死の吐息
Eが逃走し、もぬけの殻となった白塗りの部屋を下っ端共に清掃させようとすると、怯えて全員が引き腰になる。
詳しいことは知らずとも、渡された防護服を見ればなんとなくただの清掃業務でないことは察せられたのだろう。
「いいから早く除染してこい‼︎あの子供の息が空気中に蔓延していては中に入れん‼︎あの子供の触れた場所なぞ触れられん‼︎早くしろ‼︎」
ようやっと、5人の男達が防護服にポンプや雑巾を持って部屋に入っていく。
博士達は部屋のガラスからさえも二、三歩下がり中の様子を伺う。廊下に向かって全面がガラスのため、多少離れても中の様子はくっきり見える。
「とりあえずあの防護服は役に立つようだな。連中を追うのに手が無いのでは困る。」
「あれもどこまで役に立つ物か分からんぞ。」
「そうだ。実際にあの子供を前にして、なお"溶けず"に保っていられるかは分からんぞ。」
「よくそんな危険な賭けを下級構成員にやらせましたね。素敵な正義感ですこと。」
博士達の会話にケチをつけるように女が廊下の奥から現れた。これほどまでに白衣を優雅に着こなす人間があるものだろうか。
彼女はカラの部屋を一瞥すると、ため息をついた。
「彼の傑作が世に放たれたのね…。」
彼女の目には憂いが満ちている。
クロエ・ディモンド。TITUS唯一の女性一等博士にして、イヴァン・ディモンドの妻である。
ディモンド家は一代目から数えて現在の三代目までTITUSの名誉博士として働いている。クロエはそんなディモンド家へ嫁いできた。
その腕を買われ、ディモンド家へやってきたことになっているが、実際はイヴァンとの恋愛結婚だった。だからこそ…イヴァンをあんな風に扱う、この老いぼれ共が憎たらしい。
「クロエくん。この状況を…旦那さんはどう見ているんだね?」
「彼にはまだ伝えてませんわ。」
「なぜ⁉︎彼にこそ真っ先に伝えるべきだろう。」
クロエは唾を飛ばしながら突っかかってくるハゲ頭に、刺すような睨みをきかせると、ガラスに近づいていく。
「あなた方が責任を彼に押し付けたいのも分かりますわ。世界の一大事ですものね。…でも、大衆は誰の責任かなんて気にしませんわよ。こんな雁字搦めの組織にいては分からないでしょうが、外は自由よ。全ては一人一人の個人によるべし。…あなた方に彼を責める権利も、責任を負う必要もありません。」
彼女は真っ白な部屋を背に腕を組み、博士達の方へ向き直ると凛と言い放ち…そしてまた廊下の奥へ消えた。
廊下の奥、彼女の指がゆっくりとボタンをなぞる。
彼女は虚しくほくそ笑んだ。
「これはね…復讐よ。私からのくだらない復讐。誰も望まない、私のための復讐よ。」
「死んで詫びなさい…老いぼれ共…‼︎」