鏡の2人
「わ…たし?」
目の前にいたのは紛れもなく、名影零その人だ。自分自身と対峙している。
しかし対峙するもう1人の自分は、こちらが動く前に、手を下ろし前髪をばさりと顔の前に下ろす。別の個体であることが鮮明になる。
「私は、名影零とは別人です。だってどれだけ物理的に同じだとしても、中身は、例えば人格とか癖は全く別ですし。さらに言うと、身長もあなたの方が私より1cm高いですよね。」
「え…えぇ。」
でも、そんな1cmがなんだというのか。
旧日系独特の顔立ちも、特徴的な藍色の瞳も、少し赤みの濃い唇も…全て完璧に瓜二つなんて…
「私があなたに警告したいのは、もうじき原型が来るということです。」
「オリジナル?」
「はい、私達の元になった人間です。」
私達の元になった?
「ちょ…ちょっと待って、元になった、ですって?つまり、ナギが私のクローンなんじゃなくて、ナギも私も別の誰かのクローンってこと⁉︎」
「そうです。そしてその原型が私達を消しにきます。」
「い、意味がわからないんだけれど…? 私は、だって、名影の家に生まれて育って、いまここにいるのよ?」
「そうです。あなたは何か誤解されているようですが、クローンは別に成長させられない訳ではありません。」
いや、あり得ないだろう。ナギはなにを言っている?
そもそも原型が私達を消しに来る?意味がわからない。どんな悪夢だ。
「私も、あなたも、遺伝子実験およびクローン実験の末、試験管の中で第一歩を踏み出し、その後も母親の胎内を経験することなく作られ育てられた。信じられないかもしれませんけど、それが事実です。不思議に思ったことはありませんか?両親のどちらにも全く似ていないとか、もしくはなぜ突然PEPEに入れられSクラスにあがったのか、とか」
認めたくはない。しかし確かにその違和感は感じていた。両親どころか親族の誰にも似ていない上に、両親があまりにも年上すぎる気はしていた。
それに、急にPEPEに行けと言われたこと…
「PEPEに入れさせたのは名影の家の我儘でしょう。偽物をトラストルノを裏から牛耳るトップの組織に入れて自分たちに優位にしてやろうとかきっとそんな感じだと思いますよ。」
確かに、仮に名影の家の人間がクローンを手に入れたならそういったことを真っ先にしでかすであろうことはなんとなく想像がつくが…
「私があなたを原型ではないと判断した理由は主に2つです。1つ目は身体の何処にも真四角の痣のような怪我、もしくはそういった類のものが見受けられなかったこと。2つ目はあなたが4年前の事件についてほとんどなにも知らなかった点です。」
真四角の…傷?
「まず1つ目の真四角の怪我は、正確には真四角の手術痕です。その部分の皮膚や、一部肉を取り出し、遺伝子情報などを得て、試験管の中で偽物を生み出すんです。そこの部分は細胞そのものを部分的とはいえ壊してしまうので、傷がずっと残るはずなんです。」
なるほど。大規模な細胞の搾取とそれに伴う人体への影響については神代先生の講義でも扱った。しかし、それを実際に実践する連中がいるとは思わなかった。
いや、SOUPでそれをおこなっているからこそ、次世代のSOUP構成員である名影達に神代は教えたのかもしれない。
「次に、4年前の事件についてです。あなたが首席となる直前に起こったあの事件についてどこまで知っていますか?」
4年前の事件について、おそらく名影と真城が現Sクラスの中で最も表面的なことしか知らないだろう。
「ある生徒のバラバラ遺体が4番倉庫から見つかった。遺体は当時のSクラス首席…芦屋類。」
ある程度の概要は伏から聞いた。芦屋聖の前で兄の話は御法度だとも聞かされている。
「遺体はバラバラに切断されていただけでなく、綺麗に積み上げられ異様な姿であった。第一発見者は彼の恋人だった女性。…これは風の噂で聞いたから事実かは知らないけれど、女性の名前は恩紅凛。」
