骨頂‼︎
年寄りは若者の行く道の手助けに徹するべきだ。
貴様のような名ばかりの老害は………」
その場の全員が息を飲む。
「老害は、死んで若人に道を譲れ‼︎」
「そうして然るべきだ。俺とて例外ではない。年を取れば打ち捨てられる。動物の本能として、弱い者をいつまでも側に置くのは得策ではない。」
過激すぎる言葉だった。
結局、本当はただの噂だった嫌われ教官の内地への左遷は事実となった。もともとの教官の故郷へ帰されたらしい……
トラストルノに向かう日、ティトを含めた優秀者のクラスで嫌われ教官は言った。
「もし拷問や殺人を避けられない状況に陥ったらどうするかね?」
「そこに信念など無い、と言う者もあるが…俺はそうは思わん。信念があるのなら、なにも恐るるに足らない。進め。」
ティトは目の前のグプタを凝視した。
思えばいくら北地区からの客とはいえ、あまりに信頼を置かれすぎている感があった。それは……昔のよしみってか?
「私は…私達は、進まねばなりません。」
「ふむ…」
「道を譲ってください。」
ティトは銃口を、今度は確実に心臓に向け、放った。