侵入者 SideH
今日は珍しく寝つきが悪い。普段は割とすぐに寝て、朝は時間になれば目覚まし無く起きられる。それなのに、今日は全く寝られない。挙句の果てには喉が渇いてきて余計に寝られなくなってきた。
芦屋は仕方なくベッドから起きると食堂に向かうべく上着を羽織った。
深夜になると、この寮の大元の電気自体を切ってしまうので廊下なども暗い。といっても普段電気があるだけここの施設はまだマシなのだが。
少し歩くと扉に「NAKAGE」と木で作られた表札が掛かった部屋が見えてくる。言わずもがな、首席の部屋だ。この階は芦屋、名影、真城の3人。1番奥の部屋はトイレや風呂場はそのままに、他の寝室部分などを共同の書庫として使っている。電子媒体ではない書籍を集めるという共通の趣味が芦屋と名影にあったために作られたのだ。
1人1人の部屋が、トラストルノの外で言うところの集合住宅棟のように広いため、部屋から部屋が若干遠い。
次に見えてきたのが「MASHIRO」と書かれた表札の真城の部屋。
この、木に彫って着色した表札は全て舞人とアレイの手作りだ。芦屋の部屋の前にも、「ASHIYA」という名札が掛けられている。
ただ、名影と真城のに比べて芦屋のは不恰好な感じに文字がズレている。
「まぁ、舞人にしては頑張ったよな。」
と慰めた記憶がある。
真城の部屋を過ぎてしばらく歩くとようやくエレベーターホールに着く。夏や冬であれば冷暖房とエレベーター付近の電気だけは点いているのだが、春や秋などは全電気が消されるためにエレベーターが使えない。4階から食堂類のある2階までは階段で行くしかない。
本当は自室のキッチンの水道と冷蔵庫が壊れてさえいなければ、こんな手間をかけずに水を飲めるのだが…ペットボトルを1本まるまるもらってきてしまおうか。
3階に差し掛かると奇妙な物音がした。
何かを擦るようなな音だ。
「誰かいんのか?」
声をかけ、階段の踊り場から3階廊下に顔を出すと、擦るような音はピタリとやみ、静寂が訪れる。
「おい。」
なんだか気味が悪い。
と、真後ろから手が伸び、芦屋の肩を掴んだ。
「…っ⁉︎」
「驚いた?」
そこには、ニヤッとしてやったり顔で笑う、名影がいた。
「おまっ…何やってんだよ。」
「うーん、夜の徘徊?そっちはなにしてんの。」
「は?徘徊?…俺は水飲みに行こうかと。ほら、水道も冷蔵庫も壊れてんじゃん。」
「あぁそれで食堂に行く途中だったって訳ね。」
妙だ。
普段より言葉の返しにキレが無い。しかもなんだかいつもより暗く冷めたような印象を受ける。
まぁ、真夜中だからだろうが…こんな暗がりで会うと、名影の白っぽい肌や藍色の目は少し不気味ですらある。
「お前は今から部屋戻んの?」
「えぇ、そうね。」
…………
「それじゃ、水飲みに行くんでしょ。おやすみ。」
…………?
「なぁ、名影。お前…」
階段を登りかけた名影を引き止める。
咄嗟に声をかけてしまったが、何を言えばいいのかわからない。
「その…疲れてるみたいに見える、から…よく寝ろよ。」
何言ってんだ。俺らしくも無い。
ただ名影もいつもと違って、なんだか自分もいつもなら言わないようなことを口走ってしまった。
「…ありがとう。おやすみ」
「…おやすみ。」
名影の方も意外だったのだろう。しばらく驚いて凝視していたが、小さくお礼を呟くと、今度こそ上にあがっていってしまった。
その背中を芦屋は踊り場を曲がって見えなくなるまで見送った。
今夜見た、名影零はなんとなくいつもより脆く、儚く、危うく見えた。
それに、なんだか……