おそらくは恩寿音のお姉さんだ。詮索するのも申し訳ないかと聞けていないが、亡くなった芦屋類の写った写真を見せてもらった時に横に彼女も写っていた。その表情の所々が似ていた。
芦屋類は当時18歳、彼女の方は確か19だったはずだ。
「その後捜査が行われたが、手掛かりが何も出てこなかったために捜査は1週間程で打ち切り。そして事件から10日目に彼女、恩紅凛が飛び降り自殺をしてしまった。」
酷い話だ。
犯人は結局捕まっていない。
「それがあなたの知っている全てですね?」
「えぇ。」
「では、そこに私の知っている情報を加えます。まず芦屋類は聖さんのお兄さん、恩紅凛は寿音さんのお姉さんです。」
やっぱり、お姉さんだったんだ…
「捜査が打ち切りになったのは|何も出てこなかったから(・・・・・・・・・・・)ではありません。逆です。色々なものが露見しそうになったから、隠したんです。今のこのご時世、証拠を何も残さないなんて不可能ですもの。」
それは名影も違和感を感じていた。なぜ1週間程度で打ち切りになってしまったのか。
「芦屋家はPEPEをはじめとするSOUPに関わる金持ち一族の一端…日系一族の中では筆頭です。つまり芦屋家もクローン計画に参加していた。そして彼等もまた、"息子を何人か作る"ことによって最も優秀で言うことをよく聞く奴を上にあげさせようとした。その結果、原型よりも偽物の方が理想に近づいてしまった。」
名影は嫌な結末を思い浮かべ、顔をしかめる。
「優秀でない、と判断されてしまった原型は結果として、偽物を破壊することにしたんです。つまり、4年前にバラバラの遺体で発見されたのは偽物なんです。」
そんなの…本末転倒ではないか。
「でもそんな偽物についてをまだ公にする訳にはいかない芦屋家は事件の真相についてを有耶無耶にして葬り去った。原型の復讐はある意味で成功した。もう芦屋類をもう一度Sクラスに送り込む訳にはいかなくなったからです。結果的に芦屋家としての偽物実践は挫折したことになる。」
となると私は…
「そこで登場するのが、あなたです。芦屋の作ってしまった穴を、名影が埋めることにしたんです。」
ここぞとばかりに名影の連中は飛びついたことだろう。それで私は彼等の思惑通り、試験で完璧な成績を収め、Sクラスに入ってしまった。
「同じことが私達に無いとも言えません。私はそもそもSOUPに追われている身なので、もうここからは消えますが。」
「待って‼︎じゃあナギはそのオリジナルを探しているの?」
「そうですよ。」
「探してどうするの?それに、逃げてるのなら、実はここが1番安全なんじゃ無いかな。私達だって協力するし。」
「駄目です。私はオリジナルを探し出して、どんな人間か見極め、必要とあらば殺害します。」
「そんな…」
「それと…稀に自分が偽物だと分かると必要以上に思い悩む人もいるみたいなので言っておきますが…」
ナギは名影の目をじっと見る。
「あなたはあなたです。他の何者でもありません。偽物だからといって、あなたの生きてきた時間や、周りにいる仲間、あなたの優しさや努力が全て偽物ではない。あなたは名影零であり、そしてみんなの、Sクラスの頼れる首席です。」
ナギがそんな風に思っていてくれたなんて、意外だし、少し照れくさい。でもそんなことより、今はナギに何か言わないと、引き止めないと…
「そろそろ寝ないとですよね。唐突に変な話をしてしまってすみませんでした。」
そう言うとナギに部屋の入口までなかば追いやられるように連れてこられてしまった。
名影は靴を履くのに渋ったが、ナギはもはや引きとめようがないように思えて、しかたなく靴を履く。それでも何も言わないではいられない。
「ねぇ、ナギ。みんなにもこのことを相談しよう。なんとかなるって‼︎ね?」
「首席、私はあなたを尊敬しています。それに、Sクラスは楽しかった。みんなとも確かに話したかった。でも、もうこれっきりです。」
「ナギ…」
扉が閉まっていく。
もうこれっきり。
最期に見えたのは、少し困ったような笑顔だった。
名影だけが見ることが出来た、ナギの最初で最後の笑顔。