綻びの予感
世の中にはあれやこれやと上手くいくこともあれば、そうはいかないこともある。だいたいにおいて、後者の方が多い。
ただ名影零に関しては、むしろ人生の大半を前者のように生きてきた。
伏舞人が彼の兄弟達によって救出された。
情報の一部は名影が長男の伏快人に流した。
そして伏兄弟からは、救出の際に交戦した相手の諸情報を流してもらう。紅楼の方々には悪いが、その情報を勝手にSOUPと共有し、そして十数人の情報屋を使って、"デュース"とやらの噂を掻き集めた。
その過程で、1人気になる女性が引っかかった。
本当ならばイジドアというボケ始めの老婆が住んでいるはずの家に、ここ最近デュースとやらは出入りをしている。それから面立ちの綺麗な青年も来ていた。
そして先日、老婆が亡くなると、その丁寧な埋葬や片付けをとても美しい女性がやっていた。そのまま家もその人が住んでいる、という。
もう少しその辺りの情報が集まれば、SOUPに情報を流すつもりだ。
というのも、名影は近々起こるかもしれない大戦に向け、紅楼の兵力増強の手伝いを約束通りしなくてはならないため、自分であまり動けなくなるのだ。
「バックれちまえよ。」
芦屋はまるで自分のことかのように切実に訴えかけてくれた。
「ついていくよ。」
真城はその心までも名影に預けて、身体はもたれかからせてくれる。
恵まれてるな…。
最近つくづくそう思う。
ティトが高熱を出して寮の自室で動けず閉じこもっている事を除けば、万事順調。
今すぐ大規模戦争でも始まらない限り、事を上手く運べそうだ。
そう、そういえば。
閉ざされた北地区から飛ばされて来た電波を名影はキャッチしていた。
恐らくは北地区管理体制の網目を掻い潜り送られて来たのであろう、そのメッセージは簡潔なものだった。
『ブジ、ナカマトクラス、カードリダツアリ、キカンセズ、アリガト、グッドバイ』
慌てていたのか書かれたロシア語にはスペルミスもあるし、単語のつなぎ合わせで分かりづらいが大体の内容は把握した。
どうやら西校の拐かされていた彼は無事らしく、そして恐らくPEPEに信号を飛ばしたところ、西ではなく東側に近く、こちらが受け取ってしまったらしい。
そのメッセージはもちろん、即座に西に転送してあげた。
これで、あと心配なのは4〜5個くらい。いや、7〜8個くらいか?
……まだ結構あるな。
まぁなにがともあれ、いま1番の心配は突然高熱に倒れたティトのことだ。本人はまたお姉さんぶるところがあるせいで------みんなも彼女をお姉さんとして扱っているし、実際お姉さんなのだが------迷惑はかけられない。うつすわけにはいかない。
と部屋に鍵までかけてしまった。
あまりに部屋から出てこないせいで、ロブなんて不謹慎に----本人は至って真面目に----「死んでねぇよな?」と聞いてしまうくらい、ここ数日ティトの姿を見ていない。
食事すら自室の食料でなんとかする、というのでみんなして、感染性の何か本当にまずい病にでも犯されているのでは?と気にして、毎日1人ずつティトに容体を確かめに行くようにしていた。
今日は名影の番。
情報屋を使って集めた情報には東西南北のカンパニーに関する、新鮮な情報もあった。たとえば、カンパニーを訪ねて来た客人の話なども…
「ティトー?大丈夫?」
名影は扉に手をそっと充てながら、声をかける。
「えぇ、大丈夫よ。本調子に戻るにはもう少しかかりそうだけど…」
「そう…ちょっと話したいことがあるのよ。出てこれる?」
「今じゃないとまずいかしら…?」
「ねぇ…やっぱりベッドから出てこられないほど悪いんじゃないの?医者を呼ぶべきだわ。それとも呼ばない理由があるの?」
「大したことじゃないのよ…ただ、ダメ、医者はダメだわ。」
「そう………」
名影はニヤッと笑った。
本当は笑い事ではないし、若干の悲しさもあるが…それよりも以前から気になっていた謎が解けたことの方が、名影には嬉しかった。
扉につけた手を離す。
この部屋の中に、生き物はいない。
ティト・コルチコフが三年前の首席・芦屋類の犯人の逃亡を手伝った協力者であり、そして今現在南地区に起こっている混乱を引き起こした張本人だ。
ティト・コルチコフが……外からの裏切り者だ